どうやら気が抜けたようです。


 その日、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》のアジトは、まるで敵襲を受けたかのような大騒ぎだった。

 指導係も訓練生も、見習いも関係無く、全員が右往左往していた。あまりにもらしくない光景だ。リーダーであるアリーですら、一瞬の動揺を隠すことが出来ずに、対処に少々手間取っていた。その中で唯一落ち着いた対応を取っていたのが、普段は全然役に立たない駄目な大人の見本とされているジェイクだった。


「とりあえず、誰か診療所に行って医師を呼んできて貰えますか?」


 おっとりとしたいつも通りの口調で告げられて、俺が行くと叫んで走り出したのは、クーレッシュだった。彼は先日、赴任してきたばかりの診療所の女医と多少顔を合わせた経緯がある。名乗り合うほどでは無かったが、顔見知りと言えば顔見知りに該当するだろう。そのクーレッシュに追随するようにレレイが走り出したのは、己がここにいても役に立たないと彼女なりに判断したからだろう。

 

「で、ブルックは彼を部屋に運んでください。あと、アリー、ちょっとステータス確認して体調を見てあげてください」

「…了解」

「…わかった」

「何でもっと修羅場くぐり抜けてきた貴方たちが、子供達と同じように動揺してるんですか…」


 呆れたようにジェイクが呟くが、ブルックもアリーも答えなかった。ブルックは無言で、ヤックが受け止めるようにして諸共崩れ落ちている悠利ゆうりの身体を抱き上げると、悠利の自室へ向かって歩き出す。アリーもがしがしと後ろ頭を掻きながら、その後を追った。ジェイクはやれやれと嘆息すると、未だ右往左往したままのメンバー達に口を開く。


「ここでうろうろしていても何もなりませんよ。多分過労ですから、そこまで心配しなくても大丈夫です」

「「でも!」」

「というか、皆さん、僕が倒れてても放置しますよね?何でそんなに動揺してるんですか?」

「「それはいつものことだから」」

「……流石に僕もちょっと拗ねますよ?」


 異口同音に返答されて、ジェイクはぼそりとぼやいた。だがしかし、そんな彼の意見など聞こえていないのか、まだおろおろしている一同。

 彼らがここまで動揺しているのは、悠利がいきなりぶっ倒れたからに他ならない。朝食の時は、普段より多少動きが鈍いかな?ぐらいで普通だった。だがしかし、ヤックと一緒に洗濯物を干しに外へ出ようとしたときに、突然ふらついて、そのままばったりと倒れてしまったのだ。慌てて隣にいたヤックが支えようとしたが、まだそこまで身体の出来上がっていないヤックでは支えきれず、二人諸共倒れたのだ。

 そして、その光景を見た面々が、全員揃ってパニックに陥った。唯一落ち着いていたのがジェイクで、悠利の状態を確認して、大きな病気でも、怪我でもなく、多分単なる過労とかだろうと見当を付けて采配を振るったということである。

 トレジャーハンター育成クランである《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の構成員の面々が、何でそんなに大慌てするんだとジェイクは思う。思うのだが、彼らにも言い分はあった。冒険者なんてものを志す者も、それを生業にしている者も、大抵が身体は頑丈なのだ。怪我はしても病気はしない。このアジトで、病人よろしくぶっ倒れるのは、今までジェイクしかいなかったのである。

 しかも、そのジェイクが倒れる原因だって、本の読み過ぎで徹夜しすぎて寝不足とか、そういう自業自得な上に、全員に「そろそろ倒れるんじゃないか?」と予測されるような現象なのだ。それを踏まえて考えると、それまで普通にしていたのに悠利が突然、まるで糸の切れた人形のように倒れてしまったことで、皆が動揺したのも頷けるのではなかろうか。



 もとい、皆の中で「お母さんが倒れた?!」的なパニックに繋がったのが動揺の原因だったりするが。


 

