フィアの魔女
道草家守
ある化け物の話 はじまり
むかし、昔、あるところに。一匹の化け物がおりました。
ぬくぬくとふわふわとさまよっていた化け物は、ある日ふと目をさましますと、いつもと違うことに気がつきます。
そこは、冷たい石の壁と床で覆われた場所で、なめらかな床には丸くて大きな不思議な紋様が描かれていました。
化け物は、いつの間に、こんなところへ来たのだろうと首を傾げました。
天井まで石で覆われていて青い空が見えず、金属の格子にさわるととても痛くて、ほかの場所へ行けないのが残念です。
けれど、眠るときに尖った岩に引っかからずにすみ、びゅうびゅう吹きすさぶ風に吹き飛ばされかけないのは良いことだと、化け物はすぐに気にならなくなりました。
その部屋は薄暗かったのですが、天井に近い位置には小さな穴があり……それは窓というのだと化け物は後で知りましたが、そこから差し込む日の光で、今が朝なのか夜なのか、晴れているのか雨なのかがわかります。
そうして、朝が来て、夜が来て、朝がくるのが何度か繰り返された後、化け物のもとに、訪れるものがありました。
はじめの音は、しゃらんっという、きれいな音でした。
石がぶつかるよりも甲高いその音が珍しかった化け物が、顔を上げれば、そこだけ石ではない壁が開きます。
そうして格子の向こうに、ひょろくてちいさな生き物がいました。
その生き物は、化け物となにもかもが違いました。
化け物は以前暮らしていた場所にいた、四つ足の生き物の姿を真似しておりましたが、その生き物は腕が二つに、足が二つ。
薄い体毛は頭に集中していて、クリーム色がかった白い肌がむき出しになっていますが、その代わりに灰色じみた、見たことのない毛皮をまとっていました。
体の小ささや細さからして幼体だろうと察しましたが、化け物は首の回りや手足に着いた石のようなモノがすこし重そうだと思いました。
ですが音の正体は、手足についた細長い紐のようなものがこすれあったものなのだと気がつきました。
それは鎖というのだと、後で教えてもらうのですが、化け物は今まで見たことのない姿が物珍しくて、まじまじと見つめます。
すると現れた生き物が、鳴きました。
「はじめまして。今日から、お世話をさせていただきます」
その鳴き声を聞いて、化け物はその生き物をどこかで見たことがある気がしました。
そうでした、ここへ来る前に出会ったのです。
目の前にいる生き物よりも大きくて、がっしりとした体格の生き物をいくつも。
ですが、そのときは、その生き物たちが持つ感情があんまりにも気分が悪くて、耳と目をふさいでしまったのでした。
そう、化け物は嬉しい、楽しい、つらい、悲しいなど、その生き物が気持ちや、考えていることを感じる力がありました。
だから、この生き物が化け物のことを怖い、と感じていることも、それなのに、自分に挨拶をしていることもよくわかったのです。
言葉の通り、その生き物は、それから毎日毎日化け物の元にやってきました。
生き物は、いつも、まるで、大きな生き物に襲われる小さな生き物のように青ざめた顔をしています。
怖いのならなぜくるのだろうと不思議でしたが、退屈していた化け物にとってはなかなか楽しいモノでした。
ですから、化け物は直ぐにその生き物がやってくることが楽しみになったのです。
生き物からは相変わらず、怖いという感情が流れてきましたが、回数を重ねるにつれてだんだん安全な場所にいる時みたいな、落ち着いたモノになっていくのを感じました。
また、鳴いてくれないだろうか?
そうか、この体はあの生き物よりもずっと大きい。
なら、小さくなってみれば、さらに言えば、この生き物と同じ形になればおびえたりしないだろうか。
化け物はそう考えて、ある日、生き物が来たときに、ぱっと姿を変えてみました。
不透明な肌の色や、目の色は変えられませんし、なんだか生き物よりも頭の体毛が長い気がしましたが、それでもだいぶ近くなりました。
そうして、目を丸くする生き物に、化け物は、いつも生き物がここに入ってくるときに鳴く声をまねしてみました。
「こんにち、はっ」
「しゃ、しゃべったー!?」
しゃらんと鎖をならしながら、心底驚いた顔で後ずさった生き物がおもしろくて、化け物はにこにこしていたのでした。
びっくりしていた生き物でしたが、すこしたって落ち着きを取り戻すと、矢継ぎ早に話しかけてきました。
「ねえ、きみは僕の話していることがわかるの? それをこの真理の塔の人間は知ってるの? そもそもどうして人間の形になれるの?」
「ぼく? きみ? はなし? にんげん?」
化け物はいちどに沢山聞かれて、全然わかりませんでした。
ですが生き物からあふれる感情で、自分が姿を変えたことをとても驚いて知りたがっているのだとわかりました。
でも、それを伝えることは、今まで知った生き物の鳴き声だけではできません。
どうしたらいいかわからなくて、ぎゅっと顔をしかめていると、その生き物は、はっとしたあと、申し訳なさそうにうつむきました。
「ああ、ごめん。困らせたみたいだ。フィアの君に、理解できるわけがないのに」
悲しいような、落ち込むような、あきらめたような感情をこぼす生き物が、鳴き声を出そうとする意思をなくしかけているのを感じた化け物は慌てました。
それはとても困るのです。
だから化け物はできる限り格子に近づいて生き物を追い、また覚えた鳴き声を発しました。
「はなし、わかるっ。はなし、なれる!」
帰ろうとしていた生き物は、化け物の鳴き声にまた大きく目を見開きました。
それは、晴れた日の光に照らされる葉っぱのような緑色で、とってもきれいでした。
「僕が、しゃべれば、わかるの?」
「わかる。はなし、しゃべる!」
だから、もっと聞かせてほしいのです。
そのときの生き物は、化け物が感じたことがないような色の感情をあふれさせていました。
きゅっと引き絞られるような。なのにほわほわとあったかくなるような不思議な心地です。
「うん、じゃあ。たくさん話をしようか」
けれど、生き物がまた、格子の前に座り込んでくれたことがうれしくて、気にならなかったのでした。
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