第九章
第九章
東駿河高校。
紫穂の母親が、校舎のまえにやってくる。
まだ半信半疑の様。しばらく、校舎前で足は止まる。
母親「まあいいわ。どうせ、あの子は、きっと良い評価をされたわけではないでしょうから。本当に、勉強ばかりして、かえって迷惑な存在だったと、怒鳴られるのが当たり前よ。まあ、ご挨拶だけすれば、、、。」
と、学校へ入っていく。
母親「失礼します、、、。」
土屋校長「お待ちしておりました、、、。」
校長の顔は、ただ事ではないことを示している。とりあえず、校長室へ通し、面接用の椅子に、向き合って座った。
母親「はい、とりあえず、来てみたことには来てみましたが、、、。」
土屋校長「ええ、ありがとうございます。生徒も、待っております。生徒たちが、どうしてもお母様に伝えたいことがあるそうです。」
母親「そうですね。きっと、皆さんの受験勉強の邪魔になる様なことをさんざんしでかして、あの子は、迷惑な存在の極みでしたでしょう。それを、お伝えしたいのですよね。」
土屋校長「迷惑だなんて、とんでもありません。」
母親「だって、校長先生も相当ご迷惑でしたでしょうに。お忙しいのに、あの子ときたら自分で勉強もしないで、何時間も補習をさせて、、、。私、何回もやめろと言ったのに、歴史の勉強ばかりして、本当にすみませんでした。」
土屋校長「いえいえ、そんなことは毛頭ございませんよ。むしろ彼のような、勉強熱心な子は、そうはいないでしょう。」
母親「余分なことばっかり覚えて、試験では点数が取れないで。」
土屋校長「まあ、確かに日本の法律には逆らえないので、試験はしなければなりませんね。でも、彼は、歴史を知ることで、それから教訓を感じ取ってくれましたので、それを学んだということは、すごいことだと思います。きっと、実相を得たことに近いものがありますよ。」
母親「はい。そういう事もよく口にしていました。それにこだわって、試験の点数に結びつく答えはまるで出ないので、いつまでも成績が悪いままで、結局、前の高校は中退したのです。全く、中学校くらいからそうだったんですけど、正しい答えはまるで出ないのに、勉強は面白いのだと言って。中学生になれば、試験のほうが大事だと何回も言い聞かせたのに、内容が専門的になればなるほど、夢中になっていって、、、。試験勉強は全くしませんでしたのに、変に専門的なところだけ興味が行って、とことん勉強してしまうので。しまいには、担任の先生が教えないことまでわかってしまって、あの子は楽しそうでしたけど、私はどれだけ、恥をかかされたか、数えきれないくらいです。」
土屋校長「入学前の面接でもそうおっしゃっていましたね。お母様のその苦労された顔は覚えていますよ。しかし、私は、それも彼の長所であり、個性であるとお話ししたはずではありませんかな?」
母親「それがなんだというのです?だって、しょっちゅう先生を捕まえて、歴史の話をまくしたてて、家に帰れば専門的な本を相手に、余分なことばかり勉強して、しまいには歴史にまつわる変な文書まで書いて、、、。そんなことをしているのであれば、試験勉強しろと、私は、何度も言い聞かせたのですけれども、結局やめないで続けてるし。取り上げたって、不思議な能力のようなものもあって、ノートを隠しても、すぐに見つけ出したり、また新しく買ってきたりして勉強してますもの。もう、なんであんな変な子を産んだんだろって、私、自分を責めた日もほんとうに多かったんですよ。親戚や近所の人は、変な子を産んだ母親もまた変なのだと言って、私のことを、邪見に扱いますし、、、。」
土屋校長「なるほど。それで、彼をああいうやり方で送ったのですか。決して、金銭的に、不利であったという理由だけではないと思っていました。」
母親「は?どういう事ですか?」
土屋校長「いや、その葬儀の仕方です。彼への。家族葬というやり方は、気遣いをしなくていいという点は長所ですけど、香典はいただけないのでかえって出費がかさむとか、参列できなかった親戚の恨みを買うという悪事に発展することもあります。もし、金銭的に難しいなら、親戚に助けてもらうということもあり得るはずですが、あえて一切それをしなかったというのは、あなたが恥をかくのを避けるためであったのではないですかな?」
母親「そういう事はありませんよ。ただ、ご存知な通り、父親もなく、家族というのは私一人で、親戚ともあまり付き合いもなかっただけですから。」