 いつもいつでもにこにこ笑ってアジトに居た悠利。彼がアジトに身を寄せるようになって、まだ二ヶ月ほどしか過ぎていないけれど、その間に彼の存在は皆の中でとても大きくなってしまっていたのだ。また、悠利が鍛えていない一般人だというのも、皆が慌てた原因でもある。鍛えていたら多少のことは大丈夫と思えるのだが、相手が非力な一般人だと解っているので、心配が募るのだろう。


「…とりあえず、ヤックくんはその洗濯物干してきてください。むしろ皆でやったら早く終わりますよね?あと、昼食の準備とかも、ユーリくん抜きですから手分けして頑張ってください」

「「了解!」」


 ジェイクの指示に、こくこくと頷いて皆は散っていった。洗濯は見習いの仕事だが、状況が状況なので訓練生の何人かが協力を申し出ていた。昼食の担当や買い出しの担当も、見習いだけでなく訓練生が食い込んでいる。何だかんだで皆が一致団結していた。さっさと仕事を終わらせて、悠利の容態を確認したいらしい。


「……愛されてますねぇ」


 ばたばたと動き始めた一同を眺めながら、ジェイクは苦笑を浮かべながらそう呟くのだった。







「気が抜けたんだと思いますよ」


 ふわり、と微笑んでそう告げたのは、診療所を切り盛りする女医さんだった。ウサギの獣人である彼女の名前は、ニナ。白いウサギなので、髪も同じく真っ白だ。雪のように白い髪を首の後ろでゆったりと結わえている。鼻の上にちょこんと存在する丸眼鏡がチャームポイント。眼鏡の向こうの赤い瞳は優しい光を称えており、白衣と相まって何とも言えずに他者を安心させる空気を纏っていた。


「気が抜けた?」


 反芻したアリーに、彼女はえぇ、と穏やかに微笑んだ。未だぽけーとした表情の悠利が、そんなアリーとニナを見ている。ベッドの中に大人しく寝ている悠利は、何が起きているのかよくわからないようで、呆けた顔をしたままだ。


「彼がこちらに身を寄せて二ヶ月ほどと聞きますが、生活に馴染んで、そして気が抜けて、疲れが一気に出たんだと思います」

「……そういうことが、あり得るのか」

「環境の変化が与える影響は大きいですよ。知らない間にストレスを溜め込んでいたりしますしね」

「「…………」」


 ニナの言葉に、皆が沈黙した。この天然ぽやぽやにストレス?と彼らが思ったとしても、無理は無い。無理は無いのだが、それでも、見えないところでストレスは溜まっているものだ。まして、ある日突然異郷に吹っ飛ばされてしまえば、たまらない方がオカシイ。今までほけーっと過ごしていただけで、身体は緊張を続けていたらしい。

 その緊張が解けて、解けるくらいに本気でこの場所に馴染んだ結果、疲れがどっと押し寄せた、というところだろう。薬は処方されなかった。その代わり、ゆっくり休んで、しっかり食事を取るようにと告げて、ニナは去って行く。真っ白なウサギのお姉さんの後ろ姿を見送って、悠利は相変わらず呆けた頭で「白ウサギさんは目が赤いんだ~」などと暢気なことを考えていた。

 ゆっくり休めと言われたので、悠利は大人しく寝ることにした。疲れているとか、眠いとか、そんなに感じて居なかったのだけれど、身体がそうしろと訴えてくるのは事実だった。眠くないと思っていても、布団の中で瞼を閉じれば、すぐに睡魔が襲ってきた。程なく聞こえた穏やかな寝息に安堵して、悠利を見舞っていた面々はそっと部屋を立ち去っていく。

 眠っていた悠利がうっすらと瞼を持ち上げたのは、コンコンと控えめなノックが聞こえたからだった。ぼんやりしながら返事をすれば、心配そうに部屋を覗き込んでくる見習い四人の姿があった。


