マヨネーズとポテトサラダ。


 悠利ゆうりはその日、マヨネーズを手作りしていた。

 マヨネーズという調味料は、日本人にとって大変馴染みのある調味料だ。どれくらい馴染みかと言えば、生野菜が嫌いな子供でも、マヨネーズを付ければ食べられるとか。何にでもマヨネーズをかけてしまうマヨラーなる人種が存在するとか。そういうレベルで、日本国民にはなじみ深い調味料。それが、マヨネーズである。

 この異世界、砂糖も醤油もあったのに、マヨネーズは存在しなかった。西洋風の世界なので、てっきりマヨネーズぐらいあると悠利は思っていたのだが、存在しなかった。

 普通ならそこで諦めるのかも知れない。懐かしい祖国の味は食べられないのだと諦めるのかも知れない。だがしかし、悠利は乙男オトメンだった。母親が色々手作りにハマっていたこともあって、マヨネーズをお手製で作り上げるのは実に簡単なことだったのだ。

 そもそも、このマヨネーズ、材料だけ見てしまえば、実に簡単に揃うのだ。卵黄と塩、油、そして酢。後は好みで胡椒やハーブなどを加えることもあるかも知れないが、基本の材料はこれだけだ。そして、この材料は、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の台所事情を鑑みても、別に難しくも無い存在であった。


「ユーリ、これ、卵の黄身だけ使うの?」

「そうだよ」

「じゃあ、白身は?」

「あとでスープにでも使うから、ボールに全部入れておこうか」

「了解!」


 今日も今日とて、悠利の傍らにいるのはヤックであった。

 別に、ヤックは常日頃から悠利の傍に居ることを言明されているわけではない。彼は自主的に悠利の傍に居て、悠利が何か新しいことを始める場合は、興味津々でそれに関わってくるのだ。なお、今日はもう一人、食事当番であるマグもその作業を手伝っているのだが、こちらは極度の無口かつ気配がわかりにくいので、つい忘れそうになる。

 なお、マヨネーズは全卵で作るパターンと卵黄のみで作るパターンがある。西洋では主に全卵。日本では、国民的メーカーのそれが卵黄のみで作られている。よって、悠利が作り方を知っているのも、卵黄バージョンだ。多分そちらの方が美味しいと思う、という勝手な感想もある。何せ、彼の国民的メーカーのマヨネーズは、外国でも大絶賛されているのだから。

 マヨネーズの作り方は、割と簡単だ。ただ手間がかかるだけで。ミキサーなど存在しないので、泡立て器で混ぜなければいけないのが辛い。とはいえ、三人でやれば交代ができるので大丈夫だろうと悠利は思っている。……何しろ、食べる人数が多いので、マヨネーズの量も大量になるだろうと解っているからだ。

 割った卵から卵黄のみをボールに放り込む作業をしばし続ける三人。というか、ヤックとマグの二人はボールに卵を割って、そこから手で卵黄を掬って移すという手段を取っている。その二人の傍らで、悠利は卵を割っているのに、器用に片方の殻の中に卵黄を入れたまま、交互に移し替えて白身をボールの中に落してしまうと、卵黄のみをボールに入れる。実に器用な姿に、二人揃って呆気に取られるヤックとマグである。


「…ユーリ、それ、何やってんの?」

「え?使うの卵黄だけだから、白身取り除いてるだけだよ」

「そんなやり方あるの!?っていうか、何で出来るの!?卵黄が壊れたりしないの!?」

「卵の殻にぶつけないようにしたら、案外割れないよ~」


 悠利はあっけらかんと言っているが、それは慣れている人間の発言である。悠利の家では家族全員、この方法で卵を黄身と白身に分けることが出来る。手で掬うのも手段の一つだが、その場合、うっかり爪が当たったら卵黄が潰れてしまうからだ。あと、普通に手が汚れる。

 暢気な会話をしながらも、作業は続行される。白身と黄身に綺麗に分けられた二つのボール。白身が入ったそれは冷蔵庫に安置された。後ほど、悠利はスープに使うつもりでいる。いわゆる白湯スープは、卵の白身が入っているモノである。この世界では白湯スープの概念は無さそうだが。

