その男、常はただのおバカです。


「……あのー、アルシェットさん、何をそんなに唸ってるんですか?」


 ちょんちょんと小柄なハーフリングの女性、アルシェットの肩を指で突いて、悠利ゆうりは問いかけた。その問いかけに、頭を抱えて唸り続けていたアルシェットは、ゆるりと顔を上げた。種族特性から、成人していても人間の子供のような幼い雰囲気を残した面差しに、げっそりとしたお疲れモードが張り付いていて、悠利は思わず瞬きを繰り返した。……今日のアルシェットは、いつも以上に何かに疲れていた。


「……ちょっとな」

「とりあえず、冷たいお茶でもいかがです?」

「……ストレートの紅茶で」

「了解です」


 どれにします?と言いたげに机の上に冷えた飲み物を入れたピッチャーを並べた悠利に、アルシェットはため息をつきながら要望を伝えた。それににこにこ笑顔で答えると、悠利はグラスに冷えた紅茶を注ぐ。その周囲では、クーレッシュやレレイが、自分のグラスに各々好みの飲み物を注いでいた。クーレッシュは冷えたハーブ水。レレイは冷えた番茶。そして悠利は、冷えた緑茶を自分のグラスに注いだ。……誰一人手を付けなかったジュースの類は、きっと、見習い組達が飲んでくれるだろう。

 それで?と悠利が問いかければ、アルシェットはやはり、疲れたようにため息をついた。もう、ため息が呼吸と一緒になっているレベルだ。何が彼女をそこまで追い詰めているのか、誰にも解らない。


「いや、ちょっと面倒なことが起こっとってな」

「面倒なこと?」

「えー、アルシェットさん、揉め事持ち込みお断りですよー」

「持ち込まへん。つーか、持ち込むような案件ちゃう」

「あ、そうなんですか?なら良いやー」


 面倒なのは嫌だと言わんばかりのレレイの発言に、アルシェットはぱたぱたと手を振った。その返答に満足したのか、レレイはごくごくと喉を鳴らして冷えた番茶を飲んでいた。暑い日には冷たい飲み物が美味しい。

 《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の卒業生であるアルシェットとバルロイは、本日もまた、アジトに顔を出していた。卒業したくせにひょいひょい顔を出す面々など今までいなかったのだが、悠利の作る美味しいご飯に餌付けされた脳筋狼ことバルロイが、土産の食材持参で遊びに来るのは、もはや風物詩になりつつあった。パーティーの他のメンバーは宿屋に泊っているのに、二人はアジトに宿泊する程度には、いつものことになりつつあった。脳筋万歳。

 ちなみに、今日も美味しそうな魔物肉を大量に持参してきている。夕飯が楽しみだ!とイイ笑顔を浮かべた狼獣人の姿に、「うっわー、この人ぶれないわー」と思ったのは、悠利だけでなく、その場に居合わせた全員だった。訓練生時代から何も変わっていないらしい。そんなバルロイは、庭先で見習い達を相手に体術の稽古をしている。……うっかり吹っ飛ばさないように、見張りとしてアロールが張り付いていたりするのはご愛敬だ。


「で、その面倒なことって何なんですか?」

「……バルロイがな」

「「あぁ、やっぱり原因はバルロイさんなんだ」」


 アルシェットがぽつりと呟くと、三人は示し合わせたわけでも無いのに、さくっとハモって呟いてしまった。彼らは悪くない。だって、アルシェットが困っているとしたら、それはだいたいバルロイに関係すると思ってしまうぐらい、彼らの関係性は暴走脳筋狼と、そのフォローに追われるツッコミハーフリングなのである。愛用の槌をぶん回してバルロイを追いかけるアルシェットの姿は、彼らの脳裏に刻まれていた。

 とりあえず、三人のしみじみとした呟きを聞き流して、アルシェットは答えを告げた。彼女が抱え込んでいる、大変面倒くさい問題を教えるために。




「バルロイが、一目惚れされよった」




 しん、とその場が静まりかえった。アルシェットは真剣な顔をしていた。つまり、彼女は嘘を言っていないのだと理解して、三人はごくりと生唾を呑み込んだ。まさか、そんな、と言いたげに悠利とレレイの顔が強張った。クーレッシュは一人、思案顔だ。


