玉子焼き器が欲しいのです。


「ユーリくん、頼まれていたフライパン、出来上がりましたよ」


 こんにちは、と笑顔でハローズが訪れ、庭先で洗濯物を干していた悠利ゆうりに言葉をかけた。悠利の周囲にいた見習い達は口々にハローズに挨拶をしている。悠利は挨拶もせず、固まっていた。そして、次の瞬間。


「本当ですか、ハローズさん?!」

「はいはい、ちゃんと、職人さんから受け取ってきました。どうぞ」

「わぁ、ありがとうございます!」


 ハローズが差し出したのは、四角いフライパンだった。何それ、という顔で見習い達が覗き込んでいるが、悠利は気にしない。ハローズから受け取った四角いフライパンをチェックして、顔を輝かせている。この四角いフライパンは、悠利がハローズを通して職人に頼んで作って貰った、特注品だった。特に商売のためではなく、悠利の個人的な欲求を満たすためのフライパンである。


 そう、四角いフライパン、すなわち、玉子焼き器である。


 悠利は、玉子焼きが食べたかった。日本人には大変馴染みのある卵料理だろう。目玉焼きと二大巨頭かもしれない。アジトにあるのは丸いフライパンばかりなので、オムレツは作れても玉子焼きは作れないのだ。え?丸いフライパンでも玉子焼きは作れる?四角くない玉子焼きなど、玉子焼きとは言いたくない悠利なのです。


「ユーリ、それフライパン?」

「うん。でもただのフライパンじゃないよ。玉子焼き器って言うの」

「「玉子焼き器?」」


 それフライパンと何が違うの?という心境で見習い達は首を捻った。ハローズは笑いを堪えている。彼は、悠利が職人に四角いフライパンの説明をするときに傍に居た。試しに作って貰った四角いフライパンで、彼が作った玉子焼きなる料理を食べてもいる。確かにオムレツとは違う味わいで、それを気に入った職人は、実は自分の分も作っている。なお、ハローズも自宅用を作って貰った。彼の嫁は現在、絶賛玉子焼きの練習中である。


「よし、久しぶりだから僕も練習しよう!」


 何か勝手に決意を固めた悠利は、洗濯物を干すスピードを上げた。つられて見習い達のスピードも上がった。それをハローズは、微笑ましそうに見ていた。……玉子焼き器を渡して帰るのかと思ったら、おっさんはまだ居座るつもりらしい。何か面白いモノを探しているのかもしれない。ハローズの中で、悠利は「とりあえず要求に応えて何かを与えると、倍ぐらいにして面白い事を返してくる子」になっていた。間違ってないところが辛い。

 そして、洗濯を終えた悠利は、後ろに見習い組とハローズを引き連れて、台所へと向かった。アジトの掃除を頑張っていたルークスの頭を途中で撫でる。ルークスも追いかけてきたのだが、悠利が調理をするために台所に入るのだと理解した途端に、回れ右をした。調理中は衛生面を考えて近寄らない、実に賢いスライムだった。……なお、調理が終わると、生ゴミの処理にやってくる、本当に賢いスライムである。スライムって賢かったか?という皆の疑問には「ユーリの従魔だから」という魔法の呪文が答えになっている。


「じゃあ、お昼のおかずがてら、玉子焼きをいっぱい作ります!」

「いっぱい?」

「正確には、色んな味の玉子焼き?試食して、好みのやつを教えてね。それがその人のお昼のおかずです」

「「了解!」」


 見習い組は実に素直に、素晴らしい返事をした。彼らは美味しいご飯が大好きだった。食べ盛り、育ち盛りの子供達である。未知の料理だろうと関係無い。彼らにしてみれば、悠利が作るご飯は基本的に、何でも美味しいのだ。……餌付けされているとか言わないで下さい。それ言っちゃうと、アジトの面々全員、胃袋掴まれてますので。

 そんな見習い達の目の前で、悠利はとりあえず卵を二つ、ボウルに割った。なお、そのボウルは普通のボウルとちょっと違って、注ぎ口が付いているタイプだ。先人の知恵は素晴らしい。注ぎ口が付いているだけで、卵がどぱっと零れたりしないのだ。実に素敵だ。

