ある化け物の話 それから


 その日から、生き物は化け物にいろんなことを話してくれるようになりました。


 生き物がニンゲンという種類だということ。

 鳴き声だと思っていたモノが、言葉というものであること、様々な物の名前。


 一つ一つ知るたびに、鳴ける……いえ、話せる言葉が増えていった化け物は楽しくて、わくわくします。

 ニンゲンにもっともっととねだり、たくさん話してもらうのでした。 


「ねえ、ものにはたくさん名前があるって知った。なら、ぼくにも名前ついてるの?」


 ある日、化け物がそんな風に聞くと、ニンゲンは少し困った顔をしました。

 銀色の髪、緑色の瞳はいつ見てもきれいだな、と思いました。


「君は、この真理の塔の人間たちからはフィアと呼ばれてるけど……」


 フィア、フィア。なんだか素敵な響きのように思えた化け物はうれしかったのですが、ニンゲンの表情は晴れません。

 なんだか感情も靄がかかったようによどんでいます。


「どうしたの」

「いや、なんでもない。それは、種族全体を示す名前なんだよ」


 種族? そうです。

 たくさんの同じものがあったときに、まとめて呼ぶものだと教えてもらいました。


「ニンゲンがニンゲンだけど、ニンゲンじゃないみたいに?」

「そう。僕は人間だけど、人間という名前じゃないのと一緒。フィアはフィアという種族なんだ」


 かみ砕いて教えてくれたニンゲンでしたが、あまり腑には落ちませんでした。

 化け物は同族に会ったことがありません。ならば、フィアはフィアでよいのだろうと思いました。

 そこで、ふと考えます。


「じゃあニンゲンの名前は?」


 時々ここには、ニンゲン以外の人間も訪れます。

 ただ、その人間の感情は黒く暗くねっとりとして気持ちが悪いので、化け物はここに来たときと同じ形をとって、知らんふりを決め込んでいたのでした。


 ですが、そうやって何人もいるのでしたら、ニンゲンを区別するために名前は必要なのだというのはわかります

 だからもしかしたら、ニンゲンにはニンゲンじゃない名前があるのかもしれないと思ったのです。

 化け物がわくわくと鉄格子の間からのぞき込んでみれば、ニンゲンはまた困った顔になってしまいました。


「もしかして、ニンゲンはニンゲンなの?」

「あ、いや。なくは、ないんだけど……」


 言いよどんでしまったニンゲンを困らせるつもりはなかったのですが、なんだかしょんぼりしてしまったので、化け物も同じように眉をハの字にしてみます。

 迷っている様子のニンゲンでしたが、ぽつりと教えてくれました。


「外の人間には、ファイブ、ってよばれてる」


 とても小さな声でしたが、化け物はぱちぱちと目をしばたたかせました。

 驚いたとき、人間はそういう風にするのです。

 こみ上げてくるそわそわに、化け物は身を乗り出しました。


「ファイブのファイって、フィアと似てるっ。すてきね!」


 じっとうつむいていたニンゲンがびっくりするように緑の瞳を丸くするのに、化け物はぴょんぴょんその場で飛び跳ねました。

 全然違うニンゲンと、似たところがあったのが、とてもうれしかったのでした。


「そっか……うん。そうだね。君は知らないから、そういえるのか」


 人間が、なんだかぎゅっと痛そうな表情をしているのに気がついた化け物は、首を傾げました。


「どうしたの? いたい?」

「ううん、大丈夫だよ」

 

