ちょっと贅沢、めんつゆ卵黄の玉子かけご飯。

 ぱかり、ぱかり、ぱかり。

 悠利ゆうりは一人黙々と、夕食の後片付けも終わり、誰も居ない台所で卵をボウルに割っていた。延々と卵を割り続けるというのは、見ている側からしてみれば微妙に不気味かもしれない。だが、幸いなことにその姿を見ているのは、食堂スペースから様子をうかがっているルークスだけだった。賢い従魔は、悠利の行動を特に気にとめた風も無く、じーっと見ている。

 いつもの調子で、鼻歌を歌いながら卵を割っている悠利は、どこかご機嫌だった。楽しそうとも言えた。夜に一人で卵を割り続けるというのは客観的に見て色々ツッコミ満載なのだが、当人が頭に音符でも飛ばしていそうなぐらいに楽しそうなので、不気味さは多少減っている。乙男オトメンのほわほわオーラ、恐るべし。


「このぐらいあれば大丈夫かなー?」


 悠利が視線を落とした先のボウルには、合計10個の卵が入っていた。そうして悠利は、次に、手を綺麗に洗って、卵黄を隣に用意しておいた別のボウルに移動させる。一つ一つ、壊さないように気を付けながら、全ての卵黄を別のボウルに運ぶ。そうすると、それぞれ卵10個分の卵黄と卵白が入ったボウルが出来上がった。

 それを見て満足そうに笑うと、悠利は冷蔵庫から1本の瓶を取り出した。その瓶には、めんつゆが入っている。そう、先日悠利が錬金釜で作っためんつゆの残りだ。……今ではめんつゆも、立派に商品として出回っている。お仕事の少ない駆け出し錬金術師の皆さんは、今日もせっせと錬金釜で調味料を作っているのだ。どっかの誰かが後先考えずにのほほんと突っ走ったおかげで。

 なお、一応人助けに分類されるのと、錬金釜の可能性を広げたという意味で、錬金術師関係者には概ね好意的に受け容れられている。……一部の生真面目な人たちはどこでも頭を抱えているが、それ以外の人たちは細かいことを気にしていなかった。

 さて、その取り出しためんつゆである。

 悠利はめんつゆの瓶の蓋を開けると、卵黄の入ったボウルに入れ始める。とぽぽぽ、と軽快な音を立てながらボウルに満たされていくめんつゆ。悠利は、全ての卵黄がしっかりとめんつゆに隠れるぐらいに、たっぷりと注ぎ込んだ。そうして、卵黄が完全にめんつゆに浸かったのを確認すると、満足そうに笑う。


「明日の晩ご飯まで冷蔵庫に入れておけば、しっかり味がつくよね」


 ほわほわとした笑顔のままで、悠利はボウルに布巾をかぶせて冷蔵庫にしまい込んだ。他の面々に触られないように、わざと奥の方へと入れておく。こうしてめんつゆに卵黄を漬けておくと、味がしみこみ、かつ、卵黄の表面がやや固くなり、中身がとろりと仕上がるのである。

 悠利が一人で黙々と作業をしていたのは、これを明日の晩ご飯に食べるためだった。他の誰かに声をかけなかったのは、そこまで手間のかかる作業ではないからだ。なお、卵の個数を10個にしたのは、それぐらいあれば足りるだろうという考えだ。何が呼び水となって、誰が食べたがるか解らないのが、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の日常なのである。

 ……悠利のおかげか、悠利のせいか、着実に美味しいは正義が浸透している。


「ルーちゃん、この卵の殻、食べてくれる?」

「キュイキュイ」

「いつもありがとう」

「キュキュー」


 任せろと言いたげに台所スペースに入ってきたルークスは、悠利に与えられた卵の殻を、むにむにと体内に取り込んで消化、吸収してしまう。今日も元気に生ゴミ処理に勤しむスライムだった。……え?従魔の扱いとしては間違っている?今更なので気にしたら負けです。




