衣類の修繕承ります。


「フラウさーん、出来ましたよ-」


 のほほんとした悠利ゆうりの声が聞こえて、アジトのリビングでくつろいでいたフラウは、その言葉にそそくさと悠利の側へとやってきた。普段は凜々しく勇ましい風情の彼女が、今はどこか申し訳なさそうな風情である。わずかに悄然としているようにも見える。

 そんなフラウの様子を気にした風もなく、悠利は手にしていたそれをフラウに渡した。


「こんな感じでどうでしょうか?」

「…ありがとう。継ぎ目が解らぬほどに美しく仕上げてくれたな」

「これくらいのことで良ければ、いつでも言って下さい」

「本当にすまない。私も出来ぬわけではないのだがな…」


 そういってフラウが悠利から受け取ったのは、使い込まれたベストだった。彼女が見ているのは、ベストのポケットの部分だった。小物を入れられるように作られているポケットの部分が壊れてしまったのだ。そして、それを悠利が手直ししたという話である。

 フラウとて、冒険者の端くれである。衣類の修繕が何一つ出来ないわけではない。ただ、このベストは長く使い込んでいたためにあちこちに痛みが目立ち、それほど裁縫が得意では無いフラウの腕では、修繕が難しかったのだ。目立つ傷は破れたポケット部分であったが、その他の部分もほつれていた。それを、悠利は丁寧に全部直したのだ。

 無論、元から裁縫が得意だった悠利だが、裁縫の技能スキルレベルが50というのが大きい。針と糸が魔法道具マジックアイテムと化していることもあって、分厚い場所でもすいすいと縫えてしまったのだ。


「それにしても、本当に素晴らしい腕前だな」

「そうですか?僕はこういことが好きなので」


 好きこそ物の上手なれです、と悠利は笑った。意味が解らなかったのか首を捻るフラウに、好きだから上達するんですよ、とやはり笑う。ほわほわとしたその笑顔は見る者に安堵を感じさせる。…かつて、現代日本にいた頃には「キモイ」と言われていた悠利の乙男オトメン趣味は、この異世界においては重宝されていた。むしろ皆に大歓迎されまくっていた。

 とはいえそれは、このクラン《真紅の山猫スカーレット・リンクス》だからかもしれない。メンバーはリーダーであるアリーが認めた者だけだ。その時点で、性根の捻れた者などお呼びでは無い。まして、多少捻れていたとしても、日々のしごきの間に矯正される。よって、悠利を迎え入れたのは気の良い仲間達、というわけだ。

 そして、もはや全員が、悠利に胃袋を掴まれていた。遠方に任務で赴く際に、彼らが嘆くのはただ一つ。悠利の食事が食べられないことだけだ。ある意味わかりやすい。

 フラウの衣装の修繕が終わったので、悠利は洗濯物の中から修繕が必要だと思って避けておいた衣類を手にする。自室の掃除と洗濯は基本的に自分ですることが決められているのだが、流石に洗濯を全て行うのはなかなかに難しい。なので、出立前に洗って干すことは自分でするが、取り込みは悠利達居残りメンバーに頼むというのがよくある光景だった。

 なので、悠利は取り込んだ際に修繕が必要だと思われた衣類を別枠にして、暇なときに繕っているのだ。それを知ったときには流石に全メンバーが申し訳なさそうにしたのだが、特にやることも無く暇だからと言われてしまえば、そこまで強く拒絶できない。何しろ、「自分でやるから大丈夫だ!」とアリーが衣類を取り上げた際に、悠利がしょんぼりしてしまったのを、全員が見てしまったからだ。まるで子犬のようであった。取り上げたアリーですら、しばしの逡巡の後、悠利に再び衣類を渡したほどである。


 …何だかんだで、全員、悠利に甘い。


 ちくちくと悠利は手慣れた仕草で、裾のほつれたシャツを繕っていく。魔法道具マジックアイテムと化した悠利の裁縫糸で縫っているので、今後糸がほつれることはないだろう。シャツが破れてしまえば仕方ないが、糸がほつれることはない。…何しろ、この裁縫糸は魔法道具マジックアイテムだから、一度縫ってしまえば、二度と、切れないのだ。……それはつまり、普通のハサミで糸を解いて調整しようとしても無理というオチがつくのだが。まぁ、その際には悠利の糸切りハサミを使えば良いだけである。


「悠利一人に作業をさせるのも居心地が悪い。少々のほつれならば私でも繕えるだろう。手伝わせて貰えるか?」

「え?でも、フラウさんにはお仕事がありますよね?」

「今日は留守番だからな。特に何も無い。…それとも、私が手伝うのは迷惑か?」

「いいえ。それじゃあ、これ、針と糸です」


 どうぞ、と悠利が差し出した糸の通された針を、フラウは慎重に受け取った。コレは悠利の裁縫セットの中から出てきた品物だ。つまりそれは魔法道具マジックアイテムだということである。そのことを、フラウを始めとする指導係たちは聞いている。…聞いているので、フラウはちょっと頭が痛くなった。ホイホイと魔法道具マジックアイテムを他人に貸すんじゃない、という方向で。

