香りは武器にもなるのです。
「……あれ、何?」
「あー……、田舎から出てきたばかりの、自分が強いと信じ切ってる冒険者?」
「うわぁ」
ちょっとだけ不愉快そうに顔を歪めた
その用事とは、悠利はいつものごとく食材の買い出しで、ルークスはその護衛。クーレッシュは作成したマップを冒険者ギルドに提出。そしてジェイクは、冒険者ギルドのギルマスに頼まれていたレポートの提出と、本屋巡りだった。三者三様ながら、行き先が大体一緒だったので、同道することになったのだ。
そんな彼らは、冒険者ギルドに近づくにつれて聞こえてきた喧噪に首を傾げていた。とはいえ、荒くれ者が所属する冒険者ギルドだ。基本的に王都の冒険者達は大人しいが、腕っ節で生計を立てる人々なので、もめ事は時々起こる。いつもならそれは、すぐさま良心的な冒険者や、ギルド職員によって仲裁される筈であった。
だがしかし、今彼らの前では、粗野な言動の冒険者と思しき者達が、周囲の人々を威圧していた。無駄と思えるほどの威圧。それは、悠利の記憶にある、町中で見知らぬ人にいちゃもんをつけるクレーマー達と同じぐらいには不愉快な存在だった。人としてどうなんだろう、と思ってしまうのだ。人は他人に迷惑をかけながら生きているが、わざと迷惑をかけるのはまた違うと思う悠利であった。
「ねぇ、クーレ」
「……あー、言いたいことは解る。解るけど、なぁ」
じっと見上げてくる悠利の視線に、クーレッシュは困ったように視線を逸らした。クーレッシュは訓練生とはいえ一応冒険者の端くれである。とはいえ、彼は斥候職だ。探索や援護は得意だが、直接戦闘はそこまで得意ではない。まして、今迷惑を振りまいている冒険者達は、いずれも体格が良かった。どう見ても前衛だ。
レレイ連れてくりゃ良かった、とクーレッシュがぼやいたのも、無理は無かった。格闘家のレレイは、細身の女性であるが、父親が猫獣人なのでパワー型なのだ。可愛い見た目をしているが、拳で岩を粉砕できるタイプである。
ちなみに、クーレッシュが行動を起こすのを躊躇っている理由は、同行者が非戦闘員の悠利と、冒険者のくせに体力が一般人並でしかないジェイクを思ってである。任せろ!と言いたげにルークスがぽよんぽよんと跳ねているが、流石に二人分の護衛を任せるのは気が引けた。というのも、クーレッシュが彼らを止めたとして、悠利達が関係者だと知ったら、ちょっかいをかけてきそうだと思ったからだ。
……訓練生にお荷物扱いされるジェイク。彼は相変わらず、役に立たない反面教師なおっさんだった。
どうするかなぁ、とクーレッシュが悩んでいる間に、それは来た。否、その人が、来た。
「貴方達、見苦しい姿を見せないでくれるかしら?」
やんわりとした声音だったが、不機嫌と不愉快と侮蔑をきちんと詰めこんだ声だった。語調は柔らかで女性的だが、声音はれっきとした男性のそれ。どこの誰か聞き覚えのありすぎる三人が視線を向けると、そこには、困ったように頬に手を当ててにっこりと微笑んでいる美貌の主がいた。
「あ、レオーネさんだ」
「あ、あいつら終わったな」
「おやおや、レオーネが冒険者ギルドにいるのは珍しいですねぇ」
「キュキュー!」
悠利がのほほんと呟き、クーレッシュが男達の冥福を祈り、ジェイクが楽しそうに笑った。ルークスは顔馴染みのオネェの登場に、顔を輝かせている。今日も相変わらず麗しいオネェは、とても戦闘ができるような恰好ではないながら、微笑みだけで男達を威圧していた。
男の強さと女の強さを兼ね備えたオネェは、無敵の生き物なのである。さらに彼の人、現在は調香師として香水屋を営んでいるレオポルドは、かつては薬師として冒険者をやっていたお人である。ほっそりとした見た目の割に未だに筋肉はしっかりついているし、荒くれ者達をぶっ飛ばす腕っ節は健在である。普段が穏やかなので忘れがちだが、彼はかつて、アリーやブルックと共に旅をしていた強者なのだ。
