バカな恩返し

人仁

バカな恩返し

 「あー頭いたー……」

 ずきずきと等間隔で鼓動する頭に悩まされながら、私は食卓に着いた。机に肘をつき、額に手を当て項垂れる。

 「だらしないわねえ全く」

 エプロン姿のお母さんが呆れた様子で、手際よく私の前に朝食の乗った皿を並べていった。パンと、スクランブルエッグと、ウインナー。そして付け合わせのサラダ。いつも菓子パンの私にとっては、久しぶりに朝食らしい朝食だった。一瞬感動したが、すぐに頭痛と胃の不快感に襲われ、湯気の立ちのぼる朝食から目線を反らした。

 「私、いらない」

 「だめ。せっかく作ったんだから食べなさい」

 ぴしゃりと言われてしまう。私は不満げに睨んでみたが、口答えは許さないと逆に睨み返され、その威圧的な眼光にひるみ、渋々クロワッサンを掴んで少量かじった。

 おいしい。けど、咀嚼するたび頭に響く。眉間に皺を寄せ苦悶の表情を浮かべながら、クロワッサンを飲み込んだ。

 「まったく、同窓会は結構だけど、翌日に響くほど飲むんじゃないわよ」

 お母さんが私の正面に自分の朝食を用意して座り、言った。猫背の私とは違い、背筋をピンと伸ばして、フォークをウインナーに突き刺す。こうやって対面して食事をするのも久しぶりだ。私は地元から離れて、東京で暮らしている。実家に帰ってくるのは約二年ぶりだった。

 面倒くさいからと盆や年末年始の帰省をことごとくスルーし続けた私が、今回帰省した理由は、高校の同窓会の連絡が来たからだった。正直、同窓会も十分に面倒だったのだが、同窓会の一報を受けた母から、いい機会だから顔見せにくるのもかねて行って来いと命令口調で言われてしまい、仕方がなく一人新幹線に揺られて地元へ帰省した次第である。

 とはいえ、同窓会はそこそこ楽しかった。五年ぶりに会った十数人の級友たちと、飲み屋で学生時代の思い出話や卒業後のことを語りながら、深夜まで大いに盛り上がった。すでに結婚した子がいたり、起業したなんて子もいたりで、安月給で働く独身としては平気な顔をしながらも複雑な心境になりもしたけど、おおむね帰省して満足と思えるほどには満たされていた。

 まあ、今の私の状態がそれを物語っているのかもしれないけど。

 さすがに羽目を外して飲み過ぎた。

 「あんた、明日帰るんだっけ」

 母は私ではなくテレビを見ながら聞いてきた。

 「うん。明後日普通に仕事だし」

 遠方に住んでる人にも配慮してか、同窓会は海の日が重なる三連休の初日に行われた。今日は三連休の間の日曜日。次にいつ帰ってくるかわからない実家を堪能するべく、今日は一日のんびり過ごして、明日の午前に帰る予定だった。

 お母さんがうーんと唸った。

 「明日、台風来るってよ?」

 「うっそ」

 「テレビでやってる、ほら」

 壁際に設置されたテレビに目をやると、ニュースのアナウンサーが「早ければ明日の未明にも台風は日本列島に上陸