お客様がマヨネーズに堕ちました。


「……え?お断りしますけど?」


 腕をがしっと掴んで叫んでいた男に向けて、悠利ゆうりは面倒くさそうにけろりと言い放った。その答えに、男はこの世の終わりを見たかのように、ふらりと倒れた。何かこう、絶望を詰め込んだような顔をして倒れ込む。慌てて皆が大丈夫かと問いかけるが、男は答えなかった。よほど絶望したらしい。

 悠利の手には、本日作ったマヨネーズの残り。ポテトサラダに使って残った分なのだが、これは明日の朝ご飯の下ごしらえに使うので、残っているが残っていない。使用用途が決まっている物体は、残っているとは言わないのだ。


 ゆえに、悠利は男の申し出をあっさりとお断りしたのである。


 皆に介抱されているこの男、そこそこ名の知れた行商人であった。王都ドラヘルンに本店が一応あるのだが、本人の気性が行商人なので、街から街へ様々なものを売り歩いているらしい。王都の本店は、妻子に任せて、本人は仕入れと販売の旅に出かけている。名前を、ハローズと言った。

 その男が何故|真紅の山猫《スカーレット・リンクス》のアジトにいるのかと言えば、次の街へ持っていく売り物の採取を、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》が引き受けていたからだ。商品の受け渡しは基本的にこのアジトで行われている。ハローズの店は人気店なので、仕事の邪魔をするよりは、こちらで受け渡した方が楽だったのだ。

 何しろ、ハローズは荷物を全部、魔法鞄マジックバッグに詰め込んで旅をしている。ぱっと見では商人に見えない、ただの旅人にしか見えないスタイルで行商人をやっている男、それがハローズであった。…駆け出しの商人だった頃、一緒に旅をした冒険者と入ったダンジョンで、運良く魔法鞄マジックバッグを大量に発見したのだ。その内の一つを今でも愛用しているわけである。


「な、なんてことだ…。これほどに画期的な売り物があるというのに…!」


 絶望一色に染まったハローズであるが、悠利は気にしない。マヨネーズの入ったボールは、再び冷蔵庫に戻された。おじさんが勝手に何か言っているが、悠利には関係無い話であった。


「ゆ、ユーリくん!後生だ!お願いだ!どうかその、マヨネーズを私に売ってくれ!」

「だからお断りしますって言ってますよ?これ、明日の朝ご飯の仕込みに使うんですから」

「金ならいくらでも出す!」

「え?いらないです。お金に不自由してないので」


 商人のおじさんが、金をいくらでも出すと叫ぶ。それはかなりの金儲けの予感がするのだが、悠利は気にしなかった。衣食住は《真紅の山猫スカーレット・リンクス》のアジトで保証されているし、最近はシュシュとヘアピンの内職で現金収入も僅かだが存在する。特に欲しいモノはなく、どこかへ行くわけでもなく、悠利はお金に困っていなかったのだ。

 それでも、普通なら食いつくだろう発言を、綺麗にスルーする悠利に、周囲は呆れた。呆れると同時に、「ユーリだしなぁ…」という雰囲気が漂ったのも、無理は無いことだった。アリーもそう思っていた。悠利が金儲けに興味が無いことなど、とっくの昔に皆が理解している。


「…あのさぁ、ユーリ」

「ん?なぁに、ヤック?」

「別に、マヨネーズは売らなくて良いけど、作り方教えてあげたら良いんじゃない?」

「作り方?マヨネーズのレシピ?そんなの欲しいの?」

「「いや、欲しいだろ」」


 ショックを受けているハローズが哀れに見えたのか、ヤックが口を開いた。その質問に、悠利はますます理解不能と言いたげな顔で、こてんと首を傾げている。彼にとってはただのマヨネーズ。美味しいご飯のお供。馴染んだ調味料。その程度の認識なので、マヨネーズが皆に与えた衝撃は、全然理解していなかった。