 まぁ、悠利を相手にそんなことを言っても意味が無いとわかっているので、フラウは悠利の隣でちくちくと裁縫を始める。技能スキルこそ所持していないが、彼女もまた、一流の冒険者である。身の回りのことは一通り出来る。

 とはいえ、やはり悠利の腕前は並では無い。フラウが一枚繕う間に、三枚ぐらいは余裕で繕っている。しかも、縫い目が解らないほどに美しい。更に、時々お茶目を刺激されたのか、ほつれた場所を繕うだけでは無く、刺繍糸でそこに模様まで刻んでいる。そういったお茶目をするのは女性陣の衣装限定なので、男性にやったら怒られるか嫌がられるという配慮はしているらしい。…ただし、自分のシャツの袖などには普通に刺繍を入れているが。

 今の悠利の服装は、アリーが買い与えた標準的な町民の服装だ。彼の学生服は空恐ろしい神の加護なんてものが付与されている。ただでさえ目立つデザインだというのに、うっかり誰かに鑑定されたら目も当てられない。そんなわけで、学生服は魔法鞄マジックバッグと化した学生鞄の中で眠っている。よって、買い与えられたシャツを、悠利はちょいちょい自分好みにカスタマイズしていた。

 例えば、ボタンホルダーの部分に刺繍糸で縫い取りを施しワンポイントにしてみたり。襟の端の部分に小さな刺繍を入れてみたり。裾や袖という目立たない場所に刺繍を入れてみたり。実に楽しそうにカスタマイズしているのだが、当人が楽しそうなので、皆は放っておいた。別に、誰が迷惑を被るわけでも無かったので。

 

「それにしても、ユーリはこんな雑用ばかりで嫌ではないのか?」

「はい?」


 しばらく衣類のほつれを直していたフラウが、ふと思い出したように声をかけた。黙々と作業をしていた、もとい、楽しそうに鼻歌を歌いながら作業をしていた悠利は、不思議そうにフラウを見る。何がですか?とその全身で物語る乙男オトメン。彼にとっては、裁縫は大好きな趣味である。例えそれが繕い物だって、楽しい趣味なのだ。

 普通、家事全般というのは、雑用に含まれるのだろう。主婦は日々戦っていると言える。料理や掃除、洗濯もそうだが、こういった衣類の修繕など、雑用としか言えないだろう。皆は面倒くさいと思いながらも、それをしないと不都合だからと渋々行っているのだ。

 だがしかし、悠利は違う。悠利にとっては、趣味だ。大好きな作業だ。遊んでいるのと同じだ。普通の人が読書をしたり、運動をしたりするのと同じレベルで、彼は家事をするのが楽しくて仕方ないのだ。…ある意味、考え方を変えてしまえば、果てしなく便利な人材であった。


「僕はこういうのが大好きなんです。むしろ、好きなことをして居候させて貰えるなんて、嬉しいです」

「…そうか」

「はい、そうなんです」


 にこにこと笑う悠利に、フラウは苦笑した。この子は、と何かを言いかけて、けれど彼女は口をつぐんだ。何が正しく、何が普通かなど、個々人で判断が分かれてしまう。フラウにとっては雑用でも、悠利にとっては喜びなのだという。ならばそれで良いではないか、と彼女は思うことにした。

 

「そうだ、今日、お茶の時間には誰がいるんでしょうか?」

「見習達はまだ戻らないだろうから、私とティファーナだけだろうな。もしかしたらアリーも戻るかも知れないが」

「そうですか。わかりました」


 それだけ答えると、悠利はまた、衣装の修繕に戻る。

 お茶の時間、というのは、悠利が《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に加入してから出来た新しいスケジュールだ。毎日というわけではない。ただ、予定に余裕のある日は、15時頃を目安にお茶とお菓子を堪能する時間が作られた。そんなもの必要なのかと問われたら、悠利が笑顔で「僕、お菓子作りも趣味なんです」と答えたからだ。あと、そのお菓子が美味だったからに他ならない。

 毎日では無いが、お茶の時間に居合わせた者達は皆、悠利が用意するお菓子に舌鼓を打っていた。さて、今日はどんなお菓子が出てくるのやら、とフラウは小さく笑った。凜々しい女性であるフラウだが、彼女も女性。甘味は大好きだった。

 ただ、生憎今日は仕事で出ているブルックが、哀れだな、とフラウは思ったのだ。クールな剣士として知られるブルックであるが、あれで無類の甘党だった。酒も嗜むが、実は女性のような果実酒の方が好きという、可愛らしい趣味がある。似合わないと解っているので、身内ばかりの晩酌ぐらいでしか、そういった物は飲まないが。

 なので、そんなブルックが悠利のお菓子から外れたのを、フラウはちょっと不憫に思ったのだ。…まぁ、ブルックは悠利が作ったサンドイッチ弁当の中身である、ジャムサンドで十分満たされていたのだが。フラウはそれを知らないので、ちょっと不憫に思ったのであった。



 かくして、昼下がりのアジトでは、まったりと時間が過ぎていくのであった。



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