「でも、相手は5人ぐらいいるよ?レオーネさん、大丈夫かな?」
「全っ然問題ねーわ」
「レオーネなら心配いりませんよ、ユーリくん」
「そうなんですか?」
「えぇ、むしろ、面白いものが見られますよ」
にこにこと笑うジェイクはとても楽しそうだった。何で?と思いながら悠利が隣を見ればクーレッシュも楽しそうだった。むしろクーレッシュは、レオポルドの手元を真剣に見ている。何か、彼が真剣に見るようなものがあるのだろうかと、悠利は首を傾げながらも視線をそちらへ戻した。
レオポルドは変わらぬ笑顔だった。だがしかし、武装しているわけでもない美貌のオネェの登場に、男達はすぐさま奮い立ったらしい。そこで大人しく、いさめられる程度には自分たちが悪かったと思えれば良いのに、思えなかったらしい。レオポルドの外見が、そこまで無骨では無かったのも原因かもしれない。
お約束とも思える状態で、男達はレオポルドに罵声を浴びせながら近付いていく。何人かが悲鳴を上げるが、それ以上に周囲にいた人々は、あーあと言いたげな顔をしていた。……美貌のオネェは有名人なのである。
「あ」
次の瞬間、悠利は間抜けな声を上げていた。ぽよんぽよんと跳ねていたルークスも、不思議そうにその場でぴたりと動きを止めた。彼らの視界では、どう見ても細身のレオポルドが、自分の倍は体重のありそうな男を投げ飛ばしていた。相手の勢いを利用したのだとしても、見事な腕前だ。
「あたくし、乱暴は好きじゃないのよぉ?」
にこにこ笑いながらそんなことを告げるレオポルド。どう考えても相手を煽っている。解りやすい挑発だ。だがしかし、その挑発に乗ってしまうから、男達はまだまだなのだろう。見事に煽られた男達は、罵声を発しながらレオポルドに向かっていく。普通に考えれば多勢に無勢だというのに、クーレッシュもジェイクも、ついでに傍観者の中の何割かも、ものすごく普通だった。誰一人危険を感じていなかった。
……そこまで絶対の信頼を寄せられるオネェ、強し。
そして、レオポルドは困ったように微笑むと、手首をさっと翻した。その手には、いつの間に握られていたのか、細い小瓶があった。彼が商品として取り扱っている香水瓶によく似た小瓶。
次の瞬間、男達がふらりと傾いだ。倒れるまではいかなかったようだが、明らかにその動きが鈍っている。あれー?と悠利が首を傾げる。ジェイクは相変わらず楽しそうで、クーレッシュは真剣な顔だった。
「ジェイクさーん」
「何ですか、ユーリくん」
「レオーネさん今、香水使いませんでした?」
「アレは香水は香水でも、レオーネの戦闘用ですよ」
「……はい?」
割と本気で悠利は首を捻った。戦闘用の香水とは何ぞや、ぐらいの気持ちだった。しかし、ジェイクはにこにこ笑っている。つまり、それが正しいということだ。この学者先生は、日常生活で遭難しそうになるぐらいにダメ大人であるが、知識量とその知恵は確かである。そして、嘘は言わない。
なので悠利は、もう一度視線をレオポルドに向けた。ふらふらしている男達を、軽々と投げ飛ばし、腹部に蹴りを入れたり、足払いをかけたりしながら倒していく姿は、感動的ですらあった。レオポルドの動きに従うように長い三つ編みと、スカートのように巻かれている布地が翻るのだ。動き一つ一つが実に絵になるオネェであった。
「さっきより、あの人達弱ってません?」
「えぇ、だから、言ったでしょう?戦闘用だ、と」
「……?」
ジェイクの説明は端的で、悠利は不思議そうに首を捻った。そんな悠利の耳に入り込んできたのは、前を見据えたままのクーレッシュの声だった。
「麻痺とか目くらましとかに使える匂いがあるんだよ。魔物除けとかもな。んで、あの人は香りの本職だから、戦闘に応用するのもお手の物なんだよ」
