生産ギルド、大パニック。
「あのぉ、皆さん、大丈夫ですか…?」
目の前で、一心不乱にキュウリを貪るギルド職員(しかも幹部クラス)を前にして、
何が起こっているのかと言えば、マヨネーズである。
悠利にマヨネーズを生産ギルドに登録することを勧めたハローズ。その言葉に従い、悠利はハローズとヤックと共に、生産ギルドにやってきた。ハローズは王都でも指折りの商人なので、最初から幹部クラスが出向いてきたのだが、ギルマスを呼んで欲しいと願い出たのだ。…腕利きの商人であるハローズにそこまで言わせる商品か、とその段階で生産ギルドに緊張が走ったのは事実である。もっとも、悠利は全然気づいていなかったが。
そして、悠利たちはギルドマスターの執務室へと案内された。幹部クラスも二名ほどご一緒に。そして、今、彼らの前で、悠利が持参したマヨネーズ(昨日の残りではあるももの、味はそこまで劣化していない)を、キュウリで味わっていた。ギルマスと幹部二名、ついでにギルマスの秘書の四人が。
それは良い。別に良いのだ。商品を確かめるのは生産ギルドの仕事である。その質をしっかりと見極めて、登録するに値するかを見極めるのも、彼らの仕事。ゆえに、悠利はハローズに言われるままに、試食用のマヨネーズと、ついでにキュウリを持参したのだ。キュウリにしたのは、冷蔵庫の中に余っていたからである。あと、他の野菜より食べやすいかと思ったからだ。スティックにしておけば、囓るだけなのだし。
問題なのは、彼らがあまりにも一心不乱で、こっちの話を微塵も聞いていないという状況なのである。四人が鬼気迫る表情で、マヨネーズを付けたキュウリを食べている。貪っているという表現が近いかも知れない。ちょっと怖い。
「…ハローズさん、あの、これ…」
「とりあえず、キュウリが無くなるまで待ちましょうか」
「はぁ…」
ハローズはニコニコ笑顔であった。この御仁は昨夜、既にマヨネーズの衝撃を味わっているので、こんな反応をしているのだ。あと、絶対こうなると解っていたのだろう。だからこそ、受付カウンターではなく、ギルマスの執務室で、と言ったのだ。同行すると言い張っていたのは、悠利が何も考えずに受付カウンターでマヨネーズを取り出し、試食大会を始め、大騒ぎになるのを防ぐためであった。
意味が解らずに首を捻っている悠利の肩を、ヤックはぽんぽんと叩いた。相変わらずマイペースで、自分が色々やらかしているのを解っていない悠利。何だかんだでその悠利と付き合いが深いのは、ヤックとアリーである。だからこそヤックは、悠利が余計なことを言わないように、黙ってような?と視線で訴えるのであった。それぐらいは読み取って貰えたようで、悠利はこくんと頷いていたが。
それからしばらくして、キュウリが全滅するまで、試食大会は続けられた。その興奮も覚めやらぬままに、ギルマスは悠利を見た。
「…これが、マヨネーズという調味料で、そのレシピを生産ギルドに登録するということで良いんだな?」
「はい。正直僕には、マヨネーズがそんなに重要かはわからないんですけど、ハローズさんもクランの皆もそう言うので」
「………わからないのか?」
「はい、わかりません」
「………………そうか」
笑顔で言い切った悠利に、生産ギルドのギルマスはがっくりと肩を落した。その両肩を、幹部二人が左右からぽんぽんと叩いていた。秘書は労るような眼差しをギルマスに向けて、お茶のお代わりを持ってきますと去って行った。頭に
「とりあえず、こちらがレシピになります。あくまで基本のレシピなので、応用方法なども書き加えておきました」
「……この、紙は?」
「あ、僕の個人所有物です」
にへっと笑う悠利であるが、彼が当たり前のように差し出したノートを破って作ったメモ帳は、周囲に物凄い動揺を与えている。この世界の製紙技術では作れないような紙である。ヤックはその辺は気にしていないが、ハローズの目が光っていた。商人の目から見て、見逃せなかったのだろう。だが、この場で口を挟まない程度には落ち着いていた。
レシピの内容では無く、紙の材質で問答を始める生産ギルド組。悠利は相変わらずのほほんとしていた。ヤックは特に興味は無いのか、出されたお茶を飲んでいた。ハローズは、ギルド員たちの衝撃を理解しているので、応援するような眼差しで見ていた。
「ギルマス、とりあえずそのレシピを登録することで納得してもらえますか?」
「…もちろんだ。すぐに料理屋などにも伝達しよう。レシピの販売金額の一割が君の取り分だ」
「はい」
「こういった料理レシピの場合は、一枚が100ゴルドで販売されている。なので、一枚売れるごとに、10ゴルドが君に支払われる」
「はい。それは、僕が受け取りに来るべきなのでしょうか?」
「生産ギルドの金庫で基本は預かっているので、何かのついでに受け取りに来てくれれば良い」
「解りました」
特許と使用料みたいなものかなぁ?と悠利は暢気に考えつつ、説明には納得した。というか、別に自分のレシピが売り物になるとか思っていなかったので、臨時収入貰って良いのかなぁ?ぐらいの認識だ。マイペース
そこで話は終わりかと問いかけたギルマスに、悠利はこくんと頷いた。頷いたが、ぺちとヤックに後ろ頭を叩かれて、首を捻る。
「…ヤック?何かあったっけ?」
「シュシュとヘアピン、登録して来いって言われたじゃん?ついでに、素材も卸して来いって」
「あ、そっかー。そうだったー」
