正体を知っても、何も変わりませんよ?


 とある昼下がり。

 人の少ないアジトの中で、悠利(ゆうり)は黙々と洗濯物を畳んでいた。個人の洗濯物は各々に分配されるが、タオル代わりの布などの共有の洗濯物は、こうやって悠利が畳んでいる。別にそれが苦行ではなく、むしろ喜々としてふかふかになったタオル代わりの布を畳んでいる悠利であった。今日も彼はまったり主夫生活を堪能している。

 そんな悠利と共にリビングにいるのは、本日の留守番役のブルック。見習い組や訓練生達は、それぞれ与えられた課題や任務の消化に忙しく、夕飯までは戻ってこないだろう。そんな平和なアジトで、ブルックは鎧や武器を丁寧に磨いていた。一流の冒険者たるもの、己の装備品の整備は大切な仕事である。メンテナンスは大事だ。

 愛用の剣、刃が弧を描くように反っている曲刀と呼ばれるタイプの武器の手入れをしていたブルックを見て、悠利は瞬きを繰り返した。よく磨かれた刀身に、ブルックの顔が映っている。それは良い。それは別に良いのだ。丁寧に手入れをされた証明だろう。

 だから、悠利が気になったのは、別の部分だ。


「ブルックさん」

「何だ?」

「目が爬虫類になってます」

「……」


 実に端的な悠利の発言に、くるりとブルックは振り返った。その黒の瞳が、いつもと違うものになっていた。悠利が口にしたように、それは、爬虫類の瞳だった。虹彩が縦にしゅっと走った黒い瞳が、見慣れたブルックの顔の中にある。普通なら驚くであろう状況で、悠利はほけほけとしたまま、無言のブルックに対して首を傾げた。


「目、直さないんですか?」

「……知っていたのか?」

「はい?」


 静かな、ひどく静かなブルックの問いかけに、悠利は不思議そうな顔をした。そして、質問の意図を理解したのか、こくんと頷いた。そんな悠利の、ごく普通の、まるで当たり前だと言いたげな態度に、ブルックはゆっくりと息を吐き出した。瞼を閉ざし、次に開いたときにはそこにあったのは、見慣れたいつもの、人間としての黒い瞳だった。先ほどまでの、爬虫類の瞳はどこにもない。

 武器を危なくないようにきっちりと片付けると、ブルックは悠利の傍らに移動する。洗濯物の山、具体的にはタオル代わりの布の山と戦っていた悠利は、そんなブルックを見上げるだけだ。どうかしました?と問いかける表情はいつも通り。自分が口にした言葉の異常性も、その後の普通に会話を続ける態度が少数派だということも、彼は微塵も理解していなかった。流石天然マイペース。


「いつ知ったんだ?」

「いつ?……えーっと、ここに来てちょっとしてからぐらいですか?アリーさんに鑑定の使い方教わってるときに、です」

「アリーが話したのか?」

「いえ、僕がうっかり、鑑定しちゃって」

「そうか」


 ごめんなさい、とぺこりと頭を下げて謝る悠利。無断で相手のステータスを確認するのが悪いことだというのは、解っている。それ故の謝罪だ。そんな悠利の頭を、ブルックはぽんぽんと撫でた。剣士のブルックの手はほっそりとした外見を裏切って大きく、ちょっとごつごつしていた。それでも、悠利の頭を撫でる力は優しいので、少しも痛くはない。

 目が爬虫類、と悠利は形容した。それは間違っていなかった。ある意味で、ブルックは爬虫類だ。彼は人間として生活している、竜人種バハムーンと呼ばれる種族だった。人間の姿と竜の姿を併せ持つ、純粋な竜種から枝分かれした種族だと言われている。戦闘民族としても知られており、竜の姿、人の姿、どちらにおいても圧倒的なまでの戦闘能力を誇っている。……地味に、ほっそりとした外見のブルックが、腕力で殆どの相手に負けないのはそのせいだ。そもそも、武器すら必要が無いのが現実でもある。

