エピソード1 side:舞島千鶴(3)

「はい、終わり。すぐ終わった。痛くなかっただろう?」

「痛かった! すごく痛かった!!」

「そうか、最近の注射は痛くないようにできているらしいのにな……」

「それ、ナノマシン用じゃん! 普通のじゃないじゃん!」

 ナノマシン用の注射器は他の注射器よりもすっごく太くて大きいのだ。

「そうかそうか」


すっとぼける彼はいつもよりも上機嫌だ。彼は普段あまり笑わない。けれどもその笑顔が見れたとき、人見知りだった子供が笑顔でいる、そんな場面を見れたかのような気持ちにさせてくれる。


「伶央の意地悪。犯された、けがされた、よごされた!」

「人聞きの悪いこと言うな。あと意味合いが被っているぞ」


ひーんっと私はソファに乗っているクッションを涙でぬらす。けれども、そんな事は知らん顔で伶央は採血(もされた)した血液を大きな機械に入れていた。何かを調べているようだが私にはよくわからない。知る必要もないのだけど。


「…………」


 真面目な顔でモニターを見る彼を私はソファから観察する。


「どうだった?」

「…………」


伶央はモニターを見て確認する。伶央はその結果が表示されたモニターを真剣なまなざしで確認している。


「伶央?」


私は一度伶央に声をかけるが、集中してしまったのか全く聞こえていないようであった。


「伶央? ねぇ伶央ってば……」


今度は体を揺さぶってみる。ここまで集中してしまうと彼に私の声はなかなか届かないのである。


「ん? あ、ああ。大丈夫そうだ、今回もな」

「そうなの?」

「ああ。バイタルも安定している。いつも通りの薬で大丈夫だろ」


手慣れた動作でパソコンを動かし、コピー機から処方箋を印刷する。伶央はすぐにそれを確認してから私に手渡しで紙を渡してくる。


「いつも通り上で薬を貰ってこい」

「わかった、伶央も上に」

「行かないし、会わないし、いやだ」


 伶央は、若干食い気味に私の言葉に返事をする。


「別にそこまでいやがる必要もないんじゃ……」


たしかに雰囲気に不気味さ……というよりも何か言い切れぬ感情がわき出るが、悪い人ではないというのが私が抱く彼女、伶央の先生に対する印象だ


「お前は師匠の事を理解してないからそんな事が言えるんだ。俺があの人のところで修行してた時は毎日毎日毎日毎日生命の危機に直面していたんだぞ」

「そんな大げさな」

「大げさなものか、毎日毎日魔術の鍛錬と称して魔法をぶつけられて、それに加えて日差しの当たらない場所で実験と実証を繰り返していく。それに加えてあの女のおかしな笑い声を聞くはめになるんだ……。頭がおかしくならない方がおかしい……」


彼は師匠の話になると少しヒステリーのように錯乱してしまうのだ。最初の時は対処に困ったのを思い出す。


「だから、僕は絶対に上に行くもんか!」


こうなったら彼は梃子でも動かない。私はそれを理解して、彼と一緒に上のフロアに行くことを諦めた。


「……わかったよ、じゃ行ってくるね」


私はしぶしぶそれに了承したのだった。

私たちが住む雑居ビルにはもう一人住人がいる。私たちが住むフロアより三階上にその人は住んでいる。

その人は伶央の師匠筋にあたる人でいつも私はその人に薬を処方して貰っている。

そして先程伶央が錯乱ぎみに話していた場面にあった事は未だにない。たしかに、時折爆発音や甲高い笑い声が聞こえてくることがあるが、決して彼女がマッドであるわけではないと信じている。

廃ビルに近い我が家のフロアを二階分上がり、標識が掛かっていない扉を開ける。


「麻里さん、いらっしゃいますか……?」


部屋に恐る恐る入りながら聞いてみた。

部屋に入るとすぐに『受付』と書かれた立て札がカウンターに置かれていて、それがこの部屋に入る者に出迎えてくれる。

そして、そこには彼女の趣味なのか髑髏が置いてあり、その脳天には蝋燭が置いてあってゆらりゆらりと火が揺れる。明かりはそれだけではないが伶央と私がすむフロアのような蛍光灯ではなく、少し暗い雰囲気を作り出す頼りのない光だけである。

この部屋は私たちが住んでいる場所と間取りの違いはないはずなのに、どうしてここまで違いができるのであろうと思ってしまう。

そして、部屋にはソファがあり待合室ということになっているのだがそこにいる待合室にいる人間も怖いのだ。それこそわかりやすく強面な方から、本当に今は二十一世紀なのかっていう人までいるのだ。ローブ姿で幽霊のように体が揺れずに移動する方もいれば、フードも被らずに変形した顔をあらわにしているものまで見たことがある。


「ま、麻里さん?」


返事はない。

今はいないのかな?

そう、思ってそっと後ろに後退していくと。


「うりゃー」

「ぎゃーーーー!!!!」


何か後ろから抱きついてくる。そして、それは私の衣服の中をもぞもぞとかき回す。

というか胸!! 胸を揉み揉みされてるぅ!


「あぎゃーーー!!!!」

「おりゃー」


楽しそうな声をあげながら私の背後で体を抱きしめてくる。そして私は直感する。

犯される!

