ご飯が進む、照り焼き肉をどうぞ。

「こんにちは、ユーリくん」

「あ、ハローズさん。こんにちは!」


 人好きのする笑顔で現れたのは、毎度おなじみ行商人のハローズだった。悠利ゆうりも笑顔で出迎えている。このおじさんは、悠利にとってなじみ深い外部の人の一人に数えられるだろう。あと、悠利がこの異世界で、美味しいご飯を堪能するために欠かせない協力者だったりもする。

 ハローズがやってくるときは、何か頼まれたものを届けに来るか、逆に頼んでいたものを受け取るかだ。今回は前者であるが、悠利が《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に滞在するようになってから、もう一つの理由で訪れることもあったりする。それは、使い道の解らない食材の利用方法を知っているかどうか聞きに来るとき、である。……何故かお役に立ててしまう悠利は、きっと食事に煩い魔改造民族日本人の遺伝子をきっちり受け継いでいるのだろう。


「実は、探して欲しいと言われていた調味料が手に入ったので、届けに来たんですよ」

「本当ですか?!」

「はい。本当にこれで合っているのかは解らないので、今回は少量だけ買い付けてきました。確認してもらえますか?」

「喜んで!」


 ハローズの提案に、悠利は上機嫌で答えた。そんな悠利ににこにこ笑いながら、ハローズは鞄の中から取りだした瓶を差し出してきた。その瓶を受け取って、悠利は嬉しそうにいそいそと台所へと向かう。ハローズも勿論それに続いた。

 台所にたどり着いた悠利は、小さな皿に瓶の中身を少量注いで、ぺろりと舐めてみた。匂いも、色も、味も、悠利の記憶にある、探していた調味料そのままだった。……その調味料とは、みりんである。


「ハローズさん、これです。僕が探していたみりんです」

「そうですか。それは良かったです。……しかし、これは酒の一種ですよね?料理酒とは違うのですか?」

「みりんは確かにお酒の一種なんですけど、料理に使うと、甘みを加えることが出来るんです」

「甘み、ですか?それは砂糖ではダメなんですか?」


 悠利の返答に、ハローズが至極もっともな意見をぶつけてきた。確かに、甘みを付けるのには砂糖がある。蜂蜜もある。しかし、悠利が求めていたのはみりんだった。そこは譲れない一線だった。砂糖の甘さとみりんの甘さには、越えられない壁があるのだ。この二つはまったく別種なのである。

 なので悠利は、大真面目な顔ですぱっと言い切った。


「ダメです。砂糖や蜂蜜だと料理の味が変わります」

「そ、そうですか……。ユーリくんが言うんだから、そうなんでしょうね」

「全然違うんですよ、ハローズさん。同じ甘みでも、蜂蜜は優しい甘みで、砂糖は後にも残る甘みです。みりんはその二つとまた違って、こう、食材と融合する感じなんです。とくに醤油と一緒に使うと完璧です」

「……君は本当に、美味しい料理に関しては雄弁になりますね」

「……?」


 感心したようなハローズの言葉に、悠利は首を捻った。本人に自覚は無かったが、味噌を与えられたときも似たような反応をしていたので、仕方ない。日本生まれ、日本育ちの悠利にとって、醤油と味噌と米は必需品である。そして、煮物などに使うみりんも、無いと困るものに加えられていた。砂糖や蜂蜜では上手に出せないあの甘みを、そろそろ求め始めていたのである。

 ……何故この乙男オトメンは、故郷を恋しく思う理由が斜めにズレるのだろうか。照り焼きの味が違う。煮物の味が違う。そんな理由でちょっとしょんぼりしていたなんて知られたら、確実に皆が盛大なため息をつくだろう。

 とはいえ、実際問題、砂糖とみりんでは味付けの結果が変わってしまうのは事実だ。悠利としては、慣れ親しんだ味付けで料理をしたいと思うのだ。基本的に目分量で料理をする悠利にとって、味見という調整手段で違和感を覚える現状はありがたくないのだ。

 というか、そろそろ実家で食べていた照り焼きの味が恋しいなぁと思っていただけとも言える。砂糖で調整してみたものの、何か違ったのである。かといって、砂糖や蜂蜜を入れなければ、それはそれでただの醤油焼きなので意味がない。よって、悠利はハローズに「旅先でみりんを見つけたら買ってきてください」とお願いしておいたのだ。……そういうときだけ、無駄に行動力を発揮するのだった。


