エピソード1 side:舞島千鶴(2)

「早く準備しなさい」

「ちょっと待ってよ、急な事で準備しなきゃいけないんだから」

「お前が俺の作った料理を台無しにしなきゃ外食する必要もないのだがな!」

「わかりました。早急に準備します」


 私はビシッと敬礼して、きびすを返して準備をする。

 今日のお昼は急遽外食と言うことになった(主に私のせいで)。


「はい、お待たせしました。隊長!」

「ん、じゃ行くぞ」


 伶央は部屋に鍵をかけて階段を降りていく、そして私はそれについて行く。


「はぁ、あそこは行きたくないんだがな……」

「仕方ないじゃん。ご飯がないんじゃ」

「そうだな、誰かさんのせいでな」

「ああ、ひどい。そんな風に言わなくてもいいじゃん」


伶央は少しばかり背が小さい。本人はそこを気にしているようで、できるだけ隣に並ばないように歩いていく。だから結構早足で歩いて行く。けれども、たまに後ろを振り向いて私が居るのかを確認してくれる。

そんなかわいいところがあるのを、私は知っている。

私たちが住む雑居ビル群から五〇〇メートルほど歩くとビルとビルに挟まれた一件の飲食店が見えてくる。


中華一番と油か何かで茶色く汚れた看板が掛かっている、お店だ。

真板町は、ビルばかりの場所だ。昔はもう少し賑やかだったのだが、空きテナントが増えてからは飲食店やスーパーはすぐに撤退してしまったのだ。

それでもこのような場所で飲食店をやってくれているお店が、中華一番である。

私たちのような希有な存在である真板町住人にはすごくありがたい場所だ。


「お疲れ! 今日もラブラブだね!」


私たちが店内に入って開口一番に私たちを指す言葉を放ったのは、ここ“中華一番”の訳あり従業員、夏音さんだ。彼女の訳ありは私たちにも関係あるのだが、今回は長くなるので割愛しておく。


「夏音さん、俺たちはそんな関係じゃ「でっしょ!! 私たちこれでも2年と三ヶ月」千鶴は喋るな!」


 私は彼の言葉を遮りながらも夏音さんに元気よく返事をした。


「ははは、相変わらず仲がいいね」

「どこが?!」

「でっしょ!」


 息の合っていない返事をしながら、客席に案内された。


「で、今日は何にする?」

「じゃ、麻婆豆腐定食」

「オヤジ、麻婆定あるー?」

「わりー、とーふが切れてる」

「じゃ、エビチリ」

「オヤジ、エビチリはー?」

「わりー、えびがねぇー」

「……なら、チンジャオロース」

「オヤジー」

「わりー牛肉がねぇー」

「何なら食えるんだこの店は!」

「ラーメンかチャーハン」

「じゃあ、それのセットォ!! ちゃんとしたやつな!!」


 ラーメンセットのちゃんとしたやつって何だろう。


「じゃ、私もそれで」


一通りオヤジさんと伶央のコントを見終えてから注文する。いつも何かにおいてからかわれている伶央を見れるのだ。これはほんとうにいつも笑わせてもらえる。


「あいよー、ラーメンセット二つ!」

「おうよー!」

「伶央?」

「なんだ!」


先程の声のボリュームのまま返事をしてきたせいで隣席する私は大ボリュームで聞く羽目になる。

彼は実に短気だと思う。眉間にしわ寄ってるし。


「疲れないの、そんなに大声上げて」


あ、青筋が入った。


「おちょくってるのか! 疲れるに決まっているだろうが! たく、何の冗談だ……」


怒り心頭のご様子に私はいつもながらの日常を感じる。伶央が怒っていて私がそれを見て笑っている。たったそれだけの事。

私の大切な時間である。

私にとっていつまでも続いて欲しい時間。

少しばかし過去に思いを馳せてみる。

真板町に来る前の事。

マギウスの人に会って、騙されて、地獄みたいな日々がさらにひどくなって。もう死んでもいいかなってところまで来て、死のかなーって思っていたら伶央に会った。

初対面の時は今思えばひどい事を言われたけど、その時はそんなことにさえ気がつけなくなっていた。こんな日常が来るなんて思いもよらなかったし、こんな幸せを味わえるとは思いもよらなかった。