「あぁ、クーレがさっきから真剣に見てたのって、そのせい?」
「そうそう」
納得した悠利の言葉に、クーレッシュは笑顔で頷いた。彼は、薬品を武器にして戦うタイプだった。火炎瓶やしびれ薬などの、町中で使うのは向いていない過激な薬品ばかりなのは、本人曰く、強力な薬品に頼らなければ戦えないから、である。そのクーレッシュのさらに上位互換のような場所に、レオポルドはいるのだ。
眼前の対象者相手に香りで弱体化を図りながらも、周囲の人々には影響を出さない。惚れ惚れするほどの腕前である。また弱体化させた後に、徒手空拳で相手を倒せるだけの戦闘能力も兼ね備えているのが、この美貌のオネェの凄いところだった。
荒くれ者全員を大地に沈めたレオポルドは、困ったように頬に手を当ててお説教を始めていた。ぱさり、と長い三つ編みを払う仕草も、微笑む姿も優美なのに、笑顔なのに、男達を見下ろす瞳だけが、ものすごく怖かった。
曰く、「実力不足が知れてしまうのだから、他人を不必要に威圧するものじゃないわぁ」であり、「王都に来たばかりのようだけれど、ここにはここの流儀があるのよぉ?」であり、「身の程を弁えないと、もっと怖い人にお説教されちゃうわよぉ?」であった。
……お前がやってることが既に怖いお説教じゃないのか、と男達は言いたかったに違いない。かろうじて意識が残っている面々が反論しようとした瞬間、その声は響いた。
「言い訳は、ギルドでお伺いしましょう」
……誰かが知らせたのか、冒険者ギルドのギルドマスター、今日も
哀れ、ちょっと粋がってやらかしてしまった男達は、冒険者ギルドへと連行されるのであった。まぁ、自業自得なので仕方ない。
「あら、ユーリちゃんじゃない。どうかしたの?」
「こんにちは、レオーネさん。レオーネさん、強いんですねぇ」
「あらやだ、見ていたの?いやねぇ、無粋なところを見せちゃったわぁ」
悠利の姿に気づいたらしいレオポルドが、先ほどまでの怖い笑顔とは異なる、いつもどおりの朗らかな笑顔でやってくる。褒められて、少し恥ずかしそうにするレオポルド。昔ちょっと色々あったからよぉ、と言葉を濁す程度には、今の自分に武闘派のイメージが欲しくないらしいオネェだった。
とはいえ、彼がとても強いことなど周知の事実なのだけれど。そこは言わぬが花だった。
「相変わらずの腕前ですね、レオーネ」
「お褒めにあずかり光栄です。でもねぇ、あたくし、もう引退したから、そっちを褒められても嬉しくないのよねぇ」
「その割に、そちらの香水、以前と配合が違うようですが」
「……相変わらず、本当に、そういうところは目ざといわねぇ……。はい、どうぞ。貴方なら、大丈夫でしょう」
「ありがとうございます」
呆れたようなレオポルドから香水瓶を渡されたジェイクは、嬉しそうにその中身を検分している。借りて帰って良いですか?と聞いてくる知的好奇心の塊に対して、レオポルドはその答えが解っていたのか、はいはいと気楽に応じていた。
「レオーネさーん」
「なぁに、クーレくん」
「……たまにで良いんで、指導欲しいっす」
「斥候はティファーナがいるでしょう」
「でもあの人薬品は使わないんすよー。こう、味方を巻き込まずに済む戦法を、俺も」
「貴方はその前に体術鍛えなさいな。ブルックに頼んで」
「……うす」
すげなくお断りされるクーレッシュだった。それでも、自分にそれが足りていないのも理解しているのか、そこまで落ちこんではいなかった。頑張れーと暢気に励ます悠利に答える姿も、いつも通りだったので。
なお、やろうと思えば香りだけで周囲を死屍累々に出来るレオポルドの実力を知っても、悠利は「レオーネさん強いんですねー」で終わるのだった。
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