嘘つき、病人、意地っ張り。


「……連行しても良い?」


 笑顔で悠利ゆうりが告げる。その顔は笑顔だ。とても素敵な、いつもの笑顔だった。だというのに、背後にいつぞやの大魔神再びみたいなオーラを背負っていた。普段がのほほんとしているだけに、悠利が本気で怒ると周囲は恐ろしさの余り土下座したくなる。今も、三人が土下座をして許しを請うていた。

 なお、怒られている当事者は、飄々としたままで首を傾げている。何が?と言いたげな風情のマグの頭を、隣で華麗な土下座を決めていたウルグスが、力一杯下げさせた。小柄なマグは豪腕の技能スキル持ちのウルグスに抗うことも出来ずに、べちゃとその場に崩れる。


「ウルグス、あんまり力入れちゃダメ。……マグ、連行して良い?」

「……何故?」

「何故、かぁ……。そっかぁ……。マグ自覚ないかぁ……」


 しみじみと呟く悠利であるが、背後の大魔神様は未だそこに居座っておられる。ウルグスを始め、カミールもヤックも、ガタガタと怯えていた。普段優しいオカンがいきなりブチ切れたら、誰だって恐れる。そんな中で、マグだけが不思議そうに小首を傾げているのだから、相変わらず図太すぎる。或いは、鈍いと言うべきだろうか。

 そんなマグの正面にしゃがみ込むと、悠利はぺたりとマグの額に掌を押し当てた。熱いのだ。顔面はいつも通りの無表情なのだが、首元もいつも通りスカーフで覆われているのでよく見えないのだが。そんなマグを見て、悠利はもう一度にっこりと笑った。笑顔が怖いです、先生。



――マグ

  状態:発熱 強



 本日も【神の瞳】さんは絶好調だった。いつも通り自主訓練に出かけようとした見習い組をとっ捕まえて、というかマグをとっ捕まえて悠利が懇々とお説教しているのは、そのせいだ。休めと言っているのに、当事者のマグは全然自覚がないので、何で?という顔をするのだ。【神の瞳】さんが赤表示をしている子を、鍛錬なんかに送り出せない悠利である。

 仁王立ちして玄関で立ちふさがる悠利と、何か意味は解らないが、悠利が怒っているのだけは把握した三人が自主的に土下座をしているのだ。そしてその隣で、マグは全然解っていないのだ。無自覚怖い。


「とりあえず、マグは僕と一緒に診療所に行きます」

「……何故?」

「あのねぇ、無自覚も大概にしようね、マグ?熱あるでしょ!」

「「熱あんの!?」」

「……熱?」


 あまりにもマグがいつも通り過ぎたので驚いたように叫ぶ三人と、不思議そうな顔をしているマグ。悠利が頷くのを見て、三人は「お前病人ならちゃんと言えよ!」とお説教を始めた。彼らだって、具合の悪い人間を巻き込んで鍛錬をしようなんて考えもしない。

 だがしかし、そんな皆に返されたマグの反応はと言えば。




「この程度、死なない」




 安定のマグだった。

 価値基準があまりにもぶっ飛びすぎていた。と言うかお前は、生きるか死ぬかの二択しか天秤が存在しないのか。呆気に取られる三人と、笑顔を引きつらせてお怒りな悠利。ぐっと親指を立ててどや顔をしているマグは、そんな四人の反応に気づいていなかった。 

 やはり、スラム育ちで色んな意味で価値観がぶっ壊れているマグさんは、一般人の価値観を有した彼らとは相容れないらしい。普段はそうでもないが、こんな風に時々ぶっ飛んだことになるのである。だからって、自分が体調不良の時に発揮して欲しくない。


「ウルグス、ちょっと付き合って貰って良いかな?」

「わかった。運搬係だな」

「うん」


 凄みのある笑顔で悠利が告げれば、ウルグスは神妙に頷いた。彼にも解っていたのだ。自分は大丈夫だと言い切っているマグは、絶対に、診療所に行かない。そして、マグより多少は体格が良かったとしても、冒険者として修業をしているわけでもない悠利の腕力では、マグを運ぶことは出来ない。そんなわけで、マグ一人ぐらい余裕で担げるウルグスが運搬係に選ばれたのだった。