 未知の食材なのである。それも、万能性が凄い。野菜にも肉にも魚にも合うなんて、誰もが想像しなかった筈だ。それ故に、本日夕飯に混ざったハローズが、初めて食べたポテトサラダに感激し、その美味を作り上げた新たな調味料、マヨネーズに食いついたのは、無理のない話だった。……悠利以外の皆には、簡単に理解出来る話だ。


「レシピを教えて貰えるのかい!?」

「え?あ、はい。別にそれぐらい簡単なので…」

「是非とも教えてくれ!」


 物凄い勢いで食いつかれて、悠利は困惑しつつも口頭でマヨネーズの作り方を説明する。材料の説明の時に、自分が作ったのは卵黄のみを使用したマヨネーズであるが、全卵を使うとまた違う味わいが出るというのも説明した。使用する油は、植物性の方がさっぱりしていて美味しいので、オリーブオイルや菜種油がオススメとも伝えた。更に、酢の代わりにレモンを使ったり、ハーブを入れたりしても味わいが変わるということも伝えた。

 作り方の際に、分離しないように順番に丁寧に混ぜる方が良いことなどの注意点も伝え終えると、ハローズは感動のあまりに打ち震えていた。…なお、悠利にはおっさんが何故ここまで感動しているのか、わからない。ハローズにとっての金の卵は、悠利にとってはただの主夫のレシピにすぎないのだ。


「ありがとう、ありがとう、ユーリくん!勿論、君には権利料を払うからね!」

「え?何ですか、それ…?別にいらないですけど。マヨネーズなんて、家庭で自作できる調味料ですし」

「いらないだって?!こんな画期的なレシピを知りながら?!君は、君はなんて無欲なんだ!」

「えぇえええ…?」


 大騒ぎするハローズと裏腹に、悠利は困惑しきりである。

 ハローズにしてみたら、金に値するレシピを教えて貰ったのだから、その分の対価を払おうと思っていたのだ。だが、悠利は全然気にしていない。この子はどういう子なんだと、ハローズが訝しげにアリーを振り返った。アリーは面倒そうに、視線を逸らした。俺に言わないでくれ、という心境だったに違いない。

 しばらく話をして、ハローズもまた、悠利の危なっかしさに気づいた。金の卵が暢気に転がっている以外の姿が思いつかない。これは危ない。これは危険だ。そう考えたハローズが出した結論は…。



「ユーリくん、君、生産ギルドに登録しなさい」



 であった。

 なるほど、その手があったか。と皆が納得している中で、悠利がただ一人、首を捻っている。生産ギルドって何ですか?という感じである。

 生産ギルドとは、ようは特許を管理するギルド、みたいなモノだ。誰かが登録したレシピや設計図を、使用料を払うことで円滑に活用している。勿論、同じレシピを元に改良を加えるのは自由である。ただ、揉め事が起こらないように、いわば元祖とか本家とかを定義するためのシステムだったりする。

 また、生産ギルドへ作った品物を卸すことで、品質管理をした上で、商人ギルドや卸売市場などへ流されることになる。一定の品質を確保した商品を確実に手に入れることが出来るということで、商人たちにはありがたがられている。

 勿論、自分の作った商品は自分が納得した相手にしか売らない!みたいな職人気質もいるので、別に物を作る人間全てが生産ギルドに登録しているわけではない。だが、自分の身を守る力を持たない弱い職人などは、生産ギルドに入ることで、そのノウハウを保証される場合がある。


「君の教えてくれたマヨネーズのレシピを、生産ギルドに登録するんだよ。そうすることで、他の人もこのレシピを知ることが出来る。そして、誰かが勝手に元祖を名乗ることもない。また、レシピの使用料が君に支払われることになる」