 銀の髪を揺らして首を横に振ったニンゲンは、緑のまなざしでじっと化け物を見つめて言いました。


「ねえ。これからは、人間じゃなくて、ファイって呼んでくれる?」

「うん、いーよ」


 よくわからなかったけれど、うなずいた化け物は、また思いつきました。


「ねえねえ、ならぼくも! ぼくもフィアって呼んで!」


 せっかく自分の名前を知ったのなら、誰かに呼んでもらいたかったのでした。


「うん。わかったよ、フィア」


 しゃら、と鎖をならして緑の瞳を和ませたニンゲンにそう呼ばれたとき、化け物の胸が、ぽうっと温かくなりました。

 ふわふわ、ほわほわ、ひなたぼっこをしているときのような幸せな心地でした。


 あれれ? なんなのだろうと、不思議に思いましたが、ニンゲンに話しかけられたから気にならなくなりました。


「あと、ぼくって言うのはやめようか。たぶん君は女の子なんだろうから」

「?」

「あと、髪の毛でだけでも、前を隠してくれるとうれしいなあ」

「??」


 顔を赤らめて苦笑するニンゲンが不思議で、化け物は首を傾げます。

 その日から化け物は、「ぼく」ではなく、「わたし」を使うようになりました。










 ニンゲンはいろんなことを教えてくれて、それと同じくらい、化け物にいろんなことを聞いてきました。

 化け物はニンゲンと話すことが楽しくて、楽しくて、できる限り語りました。


「フィアは、なにも食べなくても平気なの?」

「食べるってなぁに?」

「生き物は、ほかの生き物を食べて体を動かす力をもらっているんだ。だから食べないと生きていけないんだよ」


 そういえば、外に居た頃に、大きい獣が小さな獣を殺して、口に入れているのを見たことがありました。

 そうか、アレは食べるという行為だったのかと、化け物はまた一つ賢くなって誇らしい気分になりました。


 でも、自分がどうして食べなくて平気なのかはわかりません。

 外の世界に居た頃も、ここに来てからもう両の手指を何度も折り曲げてしまうくらい日がたっても、ニンゲンの言うお腹が空いた、というのを感じたことがありません。


 なにか、必要なときがあるような気もしましたが、霞がかったようにつかめませんでした。


「うーんと、よくわからないけど。食べなきゃいけないときは、ある、気がする?」

「そうなんだ……」


 化け物が首をひねっていると、ニンゲンは暗い顔をしていてさらに首を傾げることになりましたが、すぐに元に戻りました。


「フィアが、姿を変えられるのはどうして?」

「わたし、形が決まってない。幼体だから。成体になると形をもてるの。いまは、そのための準備、練習中」


 それは生まれたときから、なんとなくしってることでした。

 だから、こんなこともできる、と昔見たことがある鳥の羽を背中に生やしてみせれば、ニンゲンはぽかんと口を開けて黙り込んでしまいました。

 ニンゲンを驚かせるのは面白くて、くすくす笑いながら、化け物はでもとしみじみ思います。


「はやく、成体になりたいなあ。そうしたらもっといろんなことができる気がするの」


 そうしたら、きっとこのニンゲンをもっと驚かせることができます。


 考えるだけで、とてもわくわくすることだ、と髪を揺らめかせていると、ニンゲンが、とても不思議な表情をしていました。


「ここから、出たいの?」


 声音はとてもまじめで、ほの暗くて、緑色の瞳が深く光っているようでした。

 取り巻く感情も、なんだか今まで見たことないような感じで、化け物は戸惑いましたが、質問がよくわかりませんでした。


「? どうして出るの? ここには、ファイが居るのに」

 

 ここは風に飛ばされることも、岩に引っかかることも、雨に降られることもありません。

 それになにより、ニンゲンがいるから、外にいたころよりもずっと楽しいのです。


 心底不思議に思った化け物が問い返せば、緑の瞳がゆがみました。


 ニンゲンは悲しいような、苦しいような、うれしいような、そんな感情が渦巻いていて、なにがなんだかわかりません。

 ただ、どうしようもなく痛くて、化け物までぎゅっと胸が引き絞られるような気持ちになりました。

  

