二十一本目② 由良&波音

 コンコン

「どうぞ」

 ガチャリ

「失礼しまーす」

 二階の南東端にある一室。長女の波音氏の私室として使われているその部屋に、来客のようだ。

「あら、えーと……お姉さんかしら?」

 パソコンから顔を上げてメガネを外す波音氏は、意外そうな色の混ざった笑顔で迎えてくれた。

「よく分かりましたね。初めて会って見分けられる人はほとんど居ないんですよ。よくよく見れば違うところはいっぱいあるんですけどね。お時間よろしいですか?」

「ただの勘です。ちょうど一区切りついたところですから、大丈夫ですよ」

 部屋の奥に設えられた机から離れる波音氏。示されるままにテーブルを挟んで向かい合うソファに。

「それで、そんなお姉様は、聞き込みですか?」

「いえ、波音さんと少しお話できたらな、なんて」

 カチャカチャと手際よくお茶の準備をする波音氏、その背中越しに会話する。

「紅茶でよかったかしら?それと、お気に入りのスコーンがあるのだけれど、いかがですか?」

「いただきます。どちらも大好きです」

「それはよかった、召し上がれ」

 トレイに乗せられた食器たちはセットなのか、どれもトゲがなく葉のついた、五本の赤いバラが描かれている。


「それで、なんのお話ですか?予告状の?」

「いやぁ、仕事のことじゃなくて、個人的なことです。…………同じ姉として、聞きたいことが」

 カップを傾ける波音氏が無言なのを、話の先を促していると受け取り、失礼のないように、言葉を選んでいく。

「姉としての、その、あー威厳、みたいな、お姉ちゃんらしさ、みたいな、そういうものって、えーと、考えたこと、ありますか」

 尚も沈黙を続ける波音氏は、もうカップからは口を離して、真っ直ぐに眼を見つめてくれる。

「私達は、小さい頃に、両親を、亡くしました。所長が、面倒、見てくれたんですけど、所長は、ただの父の友達で、親族とかじゃ、ないんです。で、私達はお互いに、唯一の血の繋がりで」

 ゆっくりと紡がれる言葉に、しかし急かすようなこともなく。

「普通子供は、親を見て、親から聞いて、親を学ぶもので、でも美浜にはそれが無いから、私は、姉として生きると決めて生きてきたんですよ。必死に取り繕った、偽物の完全姉でも、見て、美浜が学べるように」

 まだ、まだ何も言わない。ただ目を伏せただけで。

「どんなことがあっても狼狽えず、いつでも背中が見えるように先を歩き、困っていればこっそりと助け舟を出し、そうして、私もなれなかった完璧を、真っ当な人として、なるべき姿を示し続けました。そう思って生きてきました」

 紅茶を飲む。捻りすぎて掠れる喉を潤して。言いたいことが出てきやすくなるような、潤滑剤になればと。

「でも、理香姉さんとか、ご近所さんとか、おじさんとか、私よりも知識も経験もあって、人も良くて、本当に見本にすべき人と出会う度に、思ってしまう。このままでいいのか、この程度でいいのか、まだ足りない、姉になれていない、と。そんなことない、上手くやれている、これこそ見本だ、私が完璧だ、なんて張った虚勢で、視界を塞いで隠して逸らして瞑って退けて」

 目のまわりに熱を感じている。後悔、無念、謝意、悔恨、なんと呼ぶのが正しいのか分からないけど、自分の中の大きな何かが垂れそうになって、慌てて蓋を閉めた。

「そして、あなたに、出会ったんです、波音さん。理屈じゃなくて、思考じゃなくて、気づいたんですよ。今まで影のように真っ黒だった理想像に、弾けるような鮮やかな色がついた、張っていた虚勢が吹き飛んだ、この人が、と」

 蓋をして、抑えて、押さえ込んで、封して、でも大きな何かを押し止めることはできなくて、これを漏らしてしまえば、自分自身も漏れ出してしまう。

「この人こそが姉なんだと、そう気づいたんですよ。何があろうと、それこそ予告状なんかが届いても動じず、姉を貫き、自分を道標にしろと、後に続く三人に先立って、あなたは、凛とあった。そして、その通りの実力もしっかりとある。三人を引っ張れるだけの力をお持ちだ。これこそが、姉、なんだって」

 ついに堰を切って流れ出してしまったそれは、もう止めることなんてできなくて、熱い熱い自分が溶け出した。

「そんなあなたを見てしまった私は、これからどんな顔をして、美浜の前に立てばいいのか、いいえ、立つだけなら案山子でもできますね。どんな背中を見せられるというのか」

 あの日から、あの夜からの全部が。

「教えて……いただけませんか」


 長い長い沈黙、いやもしかしたら、ほんの数秒しか経っていないかもしれない。体内時計の歯車をも軋ませる空気の重さが、二人の姉の間に、雪の降るように積もっていく。


「私は」

 突然放たれた。

「私は最初、あなたと美浜さんを見て、仲の良い姉妹だな、と思いましたよ。羨ましいな、とも、ね」

 未だに下を向いたままの頭の上に、言葉が掛けられる。

「安心なさいな。会って数時間も経っていない私から見ても、美浜さんは分かりやすいお姉ちゃんっ子ですよ。お姉ちゃんのことを尊敬していて、その姉に一歩でも近づかんと、その足跡の上を追いかけていると分かります。きっと自慢のお姉様なんでしょうね」

「…………そんなこと」

「ありますよ。その最たるものが、二人で協力しての箱の解除です。二人とも、嫉妬してしまう位に息ピッタリで。あれは、美浜さんの、あなたへの、お姉ちゃんへの、信頼の賜物だと、私はそう思いますよ……結局は開きませんでしたけどね、ふふん」

 この姉、さりげなく自慢げである。

「それにね、ここまで言っといてなんなんですが、私にはあなたに教える事なんて、一つも無いんですよ」

 自嘲のような寂しい笑顔が浮かぶ。

「生まれ持った我欲の強さで、幼い頃は両親の愛を独り占めしました。子供特有の弱いものいじめを遺憾無く発揮して、妹も弟も困らせ続けました。よくある『お姉ちゃんなんだから』なんて言わない素晴らしい両親にあぐらをかいて、お手本になるような事は一度だって意識したことなどありませんでしたよ。そんな私が、どうしてあなたにアドバイスなど出来るでしょう」

 絞り出した声の分を、代わりに紅茶で潤す。

「そもそもこれは、言うなれば教育論。ならば、間違いや悪手はあっても、正解や最適解はありませんからね、私の与り知るところではありません」

「うぅ、そんなぁ。それは、そうかも、ですけど」

 開き直るように胸まで反って、いっそ清々しさのあるドヤ顔で言い切った。

 そんなウザ顔を見上げる涙目を、グズる女の子を、さっきまでの悲しい笑顔は押し込めて、そっと窘める。

「そんなに思い詰めなくたって大丈夫ですって。お姉ちゃんと呼んでくれる子がいて、まだ愛想つかされていないんだから。私なんて、もうそう呼んでくれる子はいないし、それに気づくのも遅すぎて。おかげで、誰にでも愛想笑いみたいに笑うことしかできなくなりましたもの。なんて、少し自嘲が過ぎましたかね、あはははは」

 その笑顔は、今日一番に悲しくて。

 そんな顔を見せられてしまったから、もう何も言えなかった。けれど、挟んでいたテーブルを回り込んでまでこちらに来てくれて、胸に抱いて頭を撫でてくれただけで、それだけでよかった。

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