恋に気づく瞬間 5
誠史郎さんと裕翔くんが校内を調べてから帰ってきたとき、もうすっかり日が暮れていた。とても丁寧にチェックしてくれたみたいで裕翔くんは疲れきっていた。
件の男子生徒以外に罠はなかったそうだ。彼も誠史郎さんの術が効いていて、眞澄くんに怪我を負わせたことを覚えていなかった。
誠史郎さんと透さんと一緒に鍛練場に来ていた。眞澄くんと淳くん、裕翔くんはここにはいない。年長者ふたりで話すと誠史郎さんは言ったのだけど、私が無理を言って、透さんがそれを援護してくれたのでついてきている。
「さて、何からお話いただきましょうか」
誠史郎さんが鞭を手に仁王立ちで、魔方陣で力を封じられた上に、魔封じのロープで腕と身体をひとくくりに縛られたまま座っている大島先生を見下ろしている。その両眼は南極の海より冷たく澄んでいる。
だけど大島先生に怯える様子はない。ふてくされてそっぽ向いている。豪胆だ。私なら震え上がってしまうと思う。
「ま、隠してもムダやで。株式会社ジエーネ研究所の大島さん」
透さんがニヒルに笑う。ジエーネ研究所は、亘理さんが一代で築いた会社だ。表向きは農業技術のための遺伝研究をしている会社だけれど、亘理社長直属の極秘チームがあり、そこが私たちが相手にしている悪魔やモンスター、妖怪たちの研究を行っているらしい。知る人ぞ知る部署だけど、世界中から仕事の依頼があると透さんが言っていた。
透さんがどこかへ連絡をすると短時間で大島先生の素性が知れた。真壁家の情報網はすごい。
「サキュバスと人間が上手に融合したと仰っていましたが、私には人間の方が強く出ているように思えますよ」
「仕方ないでしょ!こんなに弱い悪魔だなんて思わなかったのよ!」
「いや、あんたがキョーレツ過ぎるんやと思うで」
透さんが呆れた表情で呟く。
「なぜ眞澄くんに危害を加えようと?」
「雪村さんの邪魔したかったから」
明後日の方向を見たまま、つんと顎を上げてにべもなく答える。
「雪村さん?」
誠史郎さんが片方の眉だけを器用に上げると、興味を持たれたことに気を良くしたのか、大島先生は正面を向いた。
「そーよ!自分が吸血鬼になったからってエラソーにしてるあの女!ムカつくのよ!」
亘理さんの会社の吸血種。以前、紫綺くんから聞いたことがある。
「雪村……理沙子さん?」
「なーんだ。知ってるじゃない」
ふわふわとしているのに嘲ることを隠そうとしない微笑み。血が逆流する思いがした。
「そんな理由で……。そんな理由で眞澄くんを……?」
「アタシに興味を持てばこんなことしなかったけどぉ」
大島先生は小首を傾げて破顔する。私は冷静になるために奥歯を噛み締めて強く拳を握った。
少し頭が冷えると別の疑問が湧いてきた。でもそれは雪村さんに聞かなければわからない。
「あんた、亘理さんとこに入れたぐらいお勉強できたのに、何で人間やめたん?」
「アタシ、モテてみたかったの。こんなで容姿で生まれたかった。勉強だけできても、誰もちやほやしてくれないから。会社の廊下にこのサキュバス落ちてたのよ。こんなチャンスめったにないでしょ?実際、この姿を手に入れた途端に男たちが寄ってきた。サキュバスって男の精を取り込まないと生きていけないの。一石二鳥だし、ウィンウィンでしょ?」
饒舌に、とても楽しげに語る大島先生を見て、透さんは後頭部に掌のあてながら大きくため息をつく。
「それは好きにしたらええけど、もう俺らにちょっかい出すんは止めてもらうで」
「嫌よ!眞澄クンはアタシのモノになってもらわなきゃ」
「眞澄くんはモノじゃないです!」
自分でも驚くぐらい強い声が出た。大島先生は眞澄くんが好きなんじゃない。自尊心を満たすために眞澄くんを利用したいのだと思うと腹が立った。
「雪村さんへの個人的感情でしたら、私どもに協力いただければ代行いたしますよ?」
誠史郎さんがぞくりとするほど美しく酷薄な微笑を浮かべる。
「協力?」
「雪村さんにアポを取っていただきたい。それから彼女の居場所を教えてください。うまく計らっていただければ、その後誓約書に貴方のサインを頂戴して解放しましょう」
とても大島先生に都合の良い話だ。彼女もそう感じたようで、婀娜っぽく破顔した。
「良いけどぉ、これ外してもらわないと電話できないなー」
「おかしな真似したら、すぐにその魔方陣発動するで?」
「わかってるわよ!」
誠史郎さんが彼女を捕縛していたロープを外し、大島先生のスマホを渡す。
雪村さんに電話をかけたが繋がらなかった。SNSを使用して接触を試みる。返信まで時間がかかると思われたので、先に誓約書にサインをもらうことにした。
紙を渡すとペンも渡すように催促される。
「きちんとお読みにならないで宜しいのですか?」
「いいから、早く書くものチョーダイ」
誠史郎さんは胸のポケットからペンを取り出して手渡した。大島先生はほとんど内容を見ないで名前を記す。ペンを返そうとした彼女の手首を誠史郎さんが素早く捕らえると、人差し指の先を小型のナイフで僅かに傷つけた。滲んだ血を誓約書に染み込ませる。
「何するのよ!いったぁい……」
「確かにいただきました。これで私たちに手出ししようとすれば貴方はすぐに消滅しますので、お気をつけください」
誓約書を手に誠史郎さんがにっこりと笑うけれど、雰囲気が笑っていない。大島先生は傷口を押さえて、金魚のように口をパクパクするけれど言葉が出てこない。
「ですから、きちんとお読みにならないで宜しいですかと尋ねましたよ?」
「男漁りする分には困れへんから、これが終わったら俺らと関わらんとき」
「寝首を掻こうなどと考えないことです」
切れ長の双眸に冷たい光が宿っている。
「……眞澄くんに、ちゃんと謝ってください」
頭の中ではもっといろいろ言いたいと思っていたのに、実際言えたのはこれだけだった。呆然としている大島先生を再び封じて鍛練場を後にする。
数歩ふらふらと歩いてから、不甲斐ないと額を壁についた私の頭を透さんがぽんぽんと撫でてくれた。
「みさきちゃんはそれでエエよ」
「がんばりましたね」
誠史郎さんはさっきまでとは別人のように優しく口元を緩ませている。
ふたりがこんなに私の不甲斐なさをフォローしてくれているのに、私が気になっていたのは眞澄くんのことだった。
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