恋に気づく瞬間 6

 大島先生も床の上に直接寝るのは身体が痛いだろうと思って、お布団を鍛練場に運んでいると淳くんに遭遇した。

 敷き布団を淳くんが代わりに運んでくれる。掛け布団は私が持っている。届けに行くと、大島先生は目を丸くした。


「バカなの?あんたたち」

「もう誓約書にサインいただいていますから、お風呂に入りたかったらどうぞ。一応私が外で見張りますけど」


「……雪村さんから連絡は?」

 穏やかで気品のある淳くんの声に感情がない。大島先生とは口もききたくないといった風情だ。


「ケータイは鳴ってたけどぉ、こんなだから確認できなくてぇ」

 先生は捕縛されている身を捩って両手に自由がきかないことをアピールする。私がフローリングに無造作に置かれた大島先生のスマホの電源を入れる。暗証番号を入力しないと操作できないようになっていた。


 彼女の自由を奪っていた魔封じのロープをほどく。スマホを差し出すと綺麗にネイルアートの施された指が素早く数字を打ち込む。そして画面をスワイプして内容を確認してから私たちに見せてくれた。


「明日の夜なら行って良いって」

 SNSに雪村さんから返信が届いていた。確かにその旨が記されている。


「そこまで案内してください」

 淳くんは大島先生を一瞥もしないで冷たく告げる。

「わかってるわよ。どーせアタシがいないと入れないしぃ」

 当然だけど、社員しか入れないようにセキュリティがなされているようだ。


「これで良いでしょ?お風呂入らせてもらおうかしら」

 魔方陣から大島先生が出られるようにする。誓約書のことがあるので、彼女が私たちに何か仕掛けてくる様子はなかった。


「パジャマ、私ので良ければ……」

「あんたのなんか、アタシの胸が入るワケないでしょ」

 マスクメロンがふたつ並んだような豊満な胸を強調されると反論できない。それほど小さくはないと思うけれど、彼女ほど立派ではない。


 だけど何も用意しない訳にもいかないので、お母さんのネグリジェを着替えに置いておいた。さすがに下着は新品でないと渡すのは躊躇われたので、我慢してもらうしかなかった。


 大島先生がお風呂に入っている間、私は脱衣場の扉の横で壁に背中を預けて日本史の参考書を読む。中間テストが近いので少しでも覚えなくてはいけない。淳くんは女性が入浴しているところにいるのは失礼だろうから、とリビングへ行った。何かあればすぐに僕を呼ぶんだよ、と言い添えて。そう言った淳くんは、いつもの貴公子を思わせる淳くんだった。



「ほんっと、バカがつくほどお人好しね」

 お風呂上がりに顔を会わせるなり、こんなことを声高に言われたので、きょとんとしてしまう。用意しておいた夜着に彼女は着替えていた。脱いだものは畳んで手にしている。


「あんたの大事な眞澄クンをいろんな意味で奪いにきた女よ?風呂に入れて寝床を用意すれば懐柔できるとでも思ってるのぉ?」

 そんなことは考えもしなかった。だけど受け取るひとによって印象は変わってしまう。大島先生には下心があると見えてしまったようだ。残念だけど仕方がない。


 だけど眞澄くんを奪うという言葉だけは棘のように残る。その痛みをごまかすために、みぞおちの辺りで拳を握った。

「だんまりぃ?」


「みさき!危ないよ、こんな猛獣ひとりでつれて歩いたら」

 ふらりと現れた裕翔くんの明るい顔に安堵してしまう。


「猛獣ですって!?」

「じゃあ怪獣?」

「ほんっと失礼ね!ここの男たちは!」

 唾を飛ばす勢いで抗議する大島先生を裕翔くんは指で耳栓をしてやり過ごす。


「仕方ないと思うけど。もう化けの皮剥がれてるし」

 耳から手を離してにかっと破顔する裕翔くんに彼女も毒気を抜かれてしまったようだ。小さく舌打ちをして姿勢を正すと鍛練場に向かう。その後ろ私と裕翔くんはついて歩いた。


 大島先生が魔方陣の中に戻ったのを確かめて、鍛練場の出入口にも念のため内側からは開けられないように封印を施す。

 私の部屋に戻ると、今日はみやびちゃんは来ていなかった。机の上に置いた携帯電話が視界に入る。大島先生にあんなことを言われたせいか、また眞澄くんを意識してしまっていた。もう寝てしまっただろうか。


 声が聞きたくて、電話をかけてみる。ボタンを押す手が震えそうなほど心臓がうるさい。

 何度かコールして、急に恥ずかしくなってやっぱり切ろうとしたところで眞澄くんが出た。


「みさき?何で電話……」

「えっ、えっと、その……」

 同じ屋根の下で電話なんてかかってきたらびっくりするに決まってる。あまりにも冷静さを欠いた自分の行動に悶えてしまう。


「……外、出られるか?」

 何も言っていないのに、どうして眞澄くんはわかってしまうのだろう。電話なのに頷いてしまう。


「出られるか?」

 遠慮がちにもう一度問われて、これは電話だから声を出さなければさすがの彼もわからないと思い出す。

「う、うん」


「待ってるぜ」

 自然に口元が綻ぶ。部屋を出ようとして、前髪が変じゃないか気になって慌てて鏡を覗く。


 その時、ふと気がついた。

 私は眞澄くんに恋をしている。


 自覚してしまうと、どんな顔をして会えば良いのかわからなくなった。だけど会いたい気持ちが勝る。

 緊張しながら自室を出て玄関へ向かう。そっと扉を開けると眞澄くんが待ってくれていた。目が合うと優しい微笑みが上弦の月に照らされる。


「散歩でもするか」

 指が絡められる。熱くなった頬に夜風が心地良かった。

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