 卵の卵黄のみを取り出すことに成功したならば、次は混ぜる作業だ。塩を適量入れると、泡立て器で卵黄ときっちり混ぜ合わせる。この作業はマグが担当した。本日の食事当番として、仕事はきっちりするつもりらしい。相変わらず、無口だが職人気質の片鱗が見え隠れしている。出身は普通の町人の家の筈なのだが…。


「卵黄と塩が混ざったら、油を入れるんだけど、直接かけないで、こういう風にボールに這わせてね」

「何で直接かけないの?」

「直接かけると、上手に混ざらないって聞いたんだよね」


 そう言いながら、悠利は手にしたオリーブオイルの瓶から油をボールの縁に這わせるようにして回し入れる。オリーブオイルを入れて、それと卵黄を泡立て器で混ぜ合わせる。混ざったら、またオリーブオイルを入れる。この単純作業の繰り返しで、マヨネーズらしく乳化していくのを待つ。

 卵黄と油がきっちり混ざり、マヨネーズよりも固くなっていくのを確認する。混ぜるのが難しそうになってくるのを確認して、悠利は今度は酢を手にした。これは穀物酢である。本当は米酢が欲しかったのだが、どうやら存在しないらしい。誰か作って欲しいな、と悠利は思った。果実酢にすると味に影響が出るので穀物酢を選んだが、日本人の味覚的にはおそらく米酢の方が美味しい。…まぁ、この世界にマヨネーズはないので、どの酢で作っても未知の味になるだろうが。

 塩、油、酢を、最初から卵黄と一緒に混ぜる方法も存在する。ただ、それは機械の力で一気に混ぜるぐらいやらないと、油と酢の相性が悪いので、分離してしまうのだ。この世界にハンドミキサーなんて存在しないし、悠利としては手間暇かかっても美味しいマヨネーズが食べたかったので、酢を最後に残したわけだ。


「お酢を入れると柔らかくなるから、また混ぜてね」

「了解!」


 マグと交代をしたヤックが、張り切って泡立て器で混ぜ始める。酢を入れることによって、それまで卵黄の色をしていた塊が、どんどんと白くなっていく。真っ白に変化していくボールの中身に、少年二人は驚いたように目を見張っていたが、悠利は気にせず酢と油を加えて、ゆるめていった。マヨネーズなのだから、固すぎず柔らかすぎずの絶妙ラインを保たなければならないのだ。

 悠利の中でマヨネーズの固さになったと判断した時点で、一旦投入を止める。ぺろりと味見をしてみると、塩気が足りなかったので、塩胡椒をぱらぱらと入れて調節する。ハーブやレモンを入れても美味しいのだが、今回はオーソドックスなマヨネーズにしておく。ハーブ入り、レモン入り、などのちょっと高級っぽいのは、もっと皆がマヨネーズになれてからチャレンジするつもりだ。

 

「味見してみて」

「…うわ?!何これ!めっちゃ美味い。酸っぱいけど酸っぱくなくて、しょっぱいけど何か違う!」

「……美味。野菜…」

「はいはい、ヤック落ち着いて。あとマグ、野菜だったら、キュウリとか美味しいと思うよ?」

「……了解」


 飛び上がって大喜びしてはしゃいでいるヤックをそっちのけで、マグは真剣な顔で野菜を物色していた。マヨネーズを付ければ野菜が美味しくなると本能的に察したらしい。素晴らしい。なので悠利は、一番手軽で美味しくマヨネーズを味わえるキュウリをオススメしておいた。

 …なお、こくりと頷いたマグは真顔でキュウリを手に取ると、手早く水洗いにしてヘタを落とし、丁寧にスティック状に切っていく。やはりここでも彼の職人気質っぷりが現れていた。これがウルグスならば、水洗いした後に丸かじりへと至っていただろうし、カミールならば面倒くさがって適当にぶつ切りにして食べただろう。…ヤックならば、悠利に切り方を聞いてから食べたに違いない。性格が出ている。