 そんなブルックが、人間として生活しているのには、意味がある。

 竜人種バハムーンは、竜の性質を持っている。その為に、身体の一部を竜にすることも出来る。どちらも彼らの本質なのだから、当然だ。そして、竜というのは、その戦闘能力だけでなく、貴重な素材を落とす種族としても知られている。竜人種バハムーンは人として扱われているし、大暴れする魔物寄りの竜以外にも竜と呼ばれる存在はいる。だがしかし、素材を求める輩には、そんなことはどうでも良いとばかりに、襲いかかってくる相手もいるのだ。

 竜人種バハムーンの大半が、竜の姿を隠して、人里で生きるときは人間のフリをしているのは、そのためだ。面倒ないざこざに巻き込まれたくないというのがある。また、竜としての強大な力を当てにされ、何かトラブルに巻き込まれるのも嫌だというのもあった。


「……何も思わないのか?」

「何がですか?」

「俺は、皆を騙していることになるんだが」

「別に、悪いことをしているわけじゃないですし、ブルックさんはブルックさんじゃないですか?」

「……アリーは、何と言っていた?」


 困ったように笑うブルックに首を傾げつつ、悠利は記憶を辿る。うっかり悠利がブルックの種族名を認識してしまったことを報告した時の、アリーの言葉。なお、アリーもまた、悠利がけろっと、普通の顔で、「ブルックさんって、竜人種バハムーンっていう種族なんですか?」なんてのほほんと問いかけてきたときは、頭を抱えていたのだが。普通は、驚いたり騒いだりするのだ。ただし、悠利はこちらの世界の常識など知らないので、認識した事実を事実として受け止めて、伝えるだけなのだ。


「『あいつが黙ってるのには理由があるから、お前も黙ってろ』ってだけです」

「……アリー……」


 そこはもうちょっと別の説明や方法が無かったのか、と小さくぼやいたブルック。だがしかし、すぐに納得もした。相手は悠利なのである。価値観がどこかズレてしまっているこの天然には、細々と事情を説明するよりも、「当人の問題だから黙ってろ」の方が確実に効果的なのだ。

 そもそも悠利は、ブルックが竜人種バハムーンだろうと何一つ気にしていない。ただ、他人に隠しているという事情を知っているから、先ほどの「目が爬虫類になってます」発言に繋がるのだ。自分は知っているから良いけれど、知らない他の面々が戻ってきたときに遭遇したらよろしくないのではないかと思ったのである。天然でも、たまには空気が読める悠利だった。……別方向では全然読んでないが。


「というか、それって何か問題があるんですか?」

「……は?」

「ブルックさんがブルックさんの意思で黙ってるのは解るんですけど、竜人種バハムーンだっていうのを隠さないと駄目な理由とか、あるんですか?」

「……ユーリ、竜人種バハムーンを見たことは?」

「ブルックさんが初めてです」

「……お前の故郷で、竜人種バハムーンの扱いは?」

「…………珍しい種族?」


 ブルックの質問に、悠利はしばらく沈黙してから、答えを出した。まさかそこで、「僕の故郷には竜人種バハムーンいません」とか、「そもそも竜人種バハムーンの存在を知ったのは、ブルックさんに会ってからです」とかを口にするわけにはいかないと、自制心が働いた。なのでとりあえず、人間オンリーな世界の感覚から考えたら、竜と人間の性質を併せ持った竜人種バハムーンはとても珍しい種族だな、と思っての答えだった。

 というか、悠利にしてみれば、本当に、ブルックはブルック、なのだ。それ以外でもそれ以上でもそれ以下でも何でもない。頼りになる兄貴分で、甘味に目がないお兄さん。そんな認識しかしていないので、彼が実は人間では無かったとか、割りとどうでも良かった。

