第七話 魔素と魔物

 アビスの森の近くにある街、マッカレルの冒険者ギルドを拠点にするため、この町、アルフォンシーノは今日旅立つ。

 

「最初の稼ぎは、マーリンに送るから」

「私じゃなくて、家族に送ってやりなさいよ」


 二日も快く泊めてくれたマーリン。

 旅立ちの日の今日、玄関先でかわす会話。


「マーリン」

「ん?」

「私にとっては、マーリンも家族だからさ」

「……あんたって子は、本当に頑固だね」


 先を急ぎたい理由があることは、マーリンにも伝えていた。

 身分証を作ったのも、能力を調べたのも初めてのような女が、すぐに旅立てる甘い世界ではない。マーリンなりに焦らず強くなればいいと、旅をしながら鍛えればいいと伝えてきたのだが、紫音が首を縦にふることはなかった。


「じゃ、行ってくるね」

「ここもあんたの家のようなもんだ。いつでも帰ってらっしゃい」


 手を振ってくれたマーリンに微笑んで、フェルナンとの待ち合わせ場所へと向かった。



――――――


「じゃ、いくか」

「ん」


 オーランドには、出稼ぎでこの街まで来たことを告げている。その際、旅に必要な服などを買うためにある程度のお金を渡されていた。

 聖女を無事に王都へ届けるためには必要なことではあるが、紫音にとっては本当にありがたかった。

 服やカバン、下着類など必要なものを購入して、フェルナンの横に並ぶ。


「武器は、本当にそれだけでいいのか?」

「この形のものを作ってもらいたいから、無駄遣いしたくなくて」


 腰に携えているのは、元の世界から持って来てしまった木刀。日本刀はあいにくこの世界では売っておらず、購入することができなかったのだ。

 また、日本刀の形を作ることが難しいらしく、アルフォンシーノで店を構える全ての職人に断られていた。


「王都に行けば腕のいい鍛治職人もいるはずだ。そこで探すか」

「ん、そうする」


 身分証を見せて街を出る。街の外に出るのは、初めてこの世界に来たとき以来だ。


「マッカレルは隣の街だが距離はある。歩きながら魔素と魔法について説明するんでいいか?」

「が、頑張って覚えます」


 馬車の轍の残った道を歩きながら、フェルナンの勉強会が始まった。


「まずは、魔素だな」

「魔、の素?」

「ああ、その名前の通り魔力の元で、全ての生き物がこれを持ってる」


 動物にも植物にも魔物にも、そしてこの空気中にも、魔素の量に違いはあるが存在していると言うフェルナンに、紫音は不思議そうにあたりを見渡す。

 当然だが、魔素が眼に映ることはない。


 そして、どういう原理かは不明だが、魔物や動物などを倒したとき、魔素は倒したものたちに吸収されるのだ。

 魔素を吸収することで、必ずではないが力や魔力などの能力値が上昇することがある。

 ちなみに伸びやすい能力は、職業適性で示された職業に依存すると考えられている。


 例:魔術師 → 魔法/魔法耐性

   冒険者 → 力/体力

 ※薬師やその他は特に伸びやすい能力はない


 ゲームで言うならば、魔素は経験値のようなもの。敵を倒したり訓練を積み、一定量吸収すると自分の能力が上昇する。

 フェルナンの説明を聞きながら、紫音はそう解釈した。


「一定量がどれくらいかはわからないが、だいたい一年ごとくらいに能力を測るのが一般的になってる。だが、一年で色が変わるものがいれば変わらないものもいる」

「それでも確認するのは……」

「そう、自分の実力を正確に把握しておくためだ」


 一年ごとにターミナルに表示される能力値をきちんと更新することで、冒険者ランクなどと照らし合わせて、今の自分に合った場所で依頼や訓練ができるようになるのだ。


「能力値には上限があると考えられてるが、その上限ってのがなにで決まるかもわかってない」

「とりあえず、頑張るしかないってことだね」

「大雑把に言えばな」


 わかりやすい説明をしてくれ、かなり博識なフェルナンに驚く。同時に、能力値を伸ばすために魔物との戦闘もしていくといったフェルナンには、しっかりと頷き返した。


「さて、ここで問題をだそう」

「急になんか、先生みたいだね」


 てくてくと歩きつつ、人差し指をあげたフェルナンを見上げる。楽しそうに左右に揺れる尻尾から、ノリノリなんじゃないかと紫音はあたりをつける。


「強い敵ほど魔素は多い。なら、まだ弱い冒険者が強いものたちに混ざって、圧倒的に強さが違う敵を倒したらどうなると思う?」


 あまりゲームをしない紫音だが、それでももしゲームであれば、一気にレベルアップするだけだとわかる。むしろ、弱いキャラを育てるためにしそうな方法だが、クイズにすると言うことはやってはいけないのだろうか。


