読み書き算術は高学歴でした?


「あれ?皆、今日はお勉強の日?」

「おやユーリくん。買い出しは終わったんですか?」

「はい、終わりました」


 リビングのテーブルで必死に紙と向き合っている見習い組達を見て悠利ゆうりが呟けば、彼らの指導をしていたジェイクが穏やかに声をかける。本日の買い出しを終え、冷蔵庫に食料を片付けた後にリビングに来た悠利は、珍しく座学に励んでいる見習い組達の姿に首をひねっていた。

 確かに、確かにトレジャーハンターといえど、冒険者といえど、学問は必要だ。少なくとも、必要最低限の読み書き算術が出来ないと、危険である。何が危険かって、文字が読めなければ、書けなければ、簡単な計算が出来なければ、騙されることだってあるのだから。

 悠利が見た限り、特に苦労することもなく問題を解いているのは、ウルグスとカミールの二人だった。彼ら二人は書いている文字もバランスを崩すことなく書かれている。……ように、見えた。というか、悠利には自動翻訳が付いているらしく、こちらの世界の文字が自動的に翻訳されて映る。書いた字も、日本語で書いているのに自動的に翻訳されているのか、それで通じてしまうのだ。転移補正か何かだろうか。

 もっとも、数字と数式に使われる記号に関しては、悠利のしっているものと同じだった。つらつらと書かれた計算問題を、ウルグスとカミールはあっさりと解いている。若干カミールの方が進みが早そうだなと思いながら、悠利はちらりとその隣で、一生懸命文字の書き取りをしているマグとヤックを見た。

 マグもヤックも、どこかぎこちない所作で文字を書いている。読めるのは読めるが、慣れぬ子供の手習いと解るような文字だった。あれ?と悠利が疑問を抱いたのは、何故そんなに文字を書くことに苦労しているのだろう、ということだった。日本人である悠利にとって、読み書きはごく普通に出来て当たり前のことだった。けれどここは異世界で、そのことに悠利が気づくまで、少しだけ時間が必要になったのだ。


「もしかして、マグとヤックは、ここで初めて文字を習ったの?」

「……諾」

「オイラは違うよ。村でもちょっとだけ習った。でも、ちょっとだけだから」


 こくりと頷いたマグと、訂正を入れてくるヤック。あぁ、やっぱりそうなんだと悠利は思った。ここは異世界なんだなぁ、と何となく思ってしまった。文字を書くなんて、悠利には当たり前のことだった。けれど、この世界には普通の学校は存在しない。貴族達が礼儀作法を学ぶような学校だけで、一般人の識字率を高める学舎などないのだ。

 そもそもが、農村出身のヤックはともかく、マグの出身はスラムだ。その日を生き抜くことが最優先のスラムで、読み書き算術を覚えている暇などなかったのだろう。マグはいつも通りの無表情に、ほんの少しだけ面倒そうな色を足した表情で、黙々と書き取りをしていた。


「じゃあ、ウルグスとカミールは?」

「俺は家で家庭教師に、読み書き算術とあと歴史その他諸々叩き込まれた」

「俺は読み書きと、家が商家だったから、簡単な算術習った」

「やっぱり、人によって習熟度違うんだねぇ」

「「しゅうじゅくど?」」


 首を捻る二人に、解りにくい言葉だったかなと悠利が内容を説明しようとすると、それより早くジェイクが穏やかに口を開いた。普段は駄目な大人代表で、アジトの反面教師代表なんて言われているジェイクだが、学者だけにその知識は豊富で、さらに教えるのも上手な人物だった。


「習熟というのは、色々なことを覚えてたり身につけたりすることです。そして、習熟度とはその進み具合、つまり、貴方達がどれだけ読み書き算術をしっかり身につけているかということですね」

「……ユーリは小難しい言葉知ってるよなぁ」


 ジェイクの説明で一応納得したのか、カミールが小さくぼやいた。そうかな?と悠利が首を捻っているが、現代日本で施されている基礎教育というのは、そういった素養の無い世界においては、一定水準以上になるのだろう。当人にその自覚がなかったとしても。

 とはいえ、悠利に解るのは、転移補正のおかげか勝手に翻訳される読み書きと、数字も記号も変わらないために当たり前みたいに使いこなせる四則計算ぐらいだ。この世界における歴史とか一般常識などについては、まだまだ手探りの部分が多い。……というか、日々をアジトの主夫担当として過ごしている悠利にとって、その手の知識がなかなか増えないというのが事実だった。

 

「ユーリくんも一緒にやりますか?」

「んー、そうですね。手は空いているので、混ぜて貰おうかな~」

「では、これをどうぞ」

「はい」


 そう言ってジェイクから手渡されたのは、簡単な四則計算の紙だった。特に問題も無くすらすらと解いていく。ゲーム感覚でやるならば、明らかに小学生レベルの計算だろうと、楽しんでやれるものである。遊び心を増やすならば、数字ではなく漢数字で計算問題の数字部分を書くと、それだけで何だかクイズみたいになって難易度は上がる。

 とはいえ、高校生の悠利にしてみたら、簡単な計算だ。隣で呆気に取られているウルグスとカミール、目を点にしてるヤック、固まっているマグの反応など気にしないで、鼻歌を歌いながら解いている。そんな悠利を見て、ジェイクは楽しそうににこにこと笑っていた。


「出来ました~」

「はい、うん。全問正解ですね。じゃあユーリくん、次はこっちの問題を」

「はーい」


 渡された紙は、数字の桁が増えていた。とはいえ、四則計算であることは変わらず、ほぼ暗算で解けるレベルだった。あんぐりと口を開けていたウルグスが、ぽんぽんと悠利の肩を叩いた。悠利は首を傾げながらそちらへと視線を向ける。