「せっかくなので、食べてみますか?」

「え?」

「このみりんでちゃんと料理が出来るかどうか試そうと思っているので、良かったら味見をしていってください。砂糖とは違う甘みというのが、解ってもらえると思いますし」

「ユーリくんの料理は美味しいですからね。喜んでいただきます」

「では、ちょっと待っていてくださいね」

「はい」


 ハローズの返事に笑顔で頷くと、悠利はいそいそと支度に取りかかる。何故ハローズにみりんの味を教えようとしているのかと言えば、今後の仕入れや流通に影響するからだ。実際に食べてみて美味しいと解れば、売れると思えば、ハローズはみりんを定期的に仕入れてくれるはずなのである。実際味噌が、そんな扱いなので。

 なので悠利は、自分とハローズが食べる分だけの試作品を、さくっと作ろうと考えた。勿論、作るのはずっと食べたかった照り焼きである。実家ではチキン、つまり鶏肉が定番だったが、今回は鶏もも肉に良く似た味わいのビッグフロッグの肉で作ることにする。というのも、冷蔵庫に残っていたのがビッグフロッグの肉だったからだ。味が鶏もも肉と同じなら、照り焼きにしても美味しいはずだと思った悠利だった。


「やっぱり、みりんじゃないと照り焼きの味が違うんだよねー」


 うきうきと作業に取りかかる悠利はとても機嫌が良かった。基本的に普段からにこにこしている悠利だが、それでも機嫌の善し悪しはある。なので、今はとても機嫌が良いということになる。……その理由が、「みりんが手に入った」という辺りが、悠利らしいと言えるかも知れない。

 まず悠利は、フライパンを温めるところから作業に入った。フライパンを温めている間に、取り出したビッグフロッグの肉をフォークでざくざくと刺していく。これは、肉に味が染みこみやすくしたり、肉を柔らかくするのに良いらしいと聞いて実行している。詳しい理由は知らない。ただ、小さな穴が開いている状態だと、照り焼きのたれが内側まで染みこみそうだなと思ってやっている。勿論、やらなくても作ることは可能である。忙しいときは省略する感じの作業だ。

 そうこうしている間にフライパンが温まったので、少量の油を入れて綺麗に伸ばした後に、ビッグフロッグの肉をフライパンに投入する。……ちなみに、鶏もも肉で作る場合は皮がついているので、皮の面を下にして、皮の油で肉を焼くので、油は入れない。しかし、ビッグフロッグの肉は味や食感が鶏もも肉と同じでも、蛙であるために皮が綺麗さっぱり取り除かれているのだ。なので今回は油を引いての調理になる。

 焼き目を付けるためにも強めの火で肉を焼いている間に、悠利は調味料を合わせる。照り焼きで大事なのは、甘辛いたれである。あのたれで煮詰め、絡めて作られるから、照り焼きはご飯が進む美味しい味付けになるのだ。調味料のバランスは大事である。


「お酒と、お醤油と、みりんとー」


 小さな器にとぽとぽと調味料を入れていく悠利。スプーンでくるくると混ぜ合わせると、ぺろりと舐めてみる。煮詰める前のたれはちょっと味が違うのだが、それでも、混ぜ合わせた調味料の味が融合して、新しい味になっている。個人の好みで、醤油が多いかみりんが多いかでバランスが変わったりもする。醤油が多いとやや辛めで、みりんが多いと甘めに仕上がるイメージだ。どちらも違った味わいで美味しい。

 ちなみに、悠利はこの基本とも言える三つの調味料で作る照り焼きしか知らないが、人によっては砂糖や蜂蜜、生姜の絞り汁を加えることもあるらしい。照り焼きもまた、それぞれのアレンジで可能性が広がる料理である。豆板醤トウバンジャンなどを使えば、中華風へと華麗に変身するだろう。多分。

 それはさておき、悠利が求めているのは基本に忠実な、シンプルな照り焼きであった。以前砂糖で味付けに挑戦してみたものの、みりんが足りないだけで違和感が凄かった。何がどうとは言えない。だがしかし、食べてみたときの「この甘辛いのは違う甘辛いだと思う」という違和感はどうにも拭えなかったのだ。

 勿論、みりん無し、砂糖で甘みの味付けを調整した照り焼きも、皆には美味しいと喜んでもらえた。ただ一人、元々の違う味付けを知る悠利だけが、ちょっと不満だっただけである。


「あ、そろそろ焼き目がついたかな?」


 ジュージューと食欲をそそる音を立てているフライパンをのぞき込み、菜箸で肉の端っこを持ち上げてみる。ビッグフロッグの肉は皮が無いので皮目に焼き色という風にはならないが、それでもこんがりと色がついているのが見える。それに満足そうに笑うと、悠利は肉をぐるんとひっくり返して箸で押さえてしっかりとフライパンの熱を押し付ける。

