飲酒は大人になってから。


「何してるんですか?」

「「……ッ!?」」


 悠利ゆうりの声が聞こえた瞬間、びくぅっとその場に居合わせた面々は硬直した。理由は、悠利の声がいつものほわほわしたものとは違って、妙に冷え切っていたからだ。怒っていると思しき声音に、この少年が怒るところなど見たことも無かった皆は、驚いて振り返る。

 案の定、そこには眉間に皺を寄せた表情の悠利がいた。何が気に入らないのか、実に不愉快そうな表情だ。それなのに、振り返った皆に気づくと、にっこりといつものように笑ってみせる。……妙に怖かった。



「ねぇ、何を、してるんです、か?」



 やっぱり物凄く怖かった。

 というか、ここまで怒っている悠利を見るのは初めてだったので、全員が顔を引きつらせていた。悠利が何を怒っているのか全然解らなかったというのもあるのだが。理由がわからない怒りほど、怖いものはない。何故なら、どこが逆鱗か誰にも解らないのだから。


「……何って、酒盛り?」


 とりあえず答えたのは、バルロイだった。脳筋狼は、細かいことを気にしない。先日大騒ぎの後に出立していった筈の男は、土産に食材を色々と持ち込んで、悠利の食事を堪能しに来た。勿論、お目付役のアルシェットも一緒にだ。とはいえ、現在アルシェットは女性陣で入浴中なので、バルロイは野放しだった。

 その野放しのちょっとの間に、やらかしてしまうから、バルロイが脳筋狼である所以だ。…狼獣人の名誉のために告げておくが、本来狼とは群れを大切にする思慮深き優しく賢い存在である。獣人達もその性質をちゃんと持っている。時々生まれる残念ガッカリ脳筋系がいて、バルロイがそれなだけだ。


「バルロイさん」

「うん?どうした、ユーリ。怖いぞ」

「……バルロイさん、正座」

「は?」

「正座!」

「はい!」


 声音的には、「ハウス!」と叫んでいるような感じであった。何故か逆らえないものを感じて、言われるがままに正座するバルロイ。その手には、大きな酒瓶が握られていた。そして、彼らの周囲にも酒瓶が転がっている。

 ……酒瓶だけなら良かったのだが、転がっている中には、顔を真っ赤にしたヤックやカミールの姿もあった。マグは顔色が変わっていないが、多少気分が悪そうだ。ウルグスはすまんと拝むように悠利を見ているので、こちらは無事なのだろう。…そして、謝るようにぺこぺこと頭を下げているのは、クーレッシュとレレイだった。バルロイと見習い達の間に入って止めようとしたが、止められなかった、というところだろうか。


「バルロイさん、この状態で聞くのも野暮だと思うんですが、ヤック達にお酒、飲ませました?」

「あぁ、上等のが手に入ったからな。美味い酒を知るのも大人への一歩だろ?」

「でも、彼らは未成年ですよね?」

「うん?確かにそうかもしれないが、ちょっとぐらい飲んでもべ」

「未成年の飲酒は禁止されてますよね?」

「……あぁ、うん。そうだな」


 にっこりと笑顔を浮かべたままなのだが、悠利の放つオーラは物凄く怖かった。正座しているバルロイを見下ろして、目だけが笑っていないにっこりをしているのだから、お前誰状態だ。というか、怒られていないクーレッシュ、レレイ、ウルグスの三人が、自主的に正座をして、そのまま華麗に土下座を決めていた。怒れる大魔神に慈悲を請う感じで。



「何で未成年にお酒飲ませて酔いつぶしてるんですか!良い大人がしちゃいけないことでしょう!」



 くわっと目を見開いて怒鳴る乙男オトメン。こんな風に怒る悠利なんて、皆は初めて見た。土下座トリオが更に頭を下げる。床にめり込むぐらいの勢いでごめんなさいをしている。なお、彼らはそこまで悪くない。悪いのは、見習い達のコップに勝手に酒を注いで、そのまま飲ませたバルロイである。…見習い達はそれがお酒だと思わずに飲んだのだ。哀れ。

 特に、水だと思って風呂上がりに清酒をくいっとやっちゃったヤックは、ぶっ倒れている。とりあえず命に別状はないようで、意味の解らないことを口走っているが。その隣のカミールは、ジュースと間違えて果実酒をちびちび飲んだ結果、酔っ払って寝こけている。マグは警戒心が強いので飲まずにいようとしたのだが、バルロイに問答無用で飲まされてしまい、頭痛と吐き気に耐えていた。