 あと、悠利がウルグスに声をかけたのはそれだけではない。彼は付き合いが長い分、この場の他の三人よりもマグの発言を理解出来るのだ。いわゆる通訳さんだった。ウルグス、頑張れ。


「何?」

「うるせぇ。お前は大人しくしてろ。ユーリの見立てが間違ってるわけねぇからな」

「……降ろせ」

「断る」

「降ろせ」

「断るつってんだろ。ナイフ出すな」


 ひょいっとマグを肩に担いだウルグスは、ぼそぼそと文句を言うマグに対して平然としている。あげく、マグが取り出したナイフを片手で掴んで奪い取ると、呆気に取られて見ているカミールに手渡す。カミールは大人しく渡されたナイフを受け取って、ついでにマグの腰からナイフカバーも奪い取って、片付け始める。マグがムッとしているが、ウルグスの腕に押さえられているので身動きが取れないでいる。


「ユーリ、行けるぞ」

「うん。ちょっと待ってね。鞄取ってくるから」


 そう言って悠利は自らの愛用の学生鞄を取りに戻った。悠利の学生鞄は魔法鞄マジックバッグで、更に言えば悠利専用なので、他の誰にも中身が取り出せない。それもあって、悠利は学生鞄の中に財布をしまいこんでいた。アジトで病人が出た場合の治療費がどうするのかは良く解っていないので、とりあえず立て替えようという考えだった。アリーには後で報告すれば良いだろう。

 悠利が学生鞄を手に戻ってくる、ウルグスは往生際悪くジタバタ暴れているマグと問答を繰り返していた。カミールとヤックは、もうそれを眺めているだけだ。というか、出立準備を黙々と整えている辺り、マグのことは悠利とウルグスに任せると割り切ったのだろう。確かに、ぞろぞろと全員で診療所に行っても仕方が無い。


「それじゃ、ちょっと診療所行ってくるね?」

「いってらっしゃーい」

「マグー、諦めろー」

「カミール、煽るな。マグ、暴れんじゃねぇよ、面倒くせぇ」

「……煩い」


 普通に見送るヤックと、からかうようなカミールの言葉に反応したのか、マグがまたジタバタし始めた。とはいえ、ウルグスとマグの体格差はそんなことで覆るようなものではない。そもそもマグが、15歳という年齢の割に細くて小柄なのだ。小柄と一言で表すには、「ちゃんとご飯食べてる?」と心配になるぐらいに、肉付きが薄い。……いや、皆と同じぐらい、下手したら皆以上に食べているのだが。

 そうしてウルグスに担がれたマグを連れて、悠利は診療所へと向かった。道中、「あの子ら何やってんの?」という視線に幾つも遭遇したのだが、その大半が、歩いている悠利とその足下のルークスを見て、「あぁ、あの子か」という認識で納得していた。……どういうことだ。

 そうして辿り着いた診療所は、幸いなことに順番待ちをすることなく中に入れた。出迎えてくれたのは、女医のニナだ。美人の女医さんは、今日も安定の優しい笑顔の白ウサギだった。鼻の上の丸眼鏡が実にチャーミングである。

 そうして彼女は、ウルグスに担がれたままジタバタしているマグに目を丸くして、けれど二人に言われるままに椅子に押さえつけられるマグの診察をしてくれた。熱がありますと悠利が告げても、表面上は全然そんな風に見えないマグだったので、彼女も驚いていた。