土屋校長「そうですか。でも、そういう理由を、すぐに淡々と話せるのが、不思議なところですな。なぜ、亡くなったのに、悲しそうでないのでしょう。それはきっと、佐藤君のせいで、自分が恥をかかされるという負担から、解放された喜びからではないですか?」
母親「そうかもしれないけど、決して、あの子がいなくなって喜んでいることはありません。むしろ、心配だったのです。あんなに、歴史の勉強ばかりで、社会に出たらどうしようかって。社会では、自分のやりたいことばかり追求しているだけでは、やっていけないですもの。多少、自分の意思に反しても、答えを出さなきゃいけないときだってあるでしょう。それを、全否定して、自分の勉強ばかりしていたのですから、、、。」
土屋校長「まあ、それも必要なのかもしれないですが、彼のような子には、思いっきりやらせてあげたほうがよかったのではないですかな?そのほうが、子供は幸せになれると、ドイツのある教育者が言っていたことがありました。」
母親「ですけど!一応、年齢という物があって、その年になれば、就職しているのが当たり前とか、子供を甘やかしているとか、批判が出るじゃありませんか!それに耐えさせるには、ある程度は順応させないと、ダメなんじゃないですか!私を責めないでくださいよ!私だって、あの子がいつまでもああだから、このままでは、社会に出て、学んでいたことと、あまりにも違うということに気が付いたら、もう、一気に反抗的になって、暴力男とかに変貌してしまうのではないかと、ひやひやしていたんですから!だから、心を鬼にして、わざと叱ったり、ノートを焼却処分したりしたんですけど、本当に懲りない子でした!」
土屋校長「ちょっと、教室まで来ていただけませんかな?」
母親「教室?」
土屋校長「はい。生徒たちが、お話したいことがあるそうです。」
母親「お話?」
土屋校長「来ていただけますか?」
母親「はい、、、。」
しぶしぶ、校長の後についていく。
教室。生徒たちは、緊張した面持ちで待っている。不意に、教室のドアがガラッと開く。
土屋校長「来ましたよ。佐藤君のお母さんです。皆さん、一人ずつ、お伝えしたいことを言ってみてください。」
渋りながら、紫穂の母親は、教室の中に入った。
まず、皆、紫穂を恨むような目つきではなかったので、母親は驚いた。
母親「皆さんすみません、大事な受験の時期であるのに、うちの子がその邪魔をするようなことをさんざんしでかして、申し訳ありません!」
繭子「謝るのはこっちの方です。大事な教科書をどぶ川に放り込んでしまってすみませんでした。私も、彼の態度にあたまに来たことがあったんです。あまりにも、勉強が楽しそうであったことに、腹が立って仕方なかったの。でも、私、彼が大雨の中で辞書を持ってきてくれた日、初めて気が付きました。私たちは、勉強をしなければならないのではなく、勉強する権利があるって。私、学校に行き始めたのが、普通の学生の倍くらいおそかったんで、同級生に大きな一年生と言われてからかわれ、本当に学校って行きたくなくて、親に当たり散らして、生きていたんです。だって、勉強するより、からかわれに行くようなものだったんだもの。でも、彼が、辞書をもってきてくれた日に、父が言ったんですよ。お前は、学校に無理やり行かされているように感じてるだろうなと思うが、実はこの権利が与えられている時間というのは、そう長くはないのだと。彼は、その時間が限られているのを知っていて、それでお前に勉強をしてほしかったから、持ってきてくれたのだって。私、初めて気が付いたんです。学校に行かされているのではなく、学校に行く権利があるんだと。だから、私、これを大事にしようと思いました。彼がああしてくれなかったら、もっと荒れていたと思います。本当にありがとうございました。」
明子「私は、彼が自分なりのやり方で勉強をしているのが、すごく憎らしかったんです。家で親の意見が合致しなくて。その原因は、親が、勉強しすぎて、知識がありすぎたせいだったからです。でもね、彼がね、なぜ勉強してるのか聞いて、その理由を公表すればいいとアドバイスしてくれたんですよ。私、それを聞いた後、家に戻って、それ、思い切って言いましたよ。まるで、首を切るより怖い作業でした。でも、勇気を出して言ってみたら、親は、気が付いてくれたみたいで、和解してくれました。本当は、おんなじことを考えていたゆえにこだわっていたことを、知ってくれました。それだから、父はパン作りの勉強をしすぎで、母は、売り上げにこだわっていたことに、気が付いてくれました。おかげで、私たちは、ほんの少しだけですけど、売り上げを伸ばすことができたんです。まあ、貧乏なパン屋であることは、変わりないんですが。でもおかげさまで私自身も、パンを届けることの楽しさも知ることができて、将来はこの店を継ごうと決心しました。だから、彼のあの一言で、心の重しが取れたのです!」