 うーん。と頭を悩ませていれば、フェルナンは特に急かすことはせずにのんびり隣を歩きながら紫音の答えを待っていた。


 歩きながら左右に振れている黒い尻尾が、紫音の目を釘付けにする。


「わかったか?」

「一気に力が上がるわけじゃないとは思うんだけど」


 ブンブンと振れる尻尾。顔はいつも通りで特に崩れていないのに、その尻尾とのギャップが非常に気になる。


「その通りだ」

「……なんか、楽しんでる?」


 はっ、と一瞬目を見開いたフェルナンは、取り繕うように前を見る。


「いや別に、そんなことは」

「……尻尾」

「……ああ、くそ」


 自覚があるのか、指摘をすればフェルナンは尻尾を右手で握ってうなだれた。ヘニャリと折れた耳が可愛らしいと、紫音は心の中でそう思った。

 今口にすれば、確実にもっと凹んでしまうだろう。


「初めて、なんだ」

「なにが?」


 もごもごと話すフェルナンの耳は、まだ折れた状態のまま。尻尾は現在、ぴったりとお尻に沿ってくっついてしまっている。


「こうやって、旅するのがだよ」

「え? でも、護衛依頼って結構あるんでしょ」


 ああもう。と吐き捨てられた言葉に、紫音は首を傾げた。ランクアップするためには、指定された種類の依頼をこなす必要がある。

 Cランクは、冒険者の中で一人前とされるランク。当然こなさなければならない依頼に、護衛任務も入っている。


「そりゃ、商人とか乗合の馬車の依頼は受けてるさ」

「なら……」

「年の近いやつとこうやって旅するのが初めてだって言ってんだよ」


 そっぽを向いて、照れ臭そうに吐き出されたセリフ。足を動かすたびに聞こえる砂が擦れる音を耳にしながら、紫音はフェルナンの後頭部を見つめる。

 もし、フェルナンが黒い毛に覆われていなかったなら、きっと赤く染まった頬や首が見れたのだろう。


「私もだよ」

「そう、なのか?」

「うん。そもそも旅をするのが初めてだしね。だからよろしく、フェルナン先生」

「っ、まあ、まかせとけ」


 少しからかいを含んだトーンで言ったのだが、フェルナンは素直に受け取ったようだ。

 頬を人差し指でかいてから、嬉しそうに呟く。そのときの尻尾は激しくブンブンと振れていて、よっぽど嬉しいんだなと紫音は思った。


「で、結局答えって何?」

「あ、忘れてた」


 この話題のきっかけになったフェルナンの魔素クイズ。今まで忘れていたと呟いたフェルナンは、答えを伝える。


「魔物になるか、死に至る。運が良ければ寝込む程度で済む場合もあるが、可能性は限りなく低いな」

「え? 人が、魔物に?」


 予想外の回答に、紫音は思わず聞き返した。人が魔物になる。であれば、元は人で合ったものを殺さなければならないと言うこと。


 瞬時に意味を理解し、顔を強張らせた紫音。フェルナンも、先ほどまでの楽しげな雰囲気が嘘のように、鋭い眼差しを紫音へと送る。


「そうだ。動物でも、植物でも同じことが言える」


 魔素溜まりという魔素の濃度が濃い場所が自然界には存在し、その場所に留まり続けてしまった動植物が魔物となるのは自然の摂理だとフェルナンは言う。

 また、魔素溜まりを放置しておくと、そこで死んだ魔物からさらに魔素が放出され、許容量を越えるとダンジョンというものに変化するのだ。


「ダンジョン化させないために、魔素溜まりが確認された場合には定期的に魔物を駆除する必要がある。それは、俺たち冒険者の仕事だ」


 ダンジョンは、魔素溜まりが悪化した姿。ダンジョン内で魔素をたっぷり吸収した魔物が力を蓄え、最悪の場合地上に溢れ出てくる。

 また、ダンジョンになった場合、魔素の結晶である「核」というものが最下層に誕生する。この核が魔素を放出し続けている影響で、魔素を含んだ壁や土が成長をし、ダンジョンは徐々に広く、そして深くなっていくのだ。


 この最下層にある核を壊すことができれば、ダンジョンの成長は止まる。そのため、ダンジョンになってしまった場所を発見した場合は、早急にギルドに報告し、核を破壊する必要がある。

 なお、核を壊してしまえば、なぜかその場所が再びダンジョンになることはない。けれど、魔素は充満しているために魔物は集まる。ダンジョン化してすぐに核が破壊されたダンジョンは、低ランクの魔物がよく集まるので、初心者冒険者の訓練で使われることもあるという。