「アルシェットさん、それ、冗談?」

「うちはいたって本気や、レレイ」

「でも、バルロイさんですよ!?」

「ユーリ、気持ちは解るが、事実や」

「「一目惚れされたって何!?」」


 衝撃に耐えられなかったのか、悠利とレレイが声を揃えて叫んだ。そんな二人の気持ちがわかるのか、アルシェットは遠い目をするだけだった。彼女だって、信じたくないのだ。だがしかし、現実は無情にそこに転がっているのだ。バルロイと一目惚れ。何て無関係っぽい話題だろう。それが繋がってそこにあるだなんて、誰も認めたくない。……面倒くさい気配がひしひしとするので。

 そんな空気の中、クーレッシュが口を開いた。普段のノリがアレなので忘れがちだが、斥候を担当することもあるシーフのクーレッシュは、情報収集とか分析とかが得意だった。……隣の脳筋気味な同期、レレイに比べたら、随分と。


「アルシェット姉さん、それ、戦闘中?」

「正解」

「襲われてたの助けたとか?」

「クーレ、お前何で解るんや」

「いや、バルロイさん、見た目は悪くないし、戦闘時はめっちゃ恰好良いよなーと思い出しまして。戦闘時は。戦闘してるときは、だけど」

「……畳み掛けるな」


 相棒に対する正しすぎる発言に、アルシェットは額を押さえながら呻いた。だがしかし、クーレッシュの発言は間違っていないのだ。バルロイは脳筋狼で、普段の姿は色々がっかりな残念仕様だったりする。美味しいご飯で簡単に餌付けされたり、子供達と肉の取り合いをしたり、そういう、色々アレでダメで困った男だ。

 しかし、そこは獣人である。戦闘時はとてもとても頼りになる。狼の獣人の中でも大柄で、けれど俊敏な身のこなしも誇るバルロイは、こと戦闘においては、とてもとても頼りになる存在なのだ。クーレッシュやレレイも、戦場を共にしたことがあるので、それは知っている。……知っているが、普段の印象がアレなので、ついうっかり忘れてしまったのだ。仕方ない。彼らは悪くない。


「え?バルロイさん、恰好良いの?」

「「……ユーリ」」


 戦っているときのバルロイを知らない悠利の、無垢な瞳での問いかけが、何だかとても辛いと思う三人だった。だがしかし、悠利が知っているバルロイは、「肉!肉!」と悠利の作るご飯に大騒ぎをしている姿だけなのだ。或いは、阿呆なことを口にして、アルシェットに鉄拳制裁をされているか。そんな姿しか知らない悠利にとって、バルロイ=恰好良いという図式は成り立たない。

 悠利の中のバルロイは、面白い人だ。あと、美味しくご飯を食べてくれる人。大柄な体躯に狼獣人特有の耳と尻尾がふさふさしていて、触ったら気持ちよさそうだなーとか暢気なことは考えるが、にかっと笑う笑顔が印象的な、面白いお兄さんなのだ。恰好良い要素がどこにも無かった。残念ながら、それが事実だ。


「で、何で一目惚れされるなんて状況になったんですか?」

「いや、任務の帰り道で、魔物に襲われてる商人の馬車を助けたんや」

「ふむふむ」

「そこに年頃のお嬢さんがおってな?颯爽と現れた上に魔物を瞬殺したバルロイに、目がな……。こう、ハートというかな……」

「「……あぁ」」


 目に浮かぶようだ、とクーレッシュとレレイは思った。バルロイは身体能力が高い上に、基本的に善人だ。考えるよりも先に身体が動くタイプではあるが、魔物に襲われている人を見つけたら、問答無用で魔物をぶっ飛ばすだろう。しかも無駄に強いので、大抵の魔物は瞬殺される。そうして、まるで白馬の王子様よろしく助けられたそのお嬢さんは、戦闘時限定のシリアスモードで恰好良いバルロイに一目惚れしたというお話だ。

 ……なお、悠利だけは、その「戦闘時限定シリアスモードの恰好良いバルロイ」というイキモノが想像出来ずに、ひたすらに首を捻っていた。悠利の中のバルロイは、人懐っこい大型犬が擬人化したみたいな感じだった。概ね間違っていないのが辛い。