「特に大きな病気ではないと思うけれど、熱冷ましのお薬を出しておくわね。貴方も、無理をしちゃダメよ?」

「……否」

「してないとか言うんじゃねぇよ。ユーリと医者の二人に熱があるって診断されてんだから、無茶してんだろうが」

「……否」

「だっから、無茶の範疇じゃねぇとか言うな」

「……否」

「お前の言い訳は知らん。大人しく帰ったら薬飲め」

「……否」

「薬が苦いから嫌だとか文句言うな」

「……」


 ニナの発言に否定の言葉を紡いだマグだが、口を開く先からウルグスに反論をぶっ潰されていく。というか、どうして今の一言からマグの言いたいことがわかるのか。顔色一つ、表情一つ変えないで、いつも通りの無表情なマグ。多少不機嫌そうではあるが、感情を読み取れるかと言われたら、無理だ。そんなマグとウルグスの、どこか漫才めいたやりとりに、悠利とニナは瞬きを繰り返していた。通訳担当は伊達ではなかった。


「……ウルグス、よくマグの言いたいことわかるね」

「あー……。……ウチに来たばっかりの頃に比べれば、こいつも多少顔とか反応に出るようになったからな」

「そうなの?」

「おう。初対面の時なんて、マジで等身大の人形が動いてんのかと思った」

「……えぇ?」


 悠利の中でマグと言えば、出汁と旨味に魅了されて、美味しいご飯を抱え込んじゃうような困った子だ。あと、何だか妙に職人めいた拘りというか、きっちりした部分が存在する。ちょっと斜めにズレてはいるが、十分面白い子なのだ。それが人形みたいだったと言われても、イマイチよくわからなかった。

 その後、とりあえず代金を悠利が立て替えて、医者直々に「ゆっくり休みましょうね?」と言われたマグは、諦めたようにウルグスに背負われていた。自分で歩くと言い張ったのだが、「病人は大人しくしてろ」と言われておんぶされてしまったのだ。口は悪いがウルグスは面倒見の良い少年である。リアルガキ大将万歳。


「だいたいお前、意地っ張りすぎんだよ」

「……否」

「何が違うだ。阿呆。本当は全然平気じゃねぇんだろうが。……いつものお前なら、もうちょい俺相手に保つだろ」

「……」


 ウルグスが指摘したのは、アジトの玄関でのやりとりだった。あまりにもあっさりマグを担げてしまったことに、ウルグスは実は驚いていたのだ。マグはすばしっこい。捕まえるのは本当に難しいのだ。本気でマグが逃げたなら、ウルグスが体格で勝っていようが、捕まえることなど不可能。そのマグがあっさり担がれてしまった段階で、体調不良はバレバレだったのだ。

 マグはウルグスの首に顔を埋めた。多少の意趣返しのつもりなのか、自分を背負っているウルグスの腕にぐりぐりと爪を立てている。痛いというウルグスの文句は右から左に聞き流されていた。


「マグは、甘えるの苦手なんだね」

「……?」

「具合が悪いときは頼って良いんだよ?マグだって、僕が倒れたときはご飯作ってくれたじゃない」

「……あれ、は」

「だから、マグが具合悪いときは、僕等が看病する番なんだからね?」


 隣を歩く悠利の、ウルグスに背負われているのでいつもと違う高さから見る笑顔に、マグは言葉に詰まる。ね?と笑顔を浮かべる悠利に、そーだそーだとウルグスも便乗した。ウルグスは知っている。マグは何だかんだで悠利にだけは気を許している。自分が何を言っても聞き流されるかもしれないが、悠利の発言はある程度考慮される。オカン万歳。

 何を言っても譲る気配のない悠利と、それに便乗するウルグス。面倒くさくなったのか、マグは小さく、「……諾」と呟いた。その言葉と反応を要約するならば。


「大人しく寝るってよ」

「うん、それが一番。お昼にはマグが食べたいものを作ってあげるよ」

「……玉子おじや」

「了解。昆布と鰹節でちゃんと出汁を取るからね」

「……諾」


 よしよしと頭を撫でる悠利の掌に、マグは抗わなかった。お前本当にユーリ相手には素直だよなぁ、とウルグスがぼやいた。そして、そんな彼に返されたのは、煩いと言わんばかりに腕に立てられた爪だった。どんまい、ウルグス。



 なお、次の日にはマグはケロッと復活して、まるで何事もなかったかのように日常に戻っていくのだった。

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