六本目 その心は胸の中に、その心は煙の中に

 ヤバい、今までで一番ということはないけど、ヤバい。

 どれくらいヤバいかというと、卵かけご飯を作ろうとして、卵を割った瞬間に、ご飯に窪みを作り忘れたことに気付くぐらい。………うんまぁ、その程度ですよ。

「なっはは、これは厳しいわね。紫氏、ホントに分かんないの?涙氏のキード」

「ええ、使う所は何度も見てきたんですが、今日まで手がかりのひとつも掴めてません」

 紫氏の落とした扉の後ろに回り込んだと思ったら、いつの間にか背後に回り込まれてナイフで刺される。ナイフを取り出したと思ったら、いつの間にか手から無くなり、見えなくなって飛んでくる。

「今のところ考えられるのは、『透』けるって字か、『消』えるって字、って感じ?」

「美浜はそんなことより、自分が壁だって意識し続けることに集中しないと、塞がらない穴開けられないわよ!」

 自分を、自分の前と後ろを遮る壁、と認識することで、自分に穴を開けることができる。キードの能力はそんな感じの、割とふわっとしたものだ。それで、ナイフが当たった瞬間に、自分に穴を開ける。そうやってナイフを回避している。でもこの方法では、少し刺さってからしか避けられないので、全身血まみれである。

 辛いなァ

「あー!!!」

 略。『優しいお姉さん』参照

「誰なんですあの人」

「ウチの所員の経塚きょうつか理香りかです。今日はオフだったんですが、あの人は優しいので差し入れにでも来てくれたのでしょう。何にせよ、あの人が来てくれたなら勝てますよ」

「そんなに強いキードなんですか?」

「彼女のキードは『読』です。キードの宝石みたいな部分に、何かぐにゃぐにゃした模様がありますよね」

「えぇ、ありますね」

「それ実はそのキードの能力を、おそらく宇宙中の言語で表したものなんですよ。でも、我々の読める漢字が出てくるのは、100年で10秒だけと言われています。それが読めて、ついでに能力の詳細まで分かるんです、彼女のキードは。ついでに、英語から中国語、果ては誰かの創作文字などの多言語も読めます」

「へー!それはすごい!なら、もう勝ったも同然ですね!」

 紫氏の表情が、一気に明るくなる。勝ったつもりのようだ。

 ちなみにこの間、涙氏は乱入者に気を取られて、あたふたしていた。

「わかったよ由良ちゃん、美浜ちゃん!この人のキードは『隠』す。一度相手の視界から、隠す・隠れるしたら、絶対に見つからないっていう能力だよ!」

「ありがとう、理香姉さん。それなら………美浜!涙氏の左側に回り込んで!理香姉さんはそのまま!紫氏は涙氏の右側へ。あと、出した扉を全て回収してください」

 これで、四人は涙氏を取り囲む形になった。

「こうして死角を無くして、攻撃が来る方向を伝え合うの。そうすれば、『隠』れるは攻略できる!」

「この程度で、私の愛が邪魔できるわけないでしょ!」

 ナイフを取り出し、さっきまでの通り隠し、そして投げた。やはり見えていないようだ。

「美浜ジャンプ!」

 ピョン

 ガッキーーン

 塀に何か金属製の物が、勢いよく当たる音がした。回避成功だ。

「なっ?!ならもう一度!」

「由良ちゃん伏せ!」

 サッ

 ガッガラガン

「くぅうう!!」

「紫氏右!」

 ダッ

 ガッキーーン

「やったやった!完封だ!」

 紫氏が両手を上げて喜んでいる。

「くそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそ!」

「さあ!もう無駄な抵抗はやめて。さっきの公衆電話で、今度は110番に電話して貰うわ」

「ガ、ガーガキグガゴゴゲカガグギギギギガゲコゴコゴカカガカカガギギーーーーーー」

 うわぁ、ついに狂ってしまった。いや元々狂ってたんだけどね。

「こんなことでこんなところでこんなやつらにこんなこんなこんな……………こんなところでぇええええ!!!!ダメダメダメダメ私はムーちゃんと一緒になるのムーちゃんと生きていくのムーちゃんと幸せになるのムーちゃんと美味しいご飯食べるのムーちゃんと楽しい所に行くのムーちゃんと綺麗な花を見に行くのムーちゃんと」

 瞬間、涙氏のキードから黒い煙が吹き出す。

「ヤバい!暴走しちゃう!は、早く取り押さえて!」

 四人で一斉に飛びかかる。

 が、遅い。

 涙氏の全身を、黒い煙が、

「ムーちゃんと、仲良く、おしゃべり、したかっ」

 煙が晴れると、涙氏の姿はなかった。間に合わなかった。また……

「あれ、また隠れられた?!今度はどこから!あんな煙まで出してくるなんて!」

 キョロキョロと周りを警戒する紫氏に反して、事務所の面々は暗い表情。

「……いえ、もう出てこないですよ。攻撃してくることも。彼女は、ずっと、隠れたままです」

「え?いやいや、そんなわけないでしょう。ほら臨戦態勢ですよ!やつはどこから来るのか分からないんだかr」

「もうダメなんです!!!!!」

 突然の大声に、紫氏の体が跳ね上がる。

「ごめんなさい…。紫さん、でしたっけ。あなたも気をつけてください。あの黒い煙は、キードが暴走する時に出るんです。あの煙は、キードの能力を最大出力で発揮するんです。過去に何度か、見てしまったことがあります。ある時は、煙が雷雲になって、中の人を焼き殺しました。またある時は、煙が粉塵爆発のようになって、周りを吹き飛ばしました。ある時は、煙が中の人の頭の中に入っていって、その人は死にました。どうやら、宇宙中の知識が一気に脳に入ってきて、機能出来なくなったようです。煙の中から黒い糸が沢山出てきて、中の人を輪切りにしたこともありました。あの黒い煙が出たら、すぐにキードを引き抜かなくてはなりません。さもないと………。今回も、そうでしょう。もう、彼女を助けることは出来ません。あの煙が、彼女を隠してしまったのです。もう、彼女の顔を見ることは出来ません。あの煙が、彼女を隠れたままにしてしまったのです。また、助けられませんでした。糸玉異能力探偵事務所の仕事は、二つあります。一つは、依頼を解決すること。そしてもう一つは、キードが暴走するのを防ぐことです。ですが、ダメでした」

 呆然と立ち尽くす紫氏。

「ふ、ふん!あんなヤツ、別にいいでしょう。どうせ刑務所に入ったって、数年でまた出てきて、また僕の後ろを付けてきましたよ。凝りもせずに。えぇ、そうですよ、誰も困りませんよ。ははは」

「………そんな風に言わないであげてください。彼女にだって人生があったし、彼女にだって支えていた世界があったし、彼女にだって愛はあったんです。たとえ一つ、褒められた行為では無いことをしていたとしても、その人生でしてきたこと、発してきた言葉、見てきた景色の全てが、醜くおぞましく汚く堕落してしまうことは無いはずです。なら、誰が彼女を貶せますか、バカにできますか、罵ることができましょうか。………誰なら、彼女を救えましたか。それになにより、彼女のために心を痛め、自身の力不足を責め、神さえ恨み、涙している、由良ちゃんと美浜ちゃんが、あまりにも、不遇ではありませんか」

 そこで、会話は途切れた。自らの力の及ばなかったことを嘆く、涙の音と、後悔のために痛める、心音だけが、ただ寂しく残った。

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