へにゃりと笑う悠利に、やっぱりオイラが付いてきて良かった、とヤックは本気で思った。悠利は善人だが、あきれかえるほどに脳天気なのだ。細かいことを気にしない。ゆえに、時々こういうポカをやらかす。とはいえ、それは彼が、シュシュやヘアピンにそこまでの価値を見出していないからなのだが。
「しゅしゅ?へあぴん?何だそれは?」
「これになります。このシュシュは髪を束ねる飾りで、ヘアピンはこう、少量の髪を留める飾りになります」
そういって悠利は学生鞄からシュシュとヘアピンを数個取り出した。ついでに、その材料として、この世界では流通していない髪ゴムと黒いヘアピンも。髪ゴムは把になっており、切っても切っても無くならない。ヘアピンはケースに入っており、こちらも取り出せど取り出せど無くならない。
「材料は、この髪ゴムと飾りの無いヘアピンを使っています。布地に関しては、服飾店から端布を頂いています」
「…この髪ゴムとヘアピンは、どういった所から手に入れられましたか?」
「僕の故郷の品物です。
「「無制限?!」」
生産ギルド組、絶叫。そんなことはあり得ないと言いたげだが、あり得るんですという風にヤックとハローズは遠い目をした。悠利の所持品は一般常識を木っ端微塵に打ち砕いてくれるのだ。これで、悠利が使っているノートの、素晴らしい材質の紙まで供給無制限だと知ったら、この人達卒倒するだろうなぁ、とヤックは思った。双方の心の安寧のために、そこは無言を貫く所存である。紙に関しては、アリーにも強く口止めされているので。
ハローズは興味深そうにシュシュとヘアピンを見ている。彼はこれを売り物として取り扱いたそうにしていたのだ。ただし、悠利は手持ちの商品は服飾店に卸すつもりなので、全然譲ってくれなかった。
「それでですね、あの、ギルドマスターさん」
「ギルマスで良い。何だ?」
「アリーさんに言われたんですが、この、髪ゴムとヘアピンを僕がこちらに卸して、作り方をレシピとして登録して、シュシュとヘアピンの作成を、他の方の仕事へと回せないでしょうか?」
「…何?」
悠利が口にした言葉の意味を理解出来なかったのか、ギルド組は首を捻った。それに、悠利は言葉を重ねて説明を加えていく。
悠利が生産ギルドに、レシピを登録して、髪ゴムとヘアピンを卸す。そして、生産ギルドがレシピと素材を主婦層などに売る。そして、その主婦層が作ったシュシュやヘアピンを生産ギルドが買い上げて、そこから各商店などに卸す。そういった仕組みに出来ないか、という話だ。
悠利の感覚では内職である。この世界にそういう概念はない。ただ、悠利と仲良くしていた、シュシュを渡した少女が、ぽつりと言っていたのだ。「こういうお仕事があったら、お祖母ちゃんが凄く頑張りそう」と。年老いて表立って働くことの出来ない老女たちも、幼子を抱えて働きに出ることの出来ない主婦達も、小遣いを稼ぐ事が出来るなら、喜ぶのでは無いか。そんなことを、少女の発言から思いついて、悠利はアリーに聞いてみたのだ。
そのような仕組みは今まで無かったが、シュシュもヘアピンも裁縫が出来れば作れる、比較的簡単な品物だった。そもそも、売れ行きが好調すぎて、悠利が趣味の延長で片手間に作るぐらいでは、品薄になりつつあるのだ。そこは早急にどうにかするべきではないか、という話であった。…悠利は気にしていないが、服飾店の店主などは、品薄を咎められて胃が痛い思いをしているらしい。
「…つまり、君が作るだけでは数が足りなくなってきた、と?」
「そうらしいです。僕もこれからも作りますけど、他の人も作ってくださると、楽かなぁと」
「そういうことならば、生産ギルドが請け負おう。それで、この髪ゴムとヘアピンは、いくらで買い取って、いくらで売れば良いのかな?」
「僕としては、元手がタダなので、お金はそんなにいりません」
「しかし、そういうわけにもいかんだろう」
「その代わり、他の方に売る時の金額を下げて貰えたらと思います」
ぺこりと頭を下げた悠利に、ギルド組は困惑していた。こんな珍妙な客は初めてだった。珍しいレシピと素材を手にして現れたのに、新しい事業にもなりかねないことを話しているのに、あまりにも幼く、無邪気だ。…もとい、脳天気にすぎる発言である。
結局の所、無料というわけにも行かないので、ヘアピンは一つが5ゴルド。髪ゴムは10㎝を10ゴルドで卸すと言うことになった。そして、悠利の意思を尊重して、その値段のまま、必要とする人間に売る、と。できあがったシュシュは、その出来映えに応じて買い上げてから、商店に卸すということになった。
こうすることで、レシピを知る人間は自分で作るようになるかも知れない。それでは売り上げが下がるかと思えたが、同時に、どうしても手いうのは個人差が出る。裁縫の技術だけでは無く、使用する布地によっても様々だ。そうなれば、他者の作った作品を求めて商売が成り立つだろう、と。
概ねそういった判断で、この話題は大人しく終わった。…帰り際、ハローズが悠利に今後、余裕があれば自分にもシュシュとヘアピンを卸して欲しいと言ってきたのは、流石抜け目の無い商人というところだろうか。ただの端布を使っていても、腕が良ければ素晴らしい作品に仕上がるという実例なのだから。
かくして、生産ギルドにパニックを引き起こした少年は、のほほんとしながら、その日の昼食メニューを考えながら帰還するのであった。
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