もきゅもきゅ。

やばい、これはまじでやばい。生命の危機はいくつか感じた事があったが、別の意味でのこんな危機感は初めてである。


「むっふー!」


背後の人間は何か充足感を得たのか、そんな擬音を発しながら息を吐く。

唐突に私の胸を揉んでいた手が動きを止める。 


「はむ」

「ぎゃぁぁぁぁああーーーーーーーーーーーー!」


今度は私の耳を甘噛みしてきたのだ。私はそんな、味わったこともない感覚に混乱する。


「はわわわわーーーーーー!!!」


抵抗して、逃げようとして、離れたくて。そんな混乱した私をようやく背後の人間は離してくれた。


「うぅぅ……」

「ふー、ごちそうさま千鶴ちゃん」


そんな声を掛けてきた人物こそ、伶央の師匠に当たるひと、麻里と呼ばれるこの部屋の主である。


「ハーイ、千鶴ちゃん元気?」


 そして何事もなかったかのように挨拶をしてくる。


「ま、麻里さん。い、今のは?」

「ああ、たぶん痴漢よ。最近このビルに出没するらしいから背後は気をつけたほうがいいわよ」

「そ、そうですか……。そうですね……。そうでしょうね……」


注射器から逃げるよりも疲れた気がする。

麻里さん。彼女はここで薬の処方を行っている(あまり大きな声で言えないような薬屋さんだが……)そして、伶央に薬学や医学の知識に加えて古の魔術を仕込んだ人でもある。

そして何よりも彼女を語る上で外すことができない事は、その綺麗な容姿だろう。

先ずわかるのは彼女のスタイルの良さだ。洗練された彼女のプロポーションは間違いなく誰の目から見てもわかるだろう。黄金比というのだろうか……、そんな言葉ですらちゃちに感じてしまうような美しさがある。後ろでまとめた髪。その下にあるうなじは綺麗できっと男の人は好きなんだろうなと思う。

ほうれい、ようび? そのような単語を体現したような人だ。


「で、今日は何の用?」


ようやく彼女は私がここに来た理由を聞いてきた。


「こちらの薬をもらいに来ました」


生気を奪われ、疲れた体を動かして処方箋を渡す。彼女は一通り目を通すと


「わかったわ。すぐにできるから中に入って待っていてね」


そして、奥の部屋に行くときに小さな声を私は聞き逃さなかった。


「……ふふやっぱり若い女の子エキスはいいわね」


 ………………………………。

 次からは背後に気をつけよう。そう思った千鶴であった。


 


薬を渡されて部屋に戻る頃には外も暗くなっていた。麻里さんに生気を吸われてしまいくたくただった。


「ただいま」

「おかえり」


 私はふらふらになりながら、とりあえず貰ってきた薬を机に投げる。


「麻里さんから薬貰えたよ」


 そう言って


「……うん」


令央は聞いているのか聞いていないのか、曖昧な答えを返してくる。

伶央を見てみるとタブレットを見ていた。集中した表情で文字を追っていく。

そんな光景を見ていたら、あることを思いつく。私は忍び足で令央に近づいて行く。

気配を殺し、息を殺して。


「えい」

「うん? なんだ?」


私は伶央の後ろから抱きつく。

大して驚いてなくてなんだか釈然としない。それに相変わらずタブレットを見るのに忙しそうだし……。

少々しゃくに障るので巻き付けた腕を少し締め上げる。


「千鶴? どうしてててててて、いてぇー!」


私の人外の腕力(本気ではない)によって令央は悲鳴を上げる。力加減が少し難しい。けれどもちょっと楽しい。もしかして私にはサディストの才覚があったのか……?


「や、やめろ! 折れる! 骨が折れるから!」

「…………」

「千鶴!? 聞いてるのか!? いい加減離してくれ!」

「…………」

「千鶴? どうした?」


私が返事をしないことに違和感を覚えたのかふりほどこうとした腕をそのままにしている。


「……いや。何でもないにゃー」


私がここにいる意味を再確認する。私がどうしてここにいるのか、そして今後どうしていくのかを……。先のことではあるのだけど……。


「……本当に大丈夫か?」

「……ちょっと生気吸われた」


麻里さんにされたことを言う。


「……先生になんかされた?」


令央は、昔麻里さんを師事していた名残なのか先生と呼称している。

それにしても、あまり話してもいないのに彼の察しがいい。たぶん昔、伶央も何かをやられたに違いない。いや確実に何かをやっている気がする。


「………………………………」


ちょっと無言の間が続く。

すこし心地がいい。

どれだけそしていたのかちょっとわからなくなりかけた時、伶央は一言だけ話す。


「もうこんな時間か。夕飯にしようか」

「…………うん」 


この日常が永遠に続けばいいかなって少し私は思うのだ。



夕飯を食べてからはいつものように過ごしていた。

二人で食事を取り各自分担通りに家事をこなす。夜は私が皿を洗ったり閉まったりと朝できない事をするのだ。彼はというと、洗濯機を回してから研究にいそしむのだ。

たまに外から聞こえてくる酔っ払いの声、それと静かな夜の音で時間が進んでいる事がわかる。

お風呂に入り、いつもの時間に眠くなる。薬を飲むことも忘れてはいけない。

日常の繰り返しだ。


「じゃ、千鶴。おやすみ」

 

令央はまだ起きているつもりなのか、まだ寝支度もせず椅子に座りコーヒーを飲んでいる。あれだけのコーヒー党だとカフェインのせいで眠れなくなってしまうのではないかと思ってしまう。


「ん、おやすみ」


いつもの挨拶を終えて私は寝室に入った。

令央がいる大部屋に繋がるドアからは光が漏れ出している。部屋の電気を消しているから今はそれだけが部屋を僅かに映し出すかすかな光だ。

ベッド中に入ると天井が見えた。コンクリートの壁。冷たい壁。

それは日常の終わりを感じさせる。それを認識したからなのか急激に眠気が襲いかかってくる。そして、私の目はゆっくりと閉じていった。

そして、日常は繰り返す。いつまでも続くことはないが、けれども決して無駄にはできない日常が終わっていく。




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魔法のある科学的未来 ―タブレットマギウス― あさかな たかさ @asakana_takasa

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