 そうした後に、先ほど合わせておいたたれをくるくると流し入れる。火は弱火と中火の間ぐらいに設定し、ぽこぽことたれが沸騰するようにする。しばらくするとぶくぶくと細かい泡が出るように沸騰を始めるので、その温度を維持する。

 スプーンでたれを掬って肉にかけながら、じっくりと煮詰めていく。ここで焦って強火にしてしまっても、早くたれが蒸発するだけで、肉は固くなるし、味は染みこまない。照り焼きで大切なのは、全体にたれを絡めながら煮詰めることだと悠利は思っている。

 なお、たれをこまめに回しかける時間がないときは、弱火のまま、落とし蓋を入れてから蓋をすることで、不必要に蒸発することなく、たれで肉を煮詰めることが出来る。イメージは煮付けの類だろうか。今は他に料理をすることもないので、悠利はちまちまとたれをスプーンで掬っては肉の表面にかけていた。


「よーし、できあがりー!」


 しばらく煮詰め続け、たれがとろみを帯びて蒸発しきりそうになったところで、火を止める。まな板の上に取り出した肉を食べやすい大きさに切り分ける。じっくりことこと煮詰めたおかげか、包丁がするりと入った。冷蔵庫から既に千切りにしてあるキャベツを取り出すと、それを更に盛り付けてから切り分けたビッグフロッグの照り焼きを載せていく。

 味見用なので小皿二枚分ほどだが、美味しそうに完成しているので悠利は満足そうだった。最後に、フライパンに少量残っていた照り焼きのたれをスプーンで掬って、肉にかける。とろみを帯びたたれは、甘辛い食欲をそそる匂いをさせていて、実に美味しそうだった。


「ハローズさん、お待たせしました」

「お待ちしておりました」

「はい?」

「いえ、とても美味しそうな匂いがしていたので」


 そう言って、まるでなだめるように自分の腹を手で撫でるハローズ。その愛嬌ある仕草に、悠利は小さく笑った。この行商人のおじさんは、相手が大人だろうが子供だろうが、こんな風に楽しいおじさんなのである。

 悠利が小皿と箸を渡すと、ハローズはありがとうございますと礼を言った後に、小さく口の中で何か祈りの言葉を呟いていた。食前の挨拶の文化は、特定の宗教に入っている者はそれに倣うらしいと聞いているので、悠利は気にしない。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》にはそういう人間がいなかったので、実際に聞いたのは初めてだった。

 とはいえ、そんなことは悠利にはどうでも良かった。いただきます、と妙に神妙な顔で手を合わせて食前の挨拶をすると、箸を手にしてビッグフロッグの照り焼きを掴む。まずは、肉だけを食べることにした。キャベツの千切りと食べるのは、後回しである。

 照り焼きの匂いは、一言で言えば甘辛いだろう。食欲中枢を刺激しそうな、実に魅力的な匂いだ。以前砂糖で作ったときとは違う匂いに、悠利は嬉しそうに笑った。これなら、求めた照り焼きを食べられると思ったのである。

 かぷりと囓った瞬間、じゅわりと口の中に広がった肉の旨味と甘辛い味わいに、悠利は顔を綻ばせた。これこそまさに、食べたいと願っていた照り焼きの味である。


「んー、美味しいー」


 にこにことご機嫌の悠利。ビッグフロッグの肉は鶏もも肉と同じような味わいだが、魔物肉なので旨味がぎゅーっと詰まっているのだ。それを甘辛い照り焼きに仕上げたこの肉は、とても美味しかった。二口目以降は、千切りキャベツと共に口に含むことで、キャベツのシャキシャキと肉のジューシーさがマッチして、とても美味しかった。

 とりあえず、目当ての味を堪能出来て、悠利はご満悦だった。半分ほど食べたところで、ちらりとハローズへと視線を向けた。気の良い行商人のおじさんは、真剣な顔をしてビッグフロッグの照り焼きを食べていた。


「……ハローズさん?」

「ユーリくん」

「はい、何でしょうか?」

「確かに、砂糖とは違う甘みですね。とても美味しいです」

「良かったです」


 にこりと笑顔になったハローズに、悠利も笑顔で返事をした。ハローズは、既に照り焼き肉を、キャベツも含めて完食していた。お口に合って何より、と悠利は思う。きっとこれで、照り焼きにみりんが必要だと理解したハローズおじさんが、これからもみりんを仕入れてくれるだろうと思ったのである。




 それは間違っていないが、まさかの味噌のときと同じ「試食販売を手伝ってください」になるとは思っていなかった悠利であった。




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