伶央に会って、それからは忙しい毎日だった。


目まぐるしくも楽しい日々だった。……気がする。


「はい、お待ちどう。ラーメンセットね」


夏音さんが持ってきてくれたラーメンとチャーハン。

ラーメンにはなぜか牛肉が入っておりその意外性がおいしそうだ。そしてチャーハンにはエビが入ってエビチャーハンになっている。そしてラーメンがついているのにも関わらず豆腐の味噌汁が付いている。


「ありがとう、オヤジさん。とってもおいしそう」

「おう、ありがとな千鶴ちゃん! 伶央もちゃんと食べろよ!」

「…………」

「ん? 伶央? どうしたの?」

「…………いか」

「へ?」

「…………じゃないか」

「ん? ジャマイカ?」

「全部、食材あんじゃねぇか!! バァカにしているのか、テメェ!! ぶっ殺してやる!!」


どうやら、まだこの日常が続くらしいことに少し安堵した。そして、私は少し遅い昼食に手を付けることにした。


「ぷはぁー、食った食った」

「食べた後にすぐ寝ると牛になるそうだぞ」


部屋に帰ってすぐにすること。それは惰眠をむさぼることであった。

実験室のような大部屋に唯一リラックスすることを許されたゾーンがある。それはソファだ。クッションを枕に寝っ転がるとすぐに眠気がくる。これがやめられないのである。


「無理ー。眠気には勝てそうもないやー」

「諦めるな。やらなきゃいけない事もあるんだから」

「えー、これから何やるの?」


仰向けになりながらも気持ちよく目をつむる。


「何、簡単なことだよ」

「ん?」


簡単なこと。

伶央がこの台詞を吐くときは、なぜだかいつも私が嫌いな事が待っているのだ。おそらくそれが私に対する無意識のうちのサインなのだろう。


「な、何、伶央?」

「…………」


不気味な無言、私は恐る恐る顔をあげる。


「…………」

「れ、伶央くーん? どうしたのかな?」


少しばかり背中に汗をかき始めていた。その汗はすごく冷たい。

けれども、伶央は静かにしている。


「…………ふふふ」

「ふふふ?」


いやな静けさの後に、小さく不気味に笑い出す伶央。

小さいはずのその背中が何だか怖く、大きく見える。


「お、おーい。れおくーん」

「…………」


黙ったままの伶央は、そっと銀のトレーを手にしてこちらを振り返る。


「さぁ、注射の時間だ」



「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


すぐさまソファから飛び降り私の寝室に逃げ込む。が、すぐに扉は閉まった。誰の手も借りずに。


「れ、伶央! えぷっぐを使うなんてひどい」

「前は逃げられたあげくに窓から脱走されたからな。今回は逃がさない」

「やめて、鬼、悪魔、痴漢、エッチ、変態、馬鹿、えん罪!」

「言われもないこと言われても心は痛まない。それにえん罪は悪口でもなんでもないぞ!」

「なんでもいいから注射はイヤー!」


 私は力の限りジャンプをした。

 そして、部屋の角からその対角にある部屋の隅へ、一〇メートルあろうかという距離を飛んだ。


「こら、全力で逃げるな!」


けれども、本気でいやがる私には知ったことではない。伶央がすぐに追ってくるが私はそれに対して逃げるように別の方に飛ぶ。


「本気で逃げるな」

「いやだー!」

「バインド!」


伶央が左腕に付けた端末に唱えると、私の体は何かに縛られたように手足が自由に動かせなくなる。


「やっとおとなしくなったな」

「おとなしくさせたの間違いでしょ!」

「いいわけ無用。ほら腕をだせ」

「いやだ!」

「はぁ……」


大きくため息をついてからまた腕の端末をいじくっている。すると今度は体が勝手にソファに向かって歩いて行く。立つことから歩くこと、そして座るまでの一連の動作すべてが私の意に背く形で。


「電子魔術書使うの禁止」

「大人しくするならな」

「わ、わかったから」


伶央は注射器を持ったまま、笑顔で話を聞いてくれる。なぜだか、以前私が見た映画の場面で瀕死の敵が主人公に命乞いをする場面を思い浮かべる。


「ね、私大人しくなったよ。これで安心でしょ?」


 震えた声で伶央に聞く。けれどもなぜか、また映画のシーンが思い出される。


「…………バインドを外すと行ったな」


 あまり、映画の展開などに疎い私にも容易に彼が言う台詞を思い浮かべられた。



「あれは嘘だ」

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

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