調合とハンドクリーム。


「よろしくお願いします」

「はい、いらっしゃい」


 ぺこりと頭を下げた悠利ゆうりに向けて笑いかけたのは、天下御免のオネェさん、レオポルドだった。なお、レオーネと呼ばないと怒るということを知っている面々は、彼をレオーネと呼ぶ。知っていてもレオポルドと呼び続けているのはアリーとブルックの二人である。

 ここは、レオポルドが経営する香水屋七色の雫の裏手に併設されている、調香用の工房だ。店舗の二階部分が住居になっていて、レオポルドはそこで生活している。そして、店に売りに出したり、オーダーメイドで受ける香水の調香を、この工房で行っているのだ。なお、ここへの立ち入りを赦される人間は少ない。悠利がそれを赦されているのは、本日の身分が見習いみたいなものだから、である。

 先日、悠利は鍛冶技能スキルに馴染むためにブライトの工房で一日を過ごした。そのお陰で、技能スキルも馴染み、悠利も何となくこの世界での鍛冶という技能スキルの意味を理解した。そして今日は、レオポルドの指導の下、調合技能スキルを使ってみることになったのだ。

 鍛冶が物作り系の基本だとしたら、調合は液体や粉末を混ぜ合わせることについての基本とも言えた。調合の派生に、レオポルドが得意としている調香や、同じようにかつて仕事としていた調薬なども存在する。極端な話、材料が液体か粉末系であった場合、調合の技能スキルが活躍することになる。


「それじゃ、今日は調合の練習ね」

「はい」

「ユーリちゃんは、調香したことあるかしらぁ?」

「香水は無いですけど、アロマオイルとかシャンプーとか石けんとか、そういうの作るのを手伝ったことはあります」

「あら、結構色々やってるのねぇ」

「家族が好きだったので」


 のほほんと笑っているが、普通、男子高校生はそんな物を手作りしたりしない。母や姉が、一時期無添加手作り系にハマっていた頃に、一緒に作っていたのだ。とはいえ、それは現代日本で材料や道具が手に入ったからこそ、ネットを見ながらお手軽に自作できただけである。この異世界で再現しろとか言われても、悠利は無理だと思ってる。まず材料が手に入らない。


「まぁ、今日は香水と言うよりも、香りの付いた水ぐらいで考えれば良いわぁ。流石に、素人の子に、調香させるつもりはないもの」

「わかりました。僕も、技能スキルを使ってみろと言われただけなので」

「自分も調合持ってるくせに、あたくしに押しつける辺りがアリーよねぇ…」


 やれやれ、と呟くレオポルドの顔は、けれどどこか弛んでいた。本当に仕方の無い男ね、と言葉ばかりは呆れているようだが、その表情は実に優しい。ふと悠利は、以前から気になっていたことを問いかけてみた。何となく聞きそびれていたのだ。


「レオーネさんとアリーさんって、どこで知り合ったんですか?」

「あらまぁ、何も聞いてないのかしらぁ?」

「はい」


 素直にこくりと頷いた悠利に対して、レオポルドはまぁまぁと目を見開いて不思議そうだった。あのバカ、何も言ってないのねぇ、と続いた言葉は、やはり台詞こそ悪態をついているのに、雰囲気も声音も何もかも、実に柔らかだった。親しみすら感じられる。

 首を捻っている悠利に対して苦笑して、レオポルドは水差しと香水の材料である香料の入った小瓶を机の上に並べる。そうして手を動かしながら、楽しそうに言葉を発した。


「あたくしはねぇ、昔々、アリーやブルックと一緒に冒険者をしていたのよぉ」

「え?レオーネさん、冒険者だったんですか?」

「そうよぉ。その頃のあたくしは薬師として、材料を手に入れては回復薬を作って、仲間に配ったり、売ったりしていたわ。ブルックが前衛で、アリーが斥候よ」

「レオーネさん、凄い人だったんですねぇ」

「うふふ、冒険者としてはそこそこぐらいよ」


 楽しそうに笑うレオポルドに、悠利はそうなんだーと疑問が解けてにこにこしていた。レオポルドに対するアリーの遠慮の無い態度。接点など無さそうなのに妙に交流がありそうな所。それらの疑問が解消されたのだ。


「じゃあ、レオーネさんも《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の一員だったんですね?」

「あら、それは違うわ、ユーリちゃん。あたくし達がパーティーを組んでいたのは、アリーとブルックが《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に入る前の話よ」

「え?」

「アリーが隻眼になっちゃって、前線を退くって話になったのよねぇ。それで、あたくしは前からやりたかった香水屋さんを開くことにして、アリーは《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の先代に誘われて入って、ブルックがそれについていったのよ」


 だから、あたくしはあそこのクランから見たらただの部外者よ、と微笑んだ姿はどこか楽しそうだった。その独特の立ち位置を、彼は楽しんでいるとすぐに解る言葉だった。今の会話だけで結構重要なことを聞いたなぁと思いつつ、悠利はだから仲良しなんだーと暢気に考えた。…他に考えることが無い辺りが、悠利らしい。他人の過去をとやかく気にするタイプではないので。

 そこからしきり直して、悠利はレオポルドに言われるままに、香料の入った小瓶の匂いを確認していく。材料はいずれも自然由来なのか、優しい香りが鼻腔をくすぐる。時々、何だか妙な香りがするので眉を寄せていると、魔物避けの類だと教えられた。魔物が嫌う匂いは、人間にとっては別に不快ではないのだが、ちょっと悠利が今まで嗅いだことの無い匂いだったのだ。

 簡単に言うと、何か色々良い匂いが混ざって、ぶっ壊れる一歩手前で留まっている、という感じだろうか。作るのめちゃくちゃ難しそう、と悠利は思った。あながち間違ってない。魔物避けの香水が作れるのは、王都でもレオポルドぐらいである。それも、元冒険者としての知識と経験に基づいて作られているので、職人一辺倒の人々には真似できないのであった。