母親「うちの紫穂がそんなこと、、、。他人の事なんか気にかけず、勉強しかしていないと思ってたのに。かといって、上級学校に進める見込みだってゼロに近いと言われていたのよ。」
伝心「いえ、上級学校に行く事が、すべてではないと、彼は知っていたようですよ。」
母親「知っていた?」
伝心「ええ。そうです。だって、借金ばかりの家が名誉を回復するのは、上級学校に行くしかないと僕は、本気で信じていたのですけど、それは間違いだとかたってくれましたよ。」
母親「だって、あなたは、ものすごく、優等生だったそうじゃありませんか。うちの紫穂に、受験勉強を邪魔されて、迷惑だったのではありませんか?」
伝心「でも、事実、僕の家は、大学進学は、金銭的にもできないし、それに相応する学力もないから、無理なんだって気が付いたんです。それがあまりに遅かったので、もう、ダメなのではないのかと思いましたけど、彼は、それを著述する人になれと言ったんです。」
母親「著述する人、ですか?」
伝心「ええ。同じ失敗を繰り返した人には、それが本当に役に立つのだと。僕は、彼にそういわれて、努力はしても、どうしても叶わないことは存在することに気が付きました。同時に、それについて、絶望する人は多いですが、事実は事実であって、それは僕が勝手に絶望しているだけだってことにも気が付いたんです。どんなに泣いても消すことはできるわけではありません。だから、僕は、それを著述して、失敗をしてしまった人に共感してもらって立ち直るきっかけにしてもらう、あるいはそこに手を染めているのに気が付かない人に警告するような、書物を作ろうと思ったのです。」
母親「そんなもったいない。せっかく大学進学を目指していたのなら、勉強を続ければよかったのに。いくら、経済的に無理だと言われても、そこを押して大学へ行ったほうが、かえって幸せを掴めますよ。」
伝心「ええ、家族にも話しました。家族は、お金のことは気にしないでいいから、大学には行けと言ってくれたので、僕は、無理のない近場の大学で、書物を書くための技術が学べる大学へ行く事にしました。家族も承諾してくれました。東大に行って、金銭的に負担が増えるのは、やっぱり、申し訳ないですから。そんなことより、本当に学べることをしっかり学んで、自分の納得できる人生を送っていきたいと思います。そのほうが、きっと、上級学校に行くより、幸せがつかめると思います。彼は、そういう事に気が付く、きっかけをくれた人です。僕は、彼に感謝しています。」
土屋校長「それだけではないのです。私自身も答えを出すのに、本当に閉口させられた生徒もいましたが、彼は、その生徒に、経験という物を得たのではないかと言い、その生徒をそこから乗り越えることに成功させました。そうですね、祐太郎君。」
祐太郎「はい。僕は、生きることって本当に嫌でした。僕はただ、学校が苦しくて、何とかならないかと訴えたのが、いつの間にか病気の症状というものに変わってしまって、周りからは、迷惑な存在になってしまいました。だから、こういう運命になったのに、なぜ生きなければならないか、いつも怒りを感じていました。こんな、誰からも不要品不要品と言われて、僕なんて、どうせ、必要ないんだから、消えてしまってもいいのではないかと思っていたんです。でも、佐藤君は、それを商売にしろと言ってくれて、僕はおかげでやっと前向きに進める道が見つかったんです。今僕は、そのための養成講座にも通っているんです。必要とされる人間になるために、この経験を役立てようと、一生懸命勉強していられるから、消えてしまおうなんて、もう、思わなくなりました。だから、校長先生が言った通り、乗り越えられたと言えるのかもしれない。今後は、これをばねにして、困っている人の話をたくさん聞いてあげられるような、そんな聞き役になろうと思っています。」