 まず最初に悠利が作るのは、彼が普段食べていた玉子焼きだ。味付けは、顆粒だしと醤油。本当は出汁醤油があると一番お手軽なのだが、見つからなかったので仕方ない。辛くならないように分量を見極めながら入れると、そのままパカパカと音をさせて菜箸で混ぜる。何が出来るのかと興味津々の見習い達に、卵焼くだけだよ?と笑う悠利であった。ちなみに、美味しい玉子焼きを焼くコツは、混ぜすぎないことなので、白身が切れる程度にしておいた。

 なお、出汁の信者マグの目が、物凄く真剣に卵を見ていた。顆粒だしが入っている時点で、マグの選ぶのは多分この玉子焼きだろう。解りやすい。


「で、玉子焼きって結局何?何でその四角いフライパンでないとダメなわけ?」

「んー、玉子焼きは、卵をくるくる巻いて焼く料理。四角い形を玉子焼きって言うし、その方が巻きやすいから?」

「普通のフライパンじゃ無理?」

「大きさとか形的に僕は作りにくいなぁ。っていうか、丸いフライパンで作ると気分がオムレツになる」

「……あー」


 カウンター側から悠利の手元を覗き込みながら、カミールが納得したように頷いた。確かに、丸いフライパンで焼いた卵は、見た目がオムレツになるだろう。ただし、彼らはまだ、悠利の言っている「卵を巻いて焼く」という工程がイマイチ解っていなかった。液体の卵を巻くってどういうことだ?という感じである。

 四角いフライパン改め玉子焼き器を、悠利はコンロでしっかり熱した。熱したところに、ごま油を入れてのばす。油は別にこれでないとダメというワケではないのだが、悠利はごま油で焼いた出汁醤油味の玉子焼きが好きだった。なので、とりあえず自分が食べたいそれを作る予定だ。ぶれない。

 油をフライパン全体に馴染ませると、そこに卵液を投入する。満遍なく卵が行き渡るように入れたら、火が通るのを少し待つ。卵の端が固まってきて、剥がせそうになったと思ったら、奥側から手前に向けて、くるくるくると巻いてくる。慣れないウチはフライ返しなどを使うと良いかもしれない。悠利は器用に菜箸で巻いていく。


「え?何それ!」

「うわ、マジで卵巻いてる…!」

「待った。完全に焼けてるわけじゃないよな?何で破れねぇの!?」

「……美味?」

「「匂いだけで味わかるの!?」」


 三人が悠利の技術に驚きの声を上げている横で、マグがじぃーっと悠利の手元を見つめながら、ぼそりと呟いた。ごま油の上で卵が焼けていく。出汁と醤油の匂いがじんわりと広がる。多分、マグの頭の中は「アレは美味しい。早く食べたい」しかないのだろう。何でこうなった。

 とりあえず悠利はそんな見習い達を放置したまま、玉子焼きを作っている。放っておくと火が通り過ぎて固まるのだ。子供達が騒いでいるのは気にしない方向で。奥から手前へと卵を巻き終わったら、ぐいーっと奥へと押しやる。そして、卵液を再び流し込み、奥へ置いた卵を少し持ち上げて、その下にも流す。そしてまた、火が通ったらくるくると巻いていく。コレの繰り返しだ。

 ポイントは、強火で焼かないこと。卵はすぐに焦げてしまうので、綺麗な玉子焼きにしたければ、あまり強い火で焼かないことなのだ。キレイに巻き終わった最後に、焼き色を付けるときにちょっと火を強くすれば十分だ。巻いている間に、何だかんだで火は通るので。


「はい、出来上がり~」


 綺麗な長方形に仕上がった玉子焼きを、まな板の上にころんと転がす。まだ熱いので手で持てないため、片方を菜箸で押さえながら、切り分けていく。興味津々で見ている見習い達に、苦笑しながら、悠利は切った玉子焼きを皿に盛りつけて、カウンターの向こう側へ提供する。なお、自分が食べる分は一切れ、ちゃんとまな板の上に残してある。


「ごま油で焼いた、出汁と醤油の玉子焼きだよ。僕の家はこの味付けだったんだよね~」

「出汁」

「待て、待て待て待て、マグ!一人で抱え込もうとすんな!ヤック、カミール、自分の分確保しろ!」

「「了解!」」


 素早く皿に手を伸ばしかけたマグを羽交い締めにしてウルグスが叫ぶ。このままマグを放置したら、一人で全部食べるということになりかねない。それが冗談じゃない辺りがマグだった。お前どんだけ出汁が好きなんだ。ヤックとカミールがそれぞれ味見を済ませると、二人がかりでマグを押さえる。その間にウルグスが食べる。そして、最後に残った玉子焼きを、皿ごとマグにプレゼントした。……ハローズおじさんは食べるつもりがないらしいので、大丈夫です。

