大人と子供と今必要なこと。


「ユーリくんは、マグにはちょっと甘いですねぇ」

「……そうですか?」


 悠利ゆうりと二人でのほほんとお茶タイムを楽しんでいたジェイクが、ふと思い出したように話題を切り出した。悠利はと言うと、言われた内容に首を捻っている。自覚は、多少ある。なので、返答までに間があったのだ。

 本日のお茶菓子である、砂糖多めで甘めに作ったわらび餅と、抹茶粉を混ぜて緑に仕上げたわらび餅の二つを美味しそうに食べながら、ジェイクは悠利を見ている。普段は色々ダメ人間反面教師みたいな扱いのジェイク先生だが、時々こんな風に、大人だとわかる面差しを見せる。確かに、学者だけあって、頭は良いのだ。……頭は良いのだが、色々とアレすぎる、という評価だったりするけれど。


「君は皆に公平にする子だと思っていたのですけれど、理由を伺っても?」

「……理由、ですか?」

「えぇ、君が、マグに甘い理由です」


 にこにこと笑っているジェイクに、悠利は困ったように笑って、けれどゆっくりと口を開いた。視線は手の中の湯飲みに落としたまま、ぽつりと呟いたその声は、ほんの少し困っているようで、けれど自分の信念を曲げる気配だけは少しも見えなかった。


「マグには、今、それが必要なのかなって、思ったんです」

「……それ?」

「はい。何があっても味方でいてくれる人。何があっても甘やかしてくれる人。甘えに行って、それを当たり前みたいに受け止めてくれる人が、マグには必要なのかなって」

「……君は時々、年齢以上に大人のような考え方をしますねぇ」


 悠利の答えに、ジェイクは穏やかに微笑んだ。いつもと同じ優しい笑顔だった。文系の、学者先生の、笑顔だ。けれど、その瞳に浮かぶ光は、いつものそれとは違って、叡智と慈愛に満ちていた。あぁ、この人、偉い学者先生だったんだなぁ、と思わせてくれる感じで。


「どうしてそう思ったのか、聞いても良いですか?」

「ただの勘ですよ?」

「その勘が知りたいので」


 にこにこと、もういつもの笑顔に戻ったジェイクが、美味しそうにわらび餅を摘まみながら答える。そんなジェイクに首を傾げて、けれど悠利もまた、いつもの表情に戻って口を開いた。しんみりするのは苦手なのである。


「マグって、人を選ぶじゃないですか」


 悠利が告げた一言に、ジェイクは何も言わなかった。その代わり、先を促すように視線を向ける。それは、ジェイクもまた、悠利と同じ認識をしているという証明でもあった。

 そう、マグは人を選ぶ。スラム街で育った孤児という生い立ちがそうさせるのか、あの小柄な少年は、警戒心の塊なのだ。このアジトにいる面々に関しては、クランの仲間ということで認めているのだろう。別に協調性がまったく無いわけではない。日常生活を送る上では、アジトの面々と仲良くやれている。

 だが、マグは絶対に、最後の一線を越えさせようとはしない。


「指導係の皆さん相手でも、どこかで一線引いてますよね?で、マグが唯一内側に入るのを許したり、自分から入っていこうとしているのは、ウルグスと、僕だけかなって思って」

「良い見立てです。……というか、ユーリくん、ほわほわしてる割りに、人を見てますよねぇ……」

「え?それ、ジェイクさんにだけは言われたくないんですけど」

「……そして、相変わらずこう、さらっと、ざくっと、人の心を抉りますよね……」


 真面目に会話をしていたはずなのに、ジェイクがぼそっと本音を呟いたら、凄い勢いでブーメランされてしまった。だがしかし、ジェイクなので仕方ない。普段、アジトで行き倒れている姿ばかりを目撃されている学者先生なのだ。悠利の反応も無理は無かった。

