恋に気づく瞬間 4
自信満々に見下しながら微笑む大島先生から目を離さずに、神通力を込められた棍の柄を握り直す。
「2対1って、ズルくない?」
「残念!」
唇を尖らせる余裕を見せた大島先生の後ろから、裕翔くんが羽ばたくように軽やかな身のこなしで現れた。抵抗する隙を与えず彼女を脇固めにしてうつ伏せに倒すと、その背中に上体を乗せて体重をかける。
「3対1だよ」
好戦的な笑みを口角に乗せた裕翔くんに自由を奪われた大島先生の乱れた髪の間から舌打ちの音が漏れる。
「何が目的です?」
私は裕翔くんの傍らへ行き、ふたりで協力して素早く悪魔封じのロープで彼女を後ろ手に縛り上げた。
「言ったじゃない。眞澄クンに興味があるの」
顔だけ上げた大島先生はそう言ってふんわりとした笑顔を見せる。
「だけどぉ、良いのかなぁ?眞澄クンを放っておいて」
甘ったるい、まとわりつくような声が不愉快に響く。
「アタシィ、武将は織田信長派なの」
爬虫類のように破顔する様子に寒気を覚えた。そして眞澄くんの身に危険が迫っているのではないかと息が詰まる。
血相を変えた淳くんが階段を駆け登ってきたのはその時だった。
「誠史郎!眞澄が……っ!」
「俺じゃなかったらテレビのニュースだよ」
保健室のスツールに座って苦笑した眞澄くんは上半身裸でいる。脱いだ制服の白いシャツは血の染みが広がり、刃物に切られたせいで裂けてしまっている。
ひとりの男子生徒が、眞澄くんの背中をカッターナイフで刺した。正確には刺そうとして失敗した。だけど避けきれずに眞澄くんは脇腹を切られた。不幸中の幸いで傷は浅く、眷属ゆえに回復も早い。出血はすでに収まっていた。
目撃者は淳くん以外にいなかったことと、大島先生に操られていただけだから大事にしたくないと言った眞澄くんの意見を尊重して、内々で処理することにした。実行犯にされた生徒は眞澄くんも淳くんもほとんど面識のない3年生で、誠史郎さんが催眠術で念のため大島先生に関する記憶を消した。
大島先生は捕縛して、力と意識を封じた状態で保健室のベッドに寝かせてある。話してもらわないといけないことがたくさんあると、誠史郎さんが無表情に言っていた。
今日のところは眞澄くんは早退した方が良いと誠史郎さんが判断し、透さんに迎えに来てもらうようにお願いした。ついでに大島先生も引き取ってもらう予定だ。
「避けきれへんなんて、どんくさいなー」
透さんは替えのシャツも持参してくれていた。お礼を言って受け取った眞澄くんは、ばつの悪そうな顔をしながら袖に腕を通す。
「このおねーちゃん、このままお宅で寝かしといたらエエの?」
「鍛練場の床にでも転がして置いてください」
誠史郎さんが絶対零度の双眸で冷たく言い放った。
眞澄くんより、淳くんがショックを受けてしまっていた。ただでさえ色が白いのに、すっかり顔色を失っている。保健室の窓際で椅子に座って項垂れていた。
「淳くんも家へ戻りますか?」
誠史郎さんが傍らへ寄ると、淳くんははっと顔を上げた。
「大丈夫。教室へ……」
額を押さえて立ち上がろうとした淳くんだけど、少しふらついてしまって誠史郎さんに腕を掴まれる。
すでに授業時間は始まっていた。私と裕翔くんもサボってしまっている。
「淳、無理しない方が良いよ」
「車で来てるから、ふたりも3人も一緒や」
「そうだよ。今日は家に帰ってのんびりしようぜ」
淳くんを落ち着かせるためか、暢気に笑う元気そうな眞澄くんを見ていると急に涙が溢れてきた。緊張の糸が切れてしまったみたいだった。
「みさき!?」
ぼろぼろとこぼれ落ちる涙を見た眞澄くんが驚いて私の前にやって来る。
「あ……れ……?」
みんなの視線が集中してきたので何とか泣き止もうとしたけれど止まらない。眞澄くんも正面でおろおろしている。
「急にどうしたんだ?」
「わかんない……」
止まらない涙を手の甲で乱暴に拭うと、少し冷たい大きな手が私の手首を優しく掴んでそれを止める。
「ああ、擦るな」
困ってしまって眉が下がっている眞澄くんを見て、何だかおかしくなってきた。涙は止まらないのに声を出して笑ってしまう。
「どうしたんだ?」
怪訝な顔をして覗き込んでくる眞澄くんを見て安心して、また涙が流れてくる。
「もう泣くな」
眞澄くんが私の頭を抱え込んで胸板に顔を埋めさせた。安心する香りだ。眞澄くんの心臓の音が規則正しく響いていることにほっとすると全身の力が抜けてしまって、へなへなと床に膝をついた。
この仕事を生業とするというのは、こういうことだ。いつ命を狙われてもおかしくない。改めて思い知らされた。
「淳クンもみさきちゃんも、1回家帰って立て直した方がええ」
「……すみません」
「ごめんなさい……」
淳くんと私がほとんど同時に頭を下げると透さんは苦笑いをする。
「謝ることやない」
「そーそー。俺はピンピンしてんだし」
後のことは誠史郎さんと裕翔くんに任せて、私たちは早退させてもらうことにした。大島先生をどうするか悩んでいたのだけど、人がひとり入るぐらいの巨大なダンボールがごみ捨場にあったことを誠史郎さんが思い出したので、見つからないように中に詰める。男性陣で運び出して、私たちも透さんの車に乗せてもらう。
後部座席で隣に座った眞澄くんの整った横顔を見る。胸の辺りが苦しく感じる。
ふと疑問に思ったことがあった。大島先生は本当に眞澄くんを好きなのだろうか。私なら眞澄くんを傷つけるなんて、ましてや死んでしまうかもしれないことなんて絶対に行いたくない。
荷室に置かれた大きなダンボールを見やる。彼女と冷静に話せるだろうか。今さらながら怒りがこみ上げてきた。
「みさき?」
「私……ちゃんとできるかな」
「何を?」
「大島先生に文句言いたい」
気合いを入れて握りこぶしを作る。微妙な沈黙があって、眞澄くんと透さんが声を上げて笑い出した。助手席にいる淳くんも釣られてくすくすと笑いはじめる。どうして笑いになっているのかわからなくておろおろしてしまう。
「えーで、みさきちゃん。その意気や」
運転席の透さんのニヒルな笑みがバックミラーに映っていた。
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