土屋校長「どうですか。少なくとも、佐藤紫穂君は、四人の生徒を何かしらの形で救いました。これでも、困った子となるのでしょうか。私たち教育者でも、成し遂げるのはなかなか難しいとされている、抜苦与楽という物を、こんな短命のうちに四例も成し遂げた人間は、果たして、何人存在するのでしょうか。」
繭子「少なくとも、私にとって、人生観を変えてくれたのは、彼でした。」
明子「私は、両親はただいがみ合いをしているだけだと思っていたけど、同じことを思っているというからそうなったという事には気が付きませんでした。」
伝心「東大でなくても、自分のやりたいことは見つかりましたし、失敗もよいものを生み出す材料になるのを教えてもらいましたよ。」
祐太郎「僕は何よりも、彼に助けてもらったのは、僕がこの世にいてもよいのだということに、気が付くことができたことです!」
土屋校長「彼は、確かに、勉強するという姿勢では変わっていたかもしれないし、変な子と言われても仕方ないかもしれません。でも、この能力は私たちではできなかったかもしれないのです。」
繭子「残念なことに、紫穂は逝ってしまって、もう、ここにはおりません。だから、私たちが、いくら気が付いても、もう後の祭りなのです。」
伝心「でも、彼のしたことは大きいと思いますよ。彼の言ってくれたことは、間違いなく心に残りますよ。」
明子「なんか私たちの大事な記念日を作ってくれたような気もします。」
祐太郎「確かに、彼自身は消えてしまったかもしれませんが、僕らは、恩人としていつまでも頭の中に残るのではないですかね。そういう大事なことを言ってくれたんですから。」
伝心「そうですよ。忘れることはないですよ。彼の容姿も、声も、そして彼の言ってくれた言葉も。そういう人だから。もう忘れてしまったという現象はたぶん生じないでしょう。僕らが結婚して親になったとき、そういう大事なことは、ちゃんと伝えていきたいと思うことになりますから、その必要がもし出れば、やっぱり思い出すのではないかな。」
土屋校長「伝心君、よく言った。人間、悪い人もよく覚えていますが、大事なことを教えてくれた人の事もよく覚えているものなのですよね。」
母親「どうしてあの子が、そのような、哲学的なことを知っていたのでしょうか。だって、交流関係もほとんどなかったし、家に帰れば歴史の本が唯一の友達のようなものだったんですよ。」
土屋校長「いや、これは、本人がいないので、私の勝手な推測になりますけどね。」
母親「なんですか。」
土屋校長「あの、それはきっと、彼は歴史を勉強して知ったのではないでしょうか。」
母親「歴史の教科書のどこに、今言ったようなことが描いてあるのですか?」
土屋校長「教師として、というか、歴史を学んだ立場から言わせてもらいますと、歴史というのは、人間のなすことです。人間は、生まれ育った環境も学歴もみな違います。そういう生い立ちのようなものを踏まえて物を言うから、歴史という物が作られるんだ。きっと、歴史に登場してくる人たちの経歴などを研究して人生にはいろいろな側面があるのだということを彼は理論ではなく直感で感じ取っていたのだと思います。」
母親「でも、歴史に登場する人は、エリート教育を受けた偉い人ではありませんの?」
土屋校長「いや、そんなことはありませんよ。最下層市民であるダリットから、大政治家になった人物もおりますし、後宮で働く宦官から天下人になった人物もおります。歴史は、必ずしも名家名君だけが作っているわけではありません。」
母親「そんなことまであの子は、、、。」
土屋校長「いえいえ、そういう事が、自然にできていたのだと思います。」
母親「あの子は、果たしてそういう才能がある子だったのでしょうか。私から見ると、他の生徒が好まないことや、今勉強しても必要ないことを好き勝手に勉強して、私が、ダメな親だと批判を受ける原因を作っていたとしか見えませんでしたが、、、。」
祐太郎「いえ、ある意味そういうところは、天才だったのではないでしょうか。」
伝心「そうですね。僕たちには思いつかなかったところが、思いつくわけですからね。」
明子「ある意味、天からの授かりもののように見えますよ。」
繭子「救世主ともいえるわね。でも、さっきも言ったけど、彼に感謝の気持ちを持とうとしても、もういない。本当に後の祭りだわ!」
この一言で、しばらく教室は、しーんとした長い時間と化してしまった。
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