 そして、翌日の夕飯も終盤にさしかかった頃。悠利は皆に一つの問いかけを発した。


「僕、これからめんつゆ卵黄の玉子かけご飯しますけど、食べる人いますか?卵黄だけ食べるというのも大丈夫ですけど」

「「めんつゆ卵黄?」」


 何じゃそら、と言いたげな一同の疑問はもっともだった。だがしかし、悠利は別に間違ったことを言ったわけではない。めんつゆに漬け込んだ卵黄なので、めんつゆ卵黄で間違っていないのだ。多分。

 口で説明しても伝わらないと思ったのか、悠利は台所へと歩いていくと、冷蔵庫からめんつゆと卵黄を入れたボウルを持ってくる。布巾を外したボウルの中では、うっすらと表面がめんつゆ色に染まって固くなった卵黄が、ちゃぷちゃぷと揺れていた。普段の卵黄よりも若干色が濃くなっているそれを示しながら、悠利はもう一度口を開く。


「この卵黄、昨夜からめんつゆに漬け込んであるので、味が染みこんでるんです。僕は、これをご飯に載せて、潰して、混ぜて、玉子かけご飯にします。ちなみに、このまま食べて酒のアテにする人もいます」

「煮玉子の生バージョン?」

「あ、ヤック上手。うん、そんな感じ。半熟煮玉子の、黄身の部分だけみたいな感じだよ」

「はい!オイラ食べる!」

「了解ー」


 自分の中の知識のすりあわせをして例えを口にしたヤックは、悠利の説明に顔を輝かせて、元気よく手を上げて自己主張をした。いそいそと、空になった茶碗にお代わりのご飯をよそいに移動している。動きが素早かった。

 そして、そのヤックの行動と、彼が口にした例えで、他の何人かも動いた。


「ユーリ、あたしも玉子かけご飯するから!」

「俺も」

「ちょ、俺もするから!っていうか、レレイさんとウルグス待って!大食いのアンタら二人の前に、俺らにライス頂戴!ティファーナさん、茶碗」

「カミール、よろしくお願いしますね」

「了解です」


 しゅばっと立ち上がって台所へ移動するレレイとウルグス。そして、その二人を言葉で制しながらも必死に追いかけようとするのがカミールだった。近くに座り、食べようと腰を浮かせたティファーナの茶碗も受けとって走って行く辺り、相変わらず気配りの出来る少年である。

 そんな愉快な仲間たちの行動を目にした悠利はといえば。


「……わー、ライス大人気ー」

「お前のせいだろうが」


 物凄く他人事みたいに呟いていた。そんな悠利の頭を軽くぺしんと叩いたのは、毎度おなじみアリーだった。だがしかし、軽く叩かれただけであり、アイアンクローではないので怒られているわけではないと察した悠利だった。本気で怒った場合、アリーは問答無用で悠利にアイアンクローをするので。

 とりあえず悠利は、そんなアリーに向けてボウルを見せて、一言。


「アリーさんはどうします?」

「とりあえず、酒のつまみに一個くれ」

「了解です」

「…………一つ」

「うわぁ!……ま、マグ、気配殺して背後に立つのはやめてね?怖いから」

「……諾」


 アリーの差し出した小皿に卵黄を一つ載せた悠利は、背後から、まったく気配を感じさせずに突然聞こえた淡々とした声に、思わず驚いてボウルを落としそうになった。ぴゃっ!という具合に一瞬身体を跳ねさせた悠利の背後には、若干申し訳なさそうな顔をしたマグが小皿片手に立っていた。……ちなみに、落としそうになったボウルはアリーが咄嗟に支えてくれた。

 マグの小皿に悠利がめんつゆ卵黄を一つ載せると、出汁の信者はうきうきした風情で自分の席へと戻っていった。いつの間にか、箸では無く小さなスプーンを片手に持っている。……どうやら玉子かけご飯にするのではなく、卵黄の味だけをちょっとずつ楽しむつもりらしい。

 なお、悠利にはマグが何故そんな風になっているのか、理由が解っている。……錬金釜で作っためんつゆであるが、作成時に出汁の元になる昆布や鰹節、シイタケなどが入っているのだ。出汁の信者はそれを察したらしい。相変わらず恐るべき嗅覚である。