 真面目な話だけれど、真面目な雰囲気にならないのが、この二人らしかった。マイペースな天然と、マイペースなダメ大人の二人では、仕方ない。


「まぁ、良いです。つまりユーリくんは、自分がマグに「甘えられてる」側なので、甘やかそうとしているというわけですか?」

「そんな感じです」


 にこにこと笑いながら、悠利もわらび餅を口に運んだ。もちもちひんやりなわらび餅は今日も美味しかった。お手軽に作れるのに、美味しいなんて完璧だ。今日は砂糖を少し多めに作ったので、何も付けなくても甘くて美味しい。口の中でとろんと溶けていくわらび餅の感触を楽しみながら、悠利もジェイクもにこにこと笑っていた。

 悠利がマグを甘やかそうと決めたのは、マグの状態が「愛情を与えられなかった人間が、愛情を得られると思って甘えている」のではないかと考えたからだ。この辺りは、テレビや本から得た知識なので、悠利にはちゃんとした心理学の分析とかは出来ない。ただ、小耳に挟んだ情報で、「そういった状態は、与えて欲しいと願った相手が与えてくれる状況だからこそ起こる」みたいな理解をしていた。

 つまり、マグは、悠利なら甘やかしてくれると本能で察知して、多少の我が儘を口にしたりするのだろう。同じ理由で、マグがウルグス相手には色々と対応がぞんざいなのもそれに含まれる、と悠利は思っている。


「マグの警戒心は、魔物レベル」

「あれ、アロールいたの?」

「お腹減った」

「はいはい、わらび餅食べる?」

「食べる」


 面倒くさそうにぼやいたのは、魔物使いの10歳児、アロールだった。今日も首に相棒の白蛇、ナージャを巻き付けてのご登場だ。従魔の先輩の登場に、悠利の足下で大人しくしていたルークスが、ぽよんと跳ねた。そんなルークスに対して、ナージャはシャーと息の音をさせるだけだった。その後はどうでも良さそうにアロールの首に巻き付いたまま、動かない。いつもの光景だった。

 悠利の隣に座り、アロールはわらび餅を摘まむ。ジェイクも悠利もにこにこ笑っているだけなので、アロールも気にしない。この二人は基本がのほほんとしているので、他人が増えてもにこにこなのだ。……ジェイクは冒険者の筈なのに、警戒心と殆ど無縁だった。ダメ大人代表は相変わらずだ。


「で、魔物レベルってどういうこと?」

「野性の魔物と同じぐらい、他人に許すものが少ないと思う」

「おや、アロールも気づいてたんですか?」

「最初から見てるし。……ここに来た当初は、正直、僕は、マグは人間じゃ無いのかと思ってた」

「おやおや」


 楽しそうに笑うジェイクに、アロールはだって、と小さくぼやいた。まだ幼い彼女にそんな風に思わせるほどに、当時のマグは人形めいていたのだ。悠利は、以前ウルグスに聞いた、「最初の頃は人形みたいだった」という話を思い出した。今のマグは、ちょっと感情表現が独特なだけで、いたって普通の……いや、ちょっと変わっているかも知れないが、とりあえず、15歳の少年だ。けれどアジトに身を寄せた頃のマグは、そうでは無かったのだという。

 人形のような、と称されるほどに、マグは周りを信じていなかったのだろう。自分より力のある大人には逆らわない。何かを言われれば素直に従う。決して反抗的では無い。だが、そこに、歩み寄ろうとする気配はあまり無かった。


「ウルグスはあの性格ですからねぇ……。マグが何度拒絶しても、こう、ぐいぐいと」

「口が悪いけど、ウルグスは面倒見が良いから」

「ウルグスって、見た目と言葉遣いで誤解されるだけで、普通にお兄ちゃんタイプですよね~」


 その場にウルグスがいないので、全員言いたい放題だった。実際、口は悪いが面倒見の良いガキ大将兄貴分タイプのウルグスは、何だかんだと言いながら周囲の面倒を見ている。フリーダムなマグの首根っこを引っ掴んで、通訳をしながらアレコレやっているのは日常だ。そして、マグがそんな立ち位置を許しているのも、ウルグスだけだったりする。

 

「何々?何か面白い話?あ、美味そう。アロール、俺にも一口」

「自分で食べれば」


 ひょっこり現れたカミールは、アロールにわらび餅を強請るが、面倒そうに器ごと渡されていた。それを気にした風もなく、ひょいひょいと摘まんで食べる程度には、カミールは今日もカミールだった。黙っていれば良家の子息めいた面差しなのに、相変わらずマイペースだ。