 そして、スティック状にしたキュウリにマヨネーズを付けて食べたマグはと言えば…。




 黙々と一人でキュウリを数本消費するに至っている。




「…ま、マグ?あの、キュウリばっかりそんなに食べると、水分でお腹壊すよ?あと、これから夕飯の仕込みするんだから、ちょっと食べるのストップして…」

「マグ、それ美味いの?なぁ、美味いの!?」

「美味」

「オイラも、オイラも!」

「ちょ、ヤックまでキュウリに没頭しないで!ご飯の準備!」


 作ったばかりのマヨネーズがキュウリによって大量消費されていくことに焦りを覚えて、悠利は二人からマヨネーズの入ったボールを取り上げた。ブーイングが発生するが、そんなことはお構いなしだ。晩ご飯の準備!と怒られてしまえば、二人に反論することなど出来ない。


「はい、今日はこのマヨネーズを使うポテトサラダを作るからね!二人はジャガイモの皮むきをよろしく。僕は他の野菜の準備をするから」

「…了解」

「わかった!」


 二人にジャガイモの皮むきを任せたのは、包丁の使い方に慣れて貰う為でもあるし、時間の短縮に繋がるからだ。釘宮くぎみや家のポテトサラダは、サイコロのようにみじん切りにしたキュウリと人参、ゆで卵を入れたシンプルなもの。家によってはハムやトマト、グリーンピースなど入れるのだろうが、悠利が作るのは至ってシンプルなポテトサラダ。主菜ではなくおかずなので、ハムの類は入れないのだ。

 キュウリは手早くみじん切りにして軽く塩もみをして、水気を切る。混ぜる直前にまた布巾で絞って水気を切ることにする。人参は同じようにみじん切りにして、さっと湯通しして柔らかくしておく。ゆで卵は既にできあがっているので、包丁手早くみじん切りにしておく。

 そうして下準備が整う頃には、ヤックとマグに任せておいたジャガイモの下ゆでも完了している。先を綺麗に拭った麺棒でマッシュする二人。その姿を見ながら、悠利はマッシャー欲しいなぁ、と思っていた。泡立て器はあるのにマッシャーは存在しなかった。異世界の調理器具事情が悠利にはよくわからない。今度アリーさんに相談しよう、と彼は思った。

 …なお、悠利の中で、困ったとき=アリーに相談するは決定事項だ。あと、勝手に動くな、相談しろ、と口を酸っぱくして言われているのも事実である。保護者は大変なのだ。


「悠利、これ、ジャガイモ潰して今度は何するんだ?」

「ん?こっちの具材とマヨネーズを混ぜたサラダにします」

「……美味い?」

「僕の故郷だと、子供達に大人気の料理だよ」

「わかった!頑張る!」


 実に単純明快なヤックの返答だった。マグは既にマヨネーズの美味しさを知っているので、黙々と作業をしている。マッシュしたジャガイモに具材を混ぜて、丁寧にヘラで混ぜているのだ。…それはもう、丁寧に。実は何か魔法でも使っているのでは無いか?と思うぐらいに、均等な混ざり具合である。やはりマグは変なところで職人気質だ。

 具材が混ざったら、マヨネーズを投入する。たっぷり入れたマヨネーズに、塩胡椒を更に加えて混ぜる。あえてマヨネーズに混ぜ込むことによって、具材に均等に味が染みこむようにする主婦の知恵である。そうして混ぜ合わせてしまえば、ポテトサラダは簡単に完成する。後は器に盛れば出来上がりだ。


「はい、出来上がり」

「…野菜入りマッシュポテト」

「まぁ、そうなんだけど、マヨネーズでまろやかになってるし、味も付いてるから、ちゃんとしたサラダだよ。例えば、器の下にレタスの葉っぱをしいて、その上に乗せると更に綺麗」

「おぉ、なるほど!で、一緒に食べれば、レタスも美味しいんだよな?!」

「ヤック正解~」


 味気ない生野菜が嫌いなのは、どこの世界の子供も同じらしい。それならレタスも美味しい、とヤックは嬉しそうだ。…なお、マグは真剣に、どの器に盛りつけるのが良いのかを選んでいた。器が地味に多いのは、鍛冶工房などの制作者から、格安で見習達の作品を購入しているからだ。こちらも見習いに採取依頼などを任せて貰っているので、持ちつ持たれつである。

 



 なお、味見でポテトサラダが大量消費されそうになったのはお約束で、悠利がボールごと冷蔵庫に隔離して見張り番をしたという、笑い話のようなオチがついたのであった。




  

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