「…皆、どうしたの?」

「ん…。ユーリ、大丈夫?」

「うん。そんなに心配しないでも大丈夫だよ」


 にこりといつもの調子で笑う悠利に、ヤックは安堵したように息を吐いた。早く入れと背後のウルグスに押されて、ヤックは体勢を崩しながらも部屋に入る。ぞろぞろと入ってくる見習い達に、悠利は不思議そうに首を傾げる。

 悠利が首を捻っている間に、てきぱきと準備を整える見習い達。小柄なマグの手にはお盆が乗せられており、悠利が普段使わないので部屋の隅に置いていたサイドテーブルをカミールが運んでくる。ウルグスはぽけーっとしている悠利の身体を起こさせる。ヤックは水差しの水をコップに移していた。


「……皆?」

「ユーリの昼ご飯。皆で作ってみた」

「……これって」

「以前、作ってた」


 ぽつりとマグが答えて、お盆の上の小鍋の蓋を開けて見せる。そこには、できたての卵おじやがあった。卵に若干火が入りすぎて固まっているが、鼻腔をくすぐる香りは確かに出汁と醤油で味付けされた卵おじやのそれだった。悠利がぽかんとしている間に、カミールが手慣れた仕草で器によそって手渡してくる。とりあえず反射的に受け取る悠利。


「前に、ジェイクさんが倒れたときにユーリが作ったってマグが言っててさ」

「マグがめっちゃ真剣に出汁取ってたぞ」

「卵はちょっと固くなったけど、まぁ、食えると思うよ」

「味見、してある」

「……ありがとう」


 悠利は何だかちょっと泣きそうになりながらお礼を言った。こんな風に、誰かにご飯を作って貰うのがとても嬉しいことを彼は知っている。卵おじやの作り方は、特に教えてはいない。作っているのを、マグが横で見ていただけだ。それでも、彼らは病人食と認識して、悠利のために作ってくれたのだ。

 スプーンで掬って食べた卵おじやは、優しい味がした。出汁は流石、出汁に魅了されまくっているマグが取ったというだけあって、完璧だ。柔らかな昆布の味わいが滲みている。醤油と塩を使ったのだろう味付けは、ちょっとだけ濃いめだった。病人食というより、普通のご飯ぐらいの味付けになっている。けれど、決して辛いわけではないし、不味いわけでもない。火が少し通り過ぎた卵も、汁気を吸って味がしっかり染みこんでいて、コレはコレで美味しい。


「美味しいよ」


 心底そう思って、悠利は笑顔で告げた。その答えに、見習い達は嬉しそうに笑った。自分たちだけで作った料理を、悠利がちゃんと喜んでくれたことが嬉しかったのである。


「さっさと食って、休んで、元気になれよ」


 ぶっきらぼうに言うのはウルグス。育ちが良いお坊ちゃんなのに、相変わらずのモードガキ大将である。


「無理して全部食べようとかしないで良いからな~」


 ケラケラと楽しそうに笑っているのはカミール。残ったら俺らが食べるよ、と笑う姿はいつもと変わらない。黙っていたら良家のお坊ちゃまみたいに見えるのに、残念だ。


「……指導」


 ぼそりと呟いたマグに、悠利が首を捻る。ウルグスが、また教えてくれってことらしい、と通訳をすれば、笑顔で頷いている。……マグは言葉数が少ないので、何だかんだで付き合いの長いウルグスが一番通訳に適していた。


「今度から、体調悪いときはちゃんと言ってくれよ、ユーリ」

「…うん、了解。ごめんね、ヤック。心配かけたみたいだね」


 ぺち、と額を軽く叩かれて、悠利は困ったように笑った。自分が全然疲れていると思っていなかったので、今後も同じようにやらかしそうで怖いな、とちょっと思ったのは内緒だ。バレたら皆に物凄く怒られるぐらいは、解っている。




 数日後、悠利が完全復活すると、まるでお祭り騒ぎのように盛り上がる《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々なのであった。

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