 何しろこの世界には、人間以外の種族がごろごろしている。レレイは父親が猫獣人だし、ヘルミーネは羽根人だ。時々遊びに来るバルロイは狼獣人で、その飼い主のようなツッコミ役のアルシェットはハーフリング。診療所の医者であるニナはウサギの獣人で、錬金釜を作ってくれた錬金鍛冶士のグルガルは山の民。悠利が接した面々だけでも、色んな種族がいた。……迷子のワーキャットの若様にも出会っている。

 それらを踏まえて考えると、ブルックが人間でなかったということなど、悠利には些細なことだった。竜人種バハムーンだからブルックが悠利に危害を加えることも無いし、それを悠利が知ったからと言って、彼が出ていくことも無い。なので、悠利にとってその情報は、割りとどうでも良い分類になっていた。……天然恐るべし。


「珍しいは珍しいかもしれんが……」

「だって、僕にとってブルックさんはブルックさんだから、そういうのどうでも良いかなって感じです」

「……うん。ユーリはユーリだな」

「はい?」


 小さな子供にするように、悠利の頭をブルックは撫でた。色々と身構えて、色々と考えて、警戒してしまった自分がバカみたいになったのだろう。悠利は悠利だった。ブルックが色々考えていようと、そんなことは全部ぽいっと投げ捨ててしまうぐらいに、通常運転だった。


「……何やってんだ、お前ら」

「あ、アリーさん、お帰りなさい。アレ?他の皆はどうしたんですか?」

「他の奴らは、フラウに任せてきた。俺は別口の仕事があるんでな」

「お疲れ様です。お茶淹れましょうか?」

「紅茶で頼む」

「了解です」


 ほのぼのとした空気を出していた二人の元に、アリーが姿を現す。不思議そうな顔をしていたアリーだが、悠利の申し出にはありがたくリクエストを口にするのだった。とてててと台所に向けて走っていく悠利の後ろ姿を見送って、アリーはちらっとブルックに視線を向けた。ブルックの顔は、見たことも無いぐらい、困った顔だった。


「何だその顔」

「いや、ユーリは本当に、つかみ所が無いなと思って」

「今更だろ」

「俺の目を見ても普通だった」

「……あー。知ってたからな」

「知っていても普通は、何かしらの反応をするだろう?」


 ブルックの問いかけに、アリーはひょいと肩を竦めた。相手は悠利である。普通とか常識とか、当たり前とか、そういうものを求めても無駄な場合があるのだと、彼はよく知っていた。……主に、常にあれこれやらかす悠利へのお説教担当として染みついた考えだった。保護者は大変だ。


「良かったじゃないか」

「……うん?」

「俺達以外で知っても、普通な奴がいて」

「……お前とレオポルドは特殊だからなぁ」

「それを言うならユーリも特殊だ」

「はい?僕、普通ですよ?」

「「絶対に違う」」


 ほけほけーっとした声で会話に割り込んだ悠利に返されたのは、大人二人の低い声でのユニゾンだった。えー?と困惑したような顔をしながら、悠利は用意した紅茶をアリーに手渡す。カップを受け取りながら、アリーは低い声で、「お前が普通なわけねぇだろうが」とぼやいた。実感がこもっていた。仕方ない。普段が普段なのだから。

 悠利はブルックにも紅茶を差し出した。こちらは、アリーのそれとは違って、蜂蜜を入れてある。甘党のブルックへのさりげない配慮だ。そういうことを当たり前に行う悠利なので、皆に愛されるのだろう。当人はごく普通に、主夫をやっているつもりなのだけれど。


「ユーリのような考え方は珍しいんだ」

「そうですか?」

「あぁ。……皆が皆、ユーリのように考えるなら、俺は竜人種バハムーンであることを隠したりはしない」

「そうですか……?大変なんですねぇ」

「そうだな」


 能天気な悠利の発言に、ブルックは笑いをかみ殺すようにしながら、紅茶を飲んだ。その隣でアリーは、勝手にやってろとでも言いたげに紅茶を飲んでいた。そんな大人二人の反応に、悠利は不思議そうに首を傾げるのであった。


 たとえその正体が何であれ、大切な仲間であることに、変わりは無いのです。


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