「何、ウルグス?」

「お前、どんな頭してんだ?」

「え?どんなって、……何が?」

「いやいやいや!商人でもないのにその計算速度、ありえないだろ!?」

「えー、これぐらい普通だよ~」


 カミールの叫びに、悠利はへらっと笑った。嘘だと叫ぶ見習い組達と裏腹に、ジェイクはふむと納得したように呟いていた。悠利が解いている途中の問題文をひょいっと取り上げると、途中まででも全問正解であることを確認して、口を開く。


「ユーリくんの故郷では、算術も基礎教養ですか?」

「はい。読み書き算術、算術は四則計算がおそらく基礎になります」

「なるほどなるほど。それは実に素晴らしいことです。読み書きと基本的な四則計算が出来るというだけで、生きて行くのはとても簡単ですからね。極端な話、国の成り立ちも、戦の経緯も、知らなくとも庶民は生きていけるのですから」

「「……?」」


 何やらいきなり真面目な話を始めたジェイク先生に、悠利も見習い組達もきょとんとした。うんうんと一人だけ納得しているジェイク先生。そこから何か語りが始まるが、彼らは揃って、無視をすることにした。スイッチの入ったジェイクの語りは面倒くさい。あと、こっちが聞いていなくても話続けるので、放置が1番だった。

 とりあえず与えられた課題に勤しむ見習い組達を見ながら、悠利は書き取りに四苦八苦しているマグに声をかけた。家庭教師に習っていたというウルグス、家業の関係で仕込まれたというカミールと異なり、スラム育ちのマグに学問を学ぶ機会など無かったのだろうと思ったからこそ。


「マグは、今までは読み書きとかどうしてたの?」

「……読むは、可能」

「読めたけど書けなかったってこと?」

「諾」


 ところどころ歪んだ文字を、それでも一生懸命書き取っているマグの顔は、いつも通りのほぼ無表情だった。そんなマグの話を、ヤックがどこか興味深そうに聞いていた。自分と違う環境の人間の話というのは、何だかんだで気になってしまうのだ。


「読めない、騙される」

「……うん?」

「支払い、騙される」

「……う、うん」

「読める、大事」

「……そ、そっかぁ。そうだねぇ。それは大事だねぇ」


 しみじみとした口調で呟かれた言葉に、相変わらず、マグの過去が彼らの知っている常識と違う場所にあるのだなぁと四人は思った。ウルグスはため息を一つついて、カミールは視線を明後日の方向に逸らして。そして、悠利とヤックはあははと乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


「でもまぁ、実際、農村とかから出てきたばかりの冒険者だったら、まともに読み書きできない人も多いって聞くぞ」

「そうなの?」

「そうそう。だから、冒険者ギルドの受付では、代筆もしてくれてるはず」

「そう考えると、ヤックは結構優秀だってことになるのかな?」

「オイラも、ここでちゃんと教わるまでは、読めるだけで、書けるのは殆ど自分の名前ぐらいだったよ」

「そうなんだ」

「そうだよ」

 

 カミールに告げられた現実に、悠利は瞬きを繰り返した。読み書きはやはり難しいのかという認識を新たにした。そう考えると、転移補正で自動翻訳されている自分は、随分と恵まれているなぁと彼は思うのだった。割と本気で。


「ヤックは、どこで文字を習ったの?」

「教会だよ」

「教会?」

「そう。神父様が、簡単な読み書きとか計算を教えてくれるんだ!」

「へー。教会が学校の代わりなんだ」


 なるほど、と悠利は納得した。庶民のために読み書き算術を教える学校というのは、この世界には存在しない。その代わりとして、庶民に必要最低限の知識を与える場として教会があるのかも知れない。この世界の教会というのは技能スキル至上主義なのかと訝しんでいたが、そうでない部分もちゃんとあるらしいと思って安心した悠利だった。


「とはいえ、その教会で必要最低限習うってのが不可能な奴らもいるけどな」

「そうなの?」

「辺境の村とかになると、そもそも教会が無いんだと」

「え」

「そうそう。教会が無くて、祝福とか葬式とかは、村長が行う地方もあるんだってな?」

「……わー、世界って広いねー」


 次から次へと教えられる異世界の情報に、悠利は遠い目をした。やっぱりここは異世界なんだなぁと痛感してしまったのだ。知らない世界がたくさんだった。そして、やはり、現代日本というのは何だかんだで文明社会で、平和で安全だったのだと痛感するのだった。

 とはいえ、この異世界が嫌いかと言われたら、そんなこともない。何だかんだで楽しく生活している悠利である。……何でホームシックにならないのだろうか、この乙男は。


「俺らはさ、ここで色々教えて貰えるから、ラッキーなんだよ」

「カミール?」

「そうだな。普通はこんなことまで教えてくれない」

「ウルグス?」

「基礎、大事」

「マグ?」

「ギルドの初心者講習が終わったら、こんな風に親切に色々教えてくれる場所なんてないんだよ!」

「……あぁ、つまり皆、《真紅の山猫ここ》が大好きってことだね?」

「「正解!」」


 唐突に始まった語りを要約してしまえば、苦手な勉強、座学を頑張るぐらいには、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》をありがたいと思っている、ということだった。それならそれで、素直に最初から好きだと言えば良いのにと思って、まぁ、お年頃の男の子は素直に言えないのかな?と思った悠利だった。……お前もほぼ同年代だというツッコミは誰からも入らない。だって全ては悠利の脳内だし。



 なお、一人語りに熱中しているジェイクの代わりに、悠利が見習い組達の勉強を見ている状況に、アリーの雷がジェイクを直撃したのは言うまでも無いことだろう。いつものことだ。


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