「ダンジョンには、その核から放出される魔素を求めて外からも魔物が集まる。んで、強いものほど濃度の濃い魔素を欲するからか、強敵ほど核のそばに集まる」


 通称、ダンジョンボス。そう呼ばれている魔物は、少なくともCランク以上の冒険者でなければ倒すことは難しいとされている。

 それは、実力だけの問題ではないのだ。


「登録したての冒険者は、基本的に全員伸び代が大きい。どんなに最初の能力が高くても、言ってしまえば全員一レベルなんだ」

「うん」

「一レベルのやつが、いきなりボスに挑む。あんたみたいに実力があるなら、勝てるやつもいるとは思う」


 歩いている足を止めたフェルナンが、まっすぐと紫音を見下ろした。その瞳は、真剣だ。

 綺麗な青い瞳を、同じように紫音も見つめ返す。


「だが、そんなやつが五十レベルから溢れ出る魔素を全部受け入れたらどうなる」

「……ぱんく、する?」

「そう、壊れちまうんだ」


 その様を見たことがあるのか、フェルナンの眉間にはシワがより、悲しげに歪められた表情。グッと握りしめられた手のひらが痛々しい。


「小さい器で受けきれず、溢れた魔素は体を蝕み、動植物全てを魔物へと変える」


 この世界に存在する全ての魔物は、元は害を与えることもなく静かに暮らしていたものたちだったんだ。と締めくくったフェルナンは、申し訳なさそうに鼻の頭をかく。


「悪い、なんか重く――」

「聞けて、よかったよ」


 フェルナンの言葉を遮って、止まっていた足を動かす。震えそうな手をなんとか隠して、ゴロツキと戦った時のことを思い出す。


「フェルナン」

「ん?」

「その、魔物になった人たちは元に戻せるの?」


 ほんの少しの期待を乗せてした質問。だがそのせいで、自分の浅はかさを思い知らされることになる。


「いや、今のところ戻す方法はない。だが、もし魔物だった間の記憶があるなら――」

「っ、そ……れは」

「死ぬより、辛いんじゃないか」


 再び止まった二人の足。最後まで言われる前に、言いたいことはわかった。

 しかし、はっきりと言われたことで、自分のした質問の意味を改めて突きつけられた紫音は、うつむき唇を噛み締める。

 通行人が不思議そうに視線を投げかけてくるが、そんなもの気にしていられなかった。


「私っ……」


 何か言おうと口を開いたが、何を言っても言い訳にしかならなそうで口を閉じた。


「紫音」


 恥ずかしいからか、フェルナンからはあまり呼ばれることのない名前。下に向けていた顔をゆっくりとあげる。


「魔物のことを、ここまで理解して冒険者を始めるものは少ない」

「そう、なの?」

「最初は話さないんだ。躊躇なく魔物を殺すことができるように」


 元は自分たちと同じだったものを手にかける勇気が、冒険者を目指す若者に最初からあるはずもない。

 魔物が出る限り冒険者は必要で、目指すものを減らさないための配慮でもあるのだ。低ランクの依頼も、この世界を回す大事な依頼なのだから。

 そして冒険者として実績を積むと、徐々に疑問を抱くものが出てくるのだ。


 魔物は、どこから来るのだろうと。


「なんで、私には」

「逃げられないだろ、あんたは」


 聖女という職業。

 元の世界に帰るつもりではいるが、それまではその使命を全うしなければいけない。


 しかし、聖女は一人。

 この事実を知った時に、他の冒険者のように違う道を選択することはできないのだ。


「だから、後から知って後悔して欲しくなかったんだ」

「……フェルナン」


 フェルナンは、ランクアップ試験でCランクを受けた時にその事実を知った。実技も全て合格した後、最後に説明がされたのだ。

 そう、Cランクが一人前と言われるのは、実力があるからだけではない。全てを知り、それでも冒険者として魔物と戦う覚悟のあるものたちだからこそなのだ。


「余計なお世話だったとは、思ったんだが……」

「そんなこと、ない」


 何も言うことができないでいた紫音に、フェルナンは言葉を探すようにゆっくりと話す。

 紫音は、未だ何を言おうかと思考しているフェルナンの顔を見上げ、ゆっくりと顔を左右に振った。


 覚悟なんて大層なものを、フェルナンのように持つことはまだできそうもない。それでも、この世界を生き抜き、帰らなければならないのだ。


 何も知らず、元は同じ種族だったものを殺して、気にしないでいられる性格ではない。だが、それでも。


「知らないでいるより、ずっといい」


 ゴロツキに手を上げた時ですら迷った。すぐに決断なんてできそうもない。

 けれど、フェルナンの言ったように、進むしかできないのだから。


「教えてくれて、ありがとう」


 最初の時よりもはっきりと告げた。

 聞いてよかったと。

 聞けてよかったと。

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