「で、先を急いどったっちゅーのもあって、挨拶もそこそこに別れたんや」

「「あ」」

「それで終わっとったら良かったんやけど、何の因果か、ここで再会してしもた……」

「「うわぁ……」」


 バルロイの本質を教える暇も無いままに、彼らは助けた商人一行と別れた。その段階で、そのお嬢さんの頭の中で、バルロイへの憧れは天元突破したのだろう。きっと、見返りを求めずに人を救う義侠の人とかいう設定がくっついたに違いない。その誤解が解けなかったとしても、二度と会わないならば問題はなかったのだ。だがしかし、何の因果か王都ドラヘルンで再会。なんてこったい。

 バルロイの方は彼女のことを殆ど覚えていなかったので、アルシェット達が適当に話題を逸らしてお別れしたという。しかし、彼女は本気らしく、このままでは、ここに逗留しているのを調べ上げて、会いに来る可能性もなきにしもあらず、という状況だった。……何故だろう、当事者の筈のバルロイが一番我関せずで、アルシェットが一人で頭を抱えている構図しか出てこない。


「恋に恋するお年頃のお嬢さんやで?自分のピンチを救ったあげく、見返りも求めずに去って行った、恰好良い戦士っちゅー認識しとるんやで?」

「「…………」」

「……せやけど、バルロイはアレやねん。普段と戦闘時は全然別人やねん。あの阿呆見られたら、どうなるか……!」


 わなわなと震えながら呻いた後に、アルシェットはグラスの中の冷えた紅茶を一気に飲み干した。あまりに一気のみしたせいで、キーンと冷えが襲ってきたが、そんなことはどうでも良いとばかりに、お代わりを要求してきた。そんなアルシェットにお代わりの冷えた紅茶を注ぎつつ、悠利はふとアルシェットの斜め後ろに視線を向けた。

 そこには、渦中の人であるバルロイが、不思議そうな顔をして、右腕にヤックとカミールをぶら下げて立っていた。ちなみに、何故かアロールが肩車されていて、物凄く不機嫌そうだった。マグとウルグスは庭に残っているのか、外から声が聞こえている。


「アル、どうした?頭でも痛いのか?」

「……せやな。誰かさんのせいで、万年頭痛や」

「それは大変だ。よし、今すぐ薬屋に行ってき」

「行かんでえぇ」

「そうか?それなら行かないが。無理はするんじゃないぞ?」


 ぽすぽすと大きな掌でアルシェットの小さな頭を撫でるバルロイ。悪人では無い。間違っても悪人では無い。むしろその本質は、物凄く善人だ。ただし、脳筋狼というあだ名が示すように、阿呆なのだ。細かいことが考えられない、大雑把で本能だけで生きているような男なのだ。……何でコレに一目惚れしたんや、とアルシェットがぼやいても、多分、無理は無いのだ。どう考えても、拗れる未来しか無い。

 そんなアルシェットの嘆きなど届かずに、バルロイはぶら下げたヤックとカミールを、腕を上下させることで遊ばせていた。なお、肩車をされているアロールは、早く降ろせと言わんばかりにバルロイの耳を引っ張っているのだが、無視されていた。子供枠に押し込められたらしい。哀れ。


「アルシェットさん」

「何や、ユーリ」

「とりあえず、そのお姉さんに、バルロイさんの日常を見て貰った方が早くないですか?」

「……は?」

「百年の恋も覚める感じで」

「「……あぁ」」


 子供達と同じレベルで遊んでいるバルロイを見ながら悠利が告げた提案に、三人は遠い目をして嘆息した。確かに、物凄く説得力があった。そのお嬢さんが見ていたのが戦闘時限定の恰好良いバルロイだと言うのなら、今彼らの目の前にいる、子供とお菓子の取り合いをする阿呆の狼バルロイは、確実に幻滅対象だろう。


「……それで諦めて貰おか」

「そもそも、バルロイさんにその気、無いですよね?」

「あいつにそんな感情の機微が備わっとるわけないやろ」


 身も蓋もないアルシェットの発言だった。でも誰も否定できなかった。だってバルロイはバルロイだから。脳筋狼は今日も愉快に脳筋狼なのだ。


 

 かくして、アルシェットに誘導されてやってきた商人のお嬢さんは、悠利の目論見通り、あっさり一目惚れから解放されたのでありました。温度差って残酷ですね。

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