「……いや、僕別に、マヨネーズの開発者でもないので、そういうのは…」

「ヤック、明日の朝一でこの阿呆連れて生産ギルドに行ってこい」

「了解、リーダー!」

「え?何で?ちょ、ヤック?」


 悠利を無視して話が勝手に進んでいた。だがしかし、ハローズの言葉は渡りに船だと皆が思ったのだ。ついでに、シュシュとヘアピンも登録してこいとアリーに言われて、悠利はますます意味が解らなかった。

 その言葉に、興味を引かれたのかハローズがシュシュとヘアピンについて聞いてきたので、悠利は学生鞄にしまっておいた品々を取り出した。お小遣い稼ぎの内職にしているシュシュとヘアピン作りである。が、悠利は趣味とか内職レベルだと思っていても、技能スキルレベル50の腕前を持ってすれば、それは実に素晴らしい商品に早変わりする。

 結果として、商人ハローズに売ってくれと頼まれることになるのだが、悠利は拒否した。だって、彼はもう既に、服飾店のオーナーさんに卸すと約束しているのだ。約束を破るのは良くない。


「この髪飾りは売れます。余所の街でも絶対に売れると思います」

「そうですか?」

「そうですよ!」


 そう言って食い下がられても、悠利としては売るつもりはない。ごめんなさいと頭を下げる悠利に、ハローズはため息をついた。

 だが、忘れないようにきっちりとマヨネーズのレシピを書き記した紙を持ちながら、どこか嬉しそうである。悠利に、明日、生産ギルドに行く時には同行するとまで言ってきた。名の知れた商人のハローズが付いて行くならば問題はあるまいと、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》一同大歓迎であった。…重ねるが、悠利を取り残して話は進んでいた。


「……とりあえず、お代わりを頂いても良いかね?」

「あぁ、はい。ポテトサラダもスープもまだありますよ。お肉は品切れですけど」

「では、ポテトサラダとスープをお願いしたい」

「わかりました」


 にこやかな笑顔で、悠利はハローズにお代わりを用意した。俺も、俺も、とわいわい騒ぐ住人達には、お客様が先ですと爽やかな笑顔で待ったをかけた。何だかんだで悠利はこういうときは強い。普段はほわわんのくせに、食事の分配に関しては物凄く強かった。

 なお、本日のメインディッシュは、バイパーの酒蒸しである。バイパーの肉は鶏のささみやむね肉に近い食感をしている。なので、酒と塩を調味料に、酒蒸しを作り上げたのだ。ぱさぱさにならないように、じっくりと時間をかけて煮込んだので、酒蒸しというより酒煮の方が近いかも知れないが。

 悠利が酒蒸しでは無く、酒と塩を加えたお湯で煮込む手段をとったのは、酒蒸しだと料理に不慣れなマグやヤックが失敗して、ぱさぱさすると思ったからだ。もう一つは、じっくりことこと煮込むことによって肉の旨味をスープに染みこませることだ。そして、その煮汁を利用して、スライスしたタマネギと卵の白身を使って白湯風スープを作ったわけである。

 ぱっと見では何の味も無さそうに見えるバイパーの肉は、酒で煮られた事によって柔らかく旨味を凝縮させた。酒と塩のみのシンプルな味付けだが、魔物の肉は旨味が凄まじい。ので、シンプルなその肉はあっという間に売り切れてしまったのだ。特に、食べやすいと女子に評判だった。


「君は、料理人なのかな?」

「いいえ。僕は鑑定士です」

「ほぉ、それはまた…。だが、この料理はとても美味しいのだがね?」

「料理の技能スキルがありますから」


 にこにこと笑っている悠利。余計なことを言うなよというアリーの無言の圧力は、通じていなかった。この世界、自分の技能スキルをホイホイ口にするのは阿呆としか言えない。とはいえ、戦闘に役立つワケではない技能スキルならば、別だ。なので、料理や裁縫といった特技がある、という悠利の発言は、生暖かい眼差しで見守られているのだった。



 なお、翌日生産ギルドへ足を運んだ悠利は、マヨネーズのレシピのせいで大騒ぎをされることになるのだが、それはまた、別の話である。

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