「ファイは、外に出たいの?」


 けれど、ますます驚くことになります。

 だって、ニンゲンの緑の瞳から、透明な水があふれてきたのですから。

 はじめてのそれに化け物は戸惑って、うろたえました。


「どうしたの? それ、なに?」


 ニンゲンは手のひらで溢れてくる水を拭いながら、たどたどしく言います。


「これは、涙って言うん、だよ。なんでも、ないっから、きにしないで」


 ニンゲンが首を横にふるたびに、首についた鉄の輪っか――首輪と言うらしいそれが揺れ、手首についた鎖がしゃらしゃらと鳴ります。


 すごく重そうだから、取ればいいのにと思いながら、化け物は考えてみます。


 ニンゲンからはとても悲しいにおいがします。ということは、とても悲しいのです。

 ニンゲンが悲しいと化け物もなんだか悲しくなってしまいます。

 化け物はここでも良いのですが、ニンゲンはあまりうれしくないのかもしれません。


 化け物は考えました。

 あまり考えるのは得意ではありませんが、がんばりました。


 ニンゲンは化け物にいろんなことを教えてくれました。


 化け物は自分が感じたうれしい分を、ニンゲンにもうれしいと思って欲しかったのです。

 そして、思いつきました。


「じゃあ、わたしが成体になったら、一緒にお外に出ようね!」


 成体になったら、もっといろいろなことができると確信がありました。

 だから、化け物は自信を込めて言ったのです。


 ニンゲンは、緑の瞳をまん丸にして化け物を見つめました。

 すると、また、ほろりと、涙をこぼしたのです。

 うれしくなかったのだろうかと、化け物は不安で悲しくなりました。


「ちがったの? かなしいの?」


 しょんぼりとすれば、ニンゲンは首を横に振りました。


「ううん、涙は、うれしいときも、流れるものなんだよ」


 そういったニンゲンの感情は、複雑に絡み合ってよくわからなかったけれど、ニンゲンがそういうのならそうなのだろうと、化け物は納得して、うれしくなりました。


 ニンゲンを喜ばせることができたのです。


「約束だね」

「約束?」

「ええと、そうだな。それを必ず守るよって心に誓うこと、だよ」


 そんなことをしなくても、化け物はちゃんと言ったことを守ります。

 でも、ニンゲンが喜ぶのなら、と化け物はうなずきました。


「わかった、約束ね」

「ああ、この檻を出るときは、一緒に出よう」


 ニンゲンが、唇のはしをつり上げて、目を細めます。

 それは、化け物の大好きな、笑う、という表情で、ますますうれしくなった化け物も、同じ表情をしたのでした。










 そうして、ニンゲンと約束をした化け物は成体になる日を心待ちにしました。

 ですが、何度、朝が来て、夜が来て、朝が来ても全くその兆しは感じられませんでした。


 ニンゲンは、相変わらず細いままでしたが、初めて出会った時よりも、頼りなさが消えて、背も伸びて、身体もしっかりしていました。

 幼体から成体になったニンゲンは、化け物が知るいろんな生き物の中で、一番きれいだと思いました。

 ですが以前ニンゲンにそう伝えましたら、かっこよくなったね、と言ってほしいとしょんぼりとされてしまったので、次はそう言う事にしています。


「ごめんね、ファイ。まだだめみたいだ」

「いいんだよ。いつかはきっとくるんだから、のんびりでね」


 まだ成体になれずにしょんぼりとする化け物を、ニンゲンはそんな風に慰めてくれました。


 その顔が、どこかほっとしているように思えたのは、気のせいでしょうか。

 化け物は内心首をかしげておりましたが、とりあえず、ニンゲンが大丈夫だというのなら、それでいいのだろうと思いました。


 ですが、それでも化け物が落ち込んでいますと、ニンゲンは息をついて手招きします。


 それで察した化け物が、ぱっと表情を輝かせて格子のそばにかけよれば、ニンゲンは手を伸ばして、化け物にふれてきました。


 約束をした後からニンゲンは、格子のあいだから腕を差し入れて、化け物の頭をなでてくれるようになりました。

 格子の間隔は広く、ニンゲンなら簡単に通れるくらい空いているのです。


 化け物もなで返してあげられればいいのですが、残念ながら、格子の間を通れるのはニンゲンだけなのでお預けです。


 今日もすべっていく気持ちの良い感触に、うっとりします。


「ねえ、ファイ。外に出たら、なにをしようか」

「そうだね……」


 何気なく話をすれば、ニンゲンは遠くを見つめていました。

 見ていたのは、高い位置にある窓から見える、小さな青空でした。


「いろんなことを、知りたいなあ」

「いろんなこと?」


 化け物はびっくりしました。

 だって、ニンゲンは化け物よりもずっとずっと物知りだったからです。

 これ以上なにを知りたいのだろうと、面食らう化け物に、ニンゲンはおかしそうに笑います。


「なんだい? 僕が賢者だとでも思っていたのか? 僕の世界は、君が思っているよりもずうっとずうっと小さいんだよ」


 世界、といわれても化け物にはぴんときません。

 言葉を返すことができませんでしたが、ニンゲンは気にしなかったようでした。

 ぼんやりと、天窓から見える青い空を見上げて言います。


「知らないと言うのは、とても悲しいよ。もし、を考えることすらできないんだ。同じ人間のはずなのに、知らないだけで立場が変わってしまう。一つ多く知っていれば、別の行動がとれたのではないか、もう一つ気づいていれば、防げたんじゃないか。知識はあるに越したことはないから、僕はいろんなことを知りたいんだ。ああちがうな……そうだ」


 取り留めもなく話したニンゲンは、ぽつりと最後につぶやきました。


「僕は、自由になりたい」


 じゆう、とはなんなのだろう?


 化け物はそう思ったのですが、そのときのニンゲンからあふれる感情がきゅうっと胸に詰まってしまって、うまく言葉にできなかったのでした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る