 ごま油の香ばしさと、出汁と醤油のやんわりとした味わいが、なんとも言えず美味だった。オムレツは塩胡椒とバターで味付けされているので、また違うイメージだ。卵って凄い、と彼らは思った。卵料理には無限の可能性があるのだ。

 6切れに分けていたので、マグだけ2切れ食べる計算になる。しかし、二つ食べたくせに、まだ納得していないのか、じぃっと悠利を見ているマグ。味見に満腹を要求するなとウルグスが頭を軽く叩くが、面倒そうに見上げるだけで何も言わなかった。


「じゃ、他のも焼いちゃうから、ちょっと待っててね」


 使ったボウルを一旦洗うと、悠利は次の玉子焼きに取りかかる。味付けが違うので、ボウルを変えるか洗うかする方が良いのだ。そうして悠利が焼き始めたのは、シンプルに塩オンリーの玉子焼き。油はごま油を使用して、香ばしく仕上げる。辛くならないように、ほんのり塩風味、である。

 続いて、砂糖で味付けをして、オリーブオイルで焼き上げた玉子焼き。こちらは、おかずというには少々違和感があるかもしれないが、甘い玉子焼きもそれはそれで美味しい。お寿司屋さんなどで出てくる玉子焼きは、この甘い玉子焼きの場合もある。

 ここまで三種類の玉子焼きが揃ったわけだが、それぞれ味見をした見習いたちは、好みが分かれたらしい。ウルグスは出汁と醤油、カミールは砂糖、ヤックは塩だった。甘いのがおかずってどうなん?みたいな反応をされたカミールは、「美味しいから問題無い」とキラキラした笑顔で答えていた。黙っていれば良家の子息に見える外見なので、何かそこだけ世界が違った。

 なお、マグはと言えば…。


「……出汁、のみ」

「…え?出汁だけで焼くの?」

「諾」


 出汁+醤油ではなく、出汁オンリーの玉子焼きを焼いてくれと悠利に強請っていた。お前どこまでもぶれないな、と見習い達が呆れているが、当人は気にしていない。悠利もあまり気にしていなかった。マグの希望通りに、和風だし+鶏ガラのW顆粒だしの玉子焼きをごま油で焼き上げてくれる。味見をしてみたらあら不思議。これはこれで大変美味しかった。出汁の信者恐るべし。


「お前本当、出汁に関してだけ変な技能スキルあるんじゃね?」

「否」

「無いことぐらい解ってるわ」


 あるわけないだろ、と言いたげな目で見上げられたウルグスが、うるせぇとぼやいた。そんな二人の背後から、カミールとヤックが出汁オンリーの玉子焼きに手を伸ばす。味見なのでマグも妨害はしなかった。…しなかったが、ちょっとだけ二人の動きを目で追ってしまうのはご愛敬だった。

 そんな風にわちゃわちゃしている見習い達をそっちのけで悠利が片付けをしていると、ハローズが実に楽しそうに笑いながら口を開いた。実際、このおじさんはとても楽しかったのだ。


「玉子焼きは、色々なアレンジが出来るんですね」

「えぇ、味付けは個人の好みですね。あとは、中に何かを入れるのも出来ますよ?」

「中に?」

「真ん中に、茹でたほうれん草や小松菜を挟んだり、卵にあらかじめ刻んだネギを入れたり、ですね」


 にこにこと笑う悠利に、なるほどとハローズは頷いていた。きっと、自宅に戻ったら奥様にアレンジの方法を伝えるのだろう。玉子焼きもまた、各家庭の味で色々進化する料理であった。


(……だし巻き玉子の存在は、黙っておこう)


 出汁味の玉子焼きだけで大喜びしているマグを見ながら、悠利は思った。今このタイミングで、だし汁を使って卵に味を付けた、ふんわりした玉子焼きである、だし巻き玉子なる料理があることを伝えたら、絶対にマグはそれに飛びつく。だし巻き玉子も別に悪くはないのだが、今日は玉子焼きの気分だったので。



 なお、玉子焼き器はひっそりと奥様方に広がって、玉子焼きなる料理が普及していくのであった。

 

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