水底のアフロディーテ
春瀬由衣
第1話
イジメられたのは私が悪い。百パーセント悪い。本当に悪いことをしたと思う。
臭いと言われた。だから死ねと。歯医者に行ったが検査の上口臭はないと言われた。道行く人も誰も私の体臭なんか気に留めない。
ごめんね。そう思った。繊細な人々のなかに、私が入ってしまって。
ザブンと水のなかに潜るたび、許されている気がした。理屈なんてない。息を止めて、空気よりよほど粘性のある空間を不自由に動く。そこは不自由で、しかし温かかった。
飛び込みとターンが苦手だった。それでよく大会でバタフライ2位になれたものだと思う。私は速く泳ぐことが目的じゃなかったんだろう。水のなかで、身を滑らすことが楽しかった。水面に浮かぶレーンは私には見えない。下を向いてさえいれば広い空間を目にしていられた。
空を飛べたなら、と思った。
地上を這う人間という生物ではなく、道路のない空をいく者であれたなら。空だって縛りはある。下降気流に押しつぶされないよう、目いっぱい羽根を広げ、尾羽を小刻みに動かして。滑空する大きな鳥に限って、肝っ玉は小さいかもしれないと思った。それでも、気分だけでも自由を思っていたかった。
私の肺はあまりにも小さい。手は羽根にはならない。中途半端なまま、それでも地上を這わねば生きていけない種族であることを悔いた。私は生まれる場所を間違ったのだと思った。
水は私に優しかった。上を向きながら、ゆっくりと潜水する。ある程度まで潜ったら、口のなかの前歯と唇の間の小さな空間に器用に空気を溜めて、多少しゃくれるようになりながらその空気を押し出した。それはいわゆるバブルリングとなって、弱弱しくも浮上していった。それは空気に触れた途端に消え果た。私はむきになって次々に息を吐いた。
私が生きている証を可視化してくれる場所。それが水底だった。水から上がればそこはいつもの場所で、私の存在をいつも無視した。それでも生きていられた。私には、水泳があったから。
水底のアフロディーテ 春瀬由衣 @haruse_tanuki
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