「それでは、いただきます」


 アリーとマグにめんつゆ卵黄を渡した悠利は、ボウルをテーブルの上に置いた状態で、自分の茶碗を手に取った。玉子かけご飯にするつもりだったので、白米が残っているのだ。中央を少しくぼませて、そこにめんつゆ卵黄を一つ落とす。ぷるんと揺れる卵黄に、悠利はにこにこと笑っている。

 右手にスプーンを持って、ぷるぷるしているめんつゆ卵黄の中央に差し込んでみる。めんつゆに浸けたことで表面が固くなっている卵黄は、ほんの少しの弾力の後に半分に割れた。とろりと零れて白米を彩るのは、ただの生卵の卵黄よりもずっととろみのある、半熟玉子の卵黄のような黄色だった。箸でつまめそうな外側のしっかりとした部分と、とろとろ流れてご飯に絡まっていく中身の対比が、とても美味しそうだ。

 卵黄を潰し、流れ出た黄身も、外側の固くなった部分も纏めてご飯と混ぜ合わせる。そうしてから、うっすらとめんつゆ色の付いた卵黄にコーティングされた黄色っぽい白米を、悠利はスプーンで掬った。小ぶりなスプーンの上にちょっとだけ載せられたそれを、口に含む。ふわりと口の中に広がるのは濃厚な玉子の旨味と、めんつゆの優しい味わいだった。


「んー、美味しい」


 米の甘みと、玉子の旨味と、めんつゆの風味が混ざり合って、極上のハーモニーを奏でている。通常の玉子かけご飯に比べると、卵白が入っていない分玉子の分量が少ない。しかし、卵黄にしっかりと味がついているので、少量でもご飯が美味しく食べられるのであった。食べたかったものが食べられて、悠利はご機嫌だった。

 その隣でアリーは、酒を飲みながらめんつゆ卵黄を食べている。めんつゆの味をしっかり吸い込んでいるので、とろりとした卵黄の食感を楽しむことが出来る。煮玉子の中身のみ、みたいな感じではあるが、濃厚な味わいなので酒が進むのは事実だった。合間合間にキュウリのスティックなどを食べて口をリセットすれば、そこまで気になることも無いらしい。

 マグはマグで、ちまちまちまちまと、大事そうにめんつゆ卵黄を食べている。いつもなら一気に食べてお代わりに突撃しそうなものだが、何故か今日は大人しい。……大人しいが、食べつつもチラリと斜め前で玉子かけご飯にして美味しそうに食べているウルグスに視線を向けているので、完全に諦めたわけではなさそうだった。

 レレイとヤックは頭に音符でも浮かんでいそうなぐらいにご機嫌で食べている。美味しいね!と顔を見合わせて嬉しそうな2人の姿は、実に微笑ましい。そんな2人を見つめるティファーナの表情が、微妙に生温かったのはご愛敬である。気にしたら負けです。


「あら、美味しいですね」

「ユーリ、これめっちゃ美味いな!」

「そう?良かったー。一晩寝かせないとダメだから、前もって準備が必要なのが難点なんだけどねー」


 言外に、食べたいと思ったときに食べられないということを伝えられて、確かにと思う一同だった。ティファーナとカミールもご機嫌で玉子かけご飯を食べている。皆が美味しそうに食べてくれているのを見て、悠利は嬉しそうににこにこしていた。

 ちなみに、残った卵白をどうしたかと言うと、今回は千切り野菜たっぷりの具沢山スープに溶き卵(卵白のみ)として活用された。スープを吸い込んで固まった卵白は、それはそれでとても美味しかったので、いつもより卵白多めだろうが誰も気にしなかったのである。美味しいは正義だ。

 なお、他のパターンとしては、真っ白の玉子焼きを作る、ということも出来る。卵白だけでも、良く切って、しっかりと味を付ければ、玉子焼きは作れるのです。真っ白の玉子焼きということで、これはこれでちょっと面白いのだ。刻んだハムやカニカマなどのような食材を入れると、彩りも綺麗になります。別に玉子焼きではなく、オムレツっぽく仕上げても問題無いが。

 とりあえず、今ここには存在しない卵白も、美味しく食べられているのであります。




 ちなみに、ボウルに数個残っためんつゆ卵黄を巡ってお代わり大戦が勃発したのであるが、公平にくじ引きで決着がついたので危ないことはありませんでした。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る