「んで、何の話?」

「んー?マグがウルグスに懐いてるって話」

「え?懐いてんの、アレ?」


 驚いたように呟いたカミールに、三人はひょいと肩を竦めた。その反応に、カミールはわらび餅を口に含みながら、うーん?と考え込んでいる。彼の中では、ウルグスとマグはしょっちゅうケンカをしている先輩コンビなのだ。仲良しなのか?と一瞬考えてしまうのは、マグがウルグスに対して色々アレだからだろう。

 だがしかし、その、近すぎる距離が、適当すぎる扱いが、逆に気を許している証明なのだ。その証拠みたいなやりとりが、皆の耳に届いた。


「てめぇ、マグ!それは俺のだって言ってんだろう!?」

「拒否」

「拒否じゃねぇええ!食うな!お前自分の食っただろ?!」

「……拒否」

「一人二つずつだろうが!お前自分の二個食ったんだから、俺のにまで手を伸ばし、……囓るな、阿呆ぉおおお!!」


 ちらっと視線をそちらに向けたところで、姿は見えない。ウルグスとマグは台所で大騒ぎをしているのだ。リビングでのほほんとしている彼らには解らない状況だ。その台所からやってきたカミールが状況説明を買って出た。


「悠利が作り置きしてくれてた炊き込みご飯のおにぎり食べてる」

「「なるほど」」

「ヤックとカミールはちゃんと食べたの?」

「おう。俺ら食べた。ウルグスは後から来たから、食べてる途中でマグにつかまったんじゃね?」

「その辺が、マグだよねぇ」


 思わず笑う悠利に、カミールは何で?という顔をした。マグが出汁に突撃するのはいつものことで、昆布出汁で美味しく仕上げた炊き込みご飯なんて、マグホイホイでしかない。それは解っているが、ウルグスの取り分に突撃するマグの、どこが微笑ましいのかカミールには解らない。


「ねぇカミール、マグがああやって、個人の分まで取りに行っちゃうの、ウルグスだけだって気づいてる?」

「……へ?」

「大皿の争奪戦とかはともかく、小分けにした分まで取りに行くの、ウルグス相手だけなんだよねぇ」

「……あ、言われりゃそうだわ。俺もヤックも、取られたことねぇわ」


 ぽん、と手を叩いたカミールに、悠利とジェイクはにこにこと笑っていた。アロールは、鈍感と低い声で呟いている。この10歳児の僕っ娘が辛辣なのはいつものことなので、カミールは気にしない。そうかそうかと何かに納得したように、わらび餅を食べ続ける。……炊き込みご飯のおにぎりを二つ平らげてきた筈なのに、何故まだわらび餅を食べられるのか。育ち盛り恐るべし。


「あれ、甘えてるんだ?」

「そうだよ」

「……ウルグスは?」

「ウルグスは多分、何だかんだで解ってるんじゃないかなー」

「マジで?」


 驚いた顔をするカミールだったが、遠くから聞こえてきた会話に、そうかもと小さく呟いた。ウルグスは口が悪いけれど面倒見が良いというのは彼もよく知っていた。マグを相手に、通訳をしているのも知っていた。その証明みたいな会話が、届いたのだ。


「解ったから、せめて半分は返せ」

「………………諾」

「元々俺のだっつーのに、間が長いわ!」

「……痛い」

「うるせぇ」


 どうやら、結局折れたウルグスが、マグにおにぎり半分をプレゼントしたらしい。おやつ扱いなので、別に分けてやっても良いだろうと思ったのかも知れない。いつもの、二人だった。


「マグも、早く皆に素直になれたら良いのにねぇ」

「それ遠そう」

「え?マグが俺らにも素直になるとか、あんの?」

「まぁ、ウルグスとユーリくんにしばらくはお願いしましょうかねぇ」


 のほほんと笑ったジェイクの言葉に、異議無しとアロールとカミールが呟いて、悠利は思わず苦笑した。まぁ、別にやることが変わるわけでは無い。不器用ながら、人間らしく、成長していこうとしているマグを見守るのは、皆の共通認識なのだから。


 昔々に取りこぼした何かは、途中で回収できることもあるよ、というお話です。

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