 …なお、ウルグスが無事なのは、脳筋狼に真っ向から喧嘩を売って、誰が飲むか!とコップを突き返したからだ。狼獣人のバルロイが本気を出せば叶わないが、豪腕の技能(スキル)を持っているウルグスは体格も良く腕力もあった。コップを突き返して、無事に脱出することができたのだ。

 そして、見習い達が死屍累々となっている所へ、ウルグスに助けを求められたクーレッシュとレレイが合流し、バルロイの酒盛りに付き合っていたのだ。この二人は成人しているし、レレイは結構酒が強かったので、今まで何とか場を持たせていたのだ。…アルシェットが風呂から戻ってきたら、バルロイを回収して貰うのだと三人は決意を固めていたのだ。



 だがしかし、それより先に顔を出した悠利が、怒れる大魔神モードでキレていた。



 まさかの悠利大激怒に誰も逆らえなかった。バルロイに本気で説教を始める悠利。バルロイの頭の上の獣耳と、尻尾が、ぺしゃんとしていた。怒られているということは解っているらしいし、それに多少は反省しているらしい。脳筋なので、空気は読めないが、同時に本当に危険なときはきちんと察知できるのだ。


「そもそも、何で未成年の飲酒が禁止されてると思います?」

「…大人が美味い酒を独占するため?」

「どんな理由ですか!未成年に禁止してるのは、アルコールの摂取が、身体の出来上がってない未成年には害悪だからです!身体に悪いんですよ、子供の飲酒は!」

「え?!そうだったのか?!」

「むしろ何でそんな普通のこと知らないんですか、バルロイさん!」


 本気で驚いた顔で叫んだバルロイに、悠利が怒鳴る。だがしかし、土下座トリオがそろっと顔を上げて悠利を窺っているので、悠利は考えを変えた。もしかしたら、こちらの世界では、アルコールが未成年の身体に悪いという考えが浸透していないのかも知れない、と。勿論、異世界と現代日本では色々と異なるだろうとは思う。それでも、飲酒が禁止されているのならば、それは、身体の出来上がっていない子供にアルコールの摂取はよろしくないという、そういうことではないかと判断したのだ。

 それ本当?と口に出して問いかけたのは、レレイだった。彼女は酒が大好きで、幼少時は父親に強請って一口貰っていたりするタイプだった。とはいえ、本格的な飲酒に踏み切ったのは勿論成人してからだ。だが、だからこそ、今現在酔いつぶれている後輩達を心配している。


「…少なくとも、僕が教わった話では、そうだったよ。お酒は美味しいかも知れないけれど、アルコールの取り過ぎは成熟しきっていない子供の身体には毒になるって。だから、大人になるまで飲んじゃいけないって」

「「バルロイさん、反省!」」

「お前達まで怒ることないだろ!?」

「「無茶言うな!」」


 悠利の説明を聞いた三人は、即座にバルロイを責めた。反論するバルロイを誰も敬わなかった。こんなダメダメな大人をどうやって敬うことができるだろうか。ぶっちゃけ、アジトで一番ダメな大人はジェイクだが、彼は自分の世界に入り込んで帰ってこない系なので、後輩達に直接的に迷惑はかけないのだ。…時々そこら辺で寝不足やら何やらでぶっ倒れているのを回収されてはいるが。


「……なぁ、何の大騒ぎなんや?」

「アルシェット姉さん、良いとこに!」

「アルシェットさん、バルロイさんが!」

「ユーリがめっちゃ怒ってる!」

「ユーリが?!ちょ、バルロイ、アンタ何やらかしたんや!」


 助けを求めるようにクーレッシュとレレイが叫び、ウルグスが事実を伝えた瞬間に、アルシェットは顔色を変えた。それまで、風呂上がりのどこかゆったりした風情に訝しげな顔をしていた彼女が、即座に戦闘モードみたいに殺気をみなぎらせた。いつも手放さない腰の魔法鞄マジックバッグなポーチから取り出した愛用の槌(しかも金属でコーティングされている)をぶん回して、お約束通りバルロイを殴った。…まぁ、脳筋狼はその程度では別にそこまでダメージを受けないのだが。


「痛いぞ、アル」

「やかましい!あの子怒らせるてどないやねん!お前は、ウチがちょっと目ぇ離した間に…っ!」

「だから、痛いって」

「じゃかあしいわ!」


 槌を握ってふるふると震えるアルシェット。気心知れた友人と、風呂でゆっくりくつろいできた矢先に、コレである。ウチの安寧を返せやぁあああ!と叫びながら槌をぶん回す彼女に罪はあるまい。むしろ、訓練生時代から、バルロイが色々アレなのを知っているのに、今もパーティーを組んで面倒見ている辺り、彼女はとても良い人だ。何だかんだで面倒見が良すぎる。あと、ツッコミ気質。

 ぼかぼかと相棒をぶん殴りまくるハーフリング族。ぶん殴られながらも、痛いと文句を言いながらも、全然ダメージを受けているように見えない狼獣人。一時期はアジトで大変良く見られた光景なのだが、久しぶりに見ると豪快すぎるな、と皆は思った。主に、脳筋狼が残念すぎる。


「バルロイさん、反省してませんね?」

「「……ユーリ?」」


 そんなアルシェットとバルロイのやりとりを見ていた悠利が、低ぅい声で問いかけた。バルロイを見ている顔は黒い笑顔だった。オーラが相変わらずの怒れる大魔神状態である。再び土下座トリオに戻ってしまった三人を、アルシェットが不思議そうに見ていたが、同時にいつもと違いすぎる悠利に、彼女は真摯に頭を下げた。


「ユーリ、ホンマにすまん。この阿呆をきちんと監督できてへんかったウチが悪いんや」

「違いますよ、アルシェットさん。悪いのはバルロイさんです。だから、アルシェットさんは謝らないでください」

「ユーリ…。アンタ、ホンマに良い子やなぁ…」


 にこりと、その瞬間だけはいつものほわほわした笑顔に戻った悠利に、アルシェットはそっと涙を拭った。…別に涙が出たわけではないのだが、気分的に泣きたくなったのだ。彼女がいかに、脳筋大暴走な相棒に振り回されているのかがよくわかる。

 そんな二人のやりとりに、疑問符ハテナマークを浮かべているバルロイ。脳筋狼は、やはりよく解っていなかった。一応多少は悪いことをしたとは思っているのだが、反省の色が見えない。バカなので。

 そして、そんなバルロイに、悠利は厳かに宣言した。彼の権限で行使できる最大級の罰を。




「バルロイさんの明日の朝ご飯は、パンとゆで卵と牛乳だけです」




 バルロイが声にならない悲鳴を上げた。悠利のご飯に餌付けされているバルロイにとって、それは死の宣告にも等しい。…とはいえ、朝食抜きを宣言しない辺りが、悠利だった。仕事に出かける人に、朝食抜きを宣言できるほど、彼は鬼ではないのだ。今は物凄く怒っているが。


「あと、ゆで卵は固ゆでの、何の手も加えない普通のです」

「ユーリ!?」

「知りません。僕は怒ってます。反省してないバルロイさんには、罰が必要なんです」

「何で!?」

「何でもくそもあるくぁあああああ!お前、ウチがおらん間に、子供らに何してんのやぁあああああ!」


 悠利の発言に食い下がるバルロイの後頭部に、アルシェットの槌が炸裂した。土下座トリオから、バルロイが何をやらかしたのかを聞き出したので、思いっきり怒っていた。そして、このバカを野放しにした自分を恥じていた。そして始まるいつものやりとり。そんな二人に向けて、悠利はにっこり笑顔で、まだ怖いオーラのままで、再度告げた。


「バルロイさんの朝食メニューに関しての変更は受け付けません。勝手に他の人の朝ご飯を食べた場合は、金輪際、二度と、バルロイさんにご飯作りませんから、覚えておいてくださいね?」

「ユーリ!?」

「それでは、僕はそろそろ就寝する時間なので、おやすみなさい。…クーレ、レレイ、ウルグス、ヤック達を部屋に運ぶの、手伝って?」

「「了解!」」

 

 怒りオーラを引っ込めた悠利に呼ばれて、土下座トリオは素早く復活して、それぞれ一人ずつ酔いつぶれた見習い達を担いだ。…なお、一番軽いマグをクーレッシュが担当しているのは、彼らの腕力事情なので、見逃して上げて欲しい。猫獣人とのハーフのレレイは腕力が高いし、ウルグスは豪腕の技能(スキル)を保持しているのだ。この中ではクーレッシュが一番非力なのである。



 かくして、この日以降、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》では未成年への飲酒は最大級の禁忌となったのであった。


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