 閑話休題。


「できましたー」

「……貴方、本当に色々と規格外ねぇ」

「はい?」


 ぱんぱかぱーんみたいなノリで悠利が差し出した小鉢を見て、レオポルドが心底呆れたと言いたげな顔をしていた。水に香料を混ぜて、良い感じの匂いを作り出す、という単純作業だ。香料を混ぜることによって狙った匂いを作り出すのは難しい。あえて本物の香水ではなく、水にちょっと香り付けというレベルにしたのは、その方が材料も少なくてすむからという判断だったのだが。

 …何故かわりとあっさりと合格ラインに到達している悠利であった。きっと、調合の技能スキルがレベル50なのがいけない。鍛冶の時と同じパターンだ。というかもう、全てにおいてそんな感じなので、悠利本人は異常をまったく感じない。だがしかし、周囲にしてみれば、どんな逸材!?ぐらいのレベルになる。見た目がぽややんとしている割に、中身がのほほんとしている割に、スペックだけは恐ろしく高性能であった。



 ……どう考えてもハイスペックの無駄遣いという結論しか見えない。



 教えることが一瞬で終わってしまったので、レオポルドも困っていた。困っていたが、終わったのだからもう気にしないでおこうとさっくり割り切る程度には、このオネェは前向きで強かった。楽しそうに水と香料を混ぜて遊んでいる悠利を見つつ、その指先が荒れているのが気になるレオポルド。料理と掃除と洗濯を請け負っているので、必然的に手先が荒れるのだ。

 その指先の荒れ具合は、悠利が日々真面目に、嬉々として家事に勤しんでいることの証明だろう。相変わらずねぇ、と小さく呟いた後に、レオポルドは備え付けの薬箱から小さな蓋付きの入れ物を取り出した。それは、レオポルドが自分用にと作っている、薬効を練り込んだハンドクリームだ。


「ユーリちゃん、これ、あげるから使いなさいな」

「何ですか、これ?」

「ハンドクリームよぉ。貴方、真面目に水回りやってるせいで、指先ががさがさよ。ちゃんとお手入れしないと、痛めちゃうわ」

「わぁ、ありがとうございます。薬屋さん行っても、回復薬とか怪我用の薬はあるんですけど、こういうハンドクリームとか無くて…」

「そうねぇ。あんまりお店で売ってたりはしないわねぇ」


 だって儲からないもの、とレオポルドはあっさりと言い切った。悠利が首を捻ると、彼は答えを種明かししてくれる。この手の、軟膏の延長線上にある薬は、それぞれの家で代々作り方を口伝しているのだ。その家独自の薬があるイメージで構わない。一瞬、手作り味噌?お婆ちゃんの知恵袋的なアロエ?みたいに考えた悠利に罪は無い。似たようなものだ。


「…でも、レオーネさんが作ってるって事は、このハンドクリーム、性能は凄く良いんですよね?」

「そりゃそうよ。あたくし、自分が使う物に妥協はしないわ。時々お客様にお裾分けすると、好評なのよ」

「いっそ、これ、売っちゃったら良いんじゃないですか?」

「ユーリちゃん、ハンドクリームは皆自家製があるから、そんなに買わないわよ」

「いえ、香り付けちゃって」

「……は?」


 あっさりと悠利が口にした言葉に、レオーネが呆気に取られた顔をする。一瞬、素の男の部分が出てきて、声がちょっとだけ低くなったのだが、悠利は気にしなかった。そこは気にしたらダメだと思ったのだ。オネェとかニューハーフとかの人たちが、うっかり出しちゃった素の部分を、「男が出た!」と指摘するのは失礼だと思ったのだ。なので悠利は気づかないふりをした。普段は空気を読まないが、気遣いは出来る子なのである。


「ユーリちゃん、今、何て言ったかしら?」

「えーっと、だから、ハンドクリーム作る時に、香料混ぜて、うっすら香りがついた感じの作ったら、レオーネさんのお店の宣伝にもなるし、と思っ…」

「やだもう!貴方どうしてそんな凄い発想ばかり出てくるのよ!」

「もが!?」


 ぎゅうっと唐突に抱きしめられて、見た目を裏切る逞しい大胸筋に押しつけられた悠利が、間抜けな声を上げた。だがしかし、感極まっているレオポルドは気づいていない。ぎゅうぎゅうと悠利を抱きしめながら、凄い凄いと言っている。どうでも良いが、そろそろ息が苦しいので解放して欲しいと、悠利はぺしぺしとレオポルドの足を叩いた。何とか通じたみたいで、解放される。


「ごめんなさいねぇ。ちょっと喜びすぎて、あたくしやりすぎちゃったわぁ」

「いえ、大丈夫です。…で、あの」

「勿論、作ってみるわ。香り付きのハンドクリーム。それで、あたくしの香水の香りを気に入ってくださるお客様が、増えるかもしれないもの」

「完成したら教えてくださいね。買いに来ます」

「あらやだ。勿論ユーリちゃんには試作品含めてプレゼントするわよぉ」


 当然じゃないのと微笑むレオポルドに、え?という顔をしている悠利。そういえば、アロマペンダントも似たような感じで手に入れていた。香り付きハンドクリームも、そういうことになりそうだ。ここで遠慮をするのが謙虚な日本人かもしれないが、年上にやたらと食べ物を貰うことの多かった悠利は、素直にお礼を言っておいた。嬉しかったのは事実なので。



 後に、それまで存在しなかった香り付きのハンドクリームは、女性達の密かな贅沢品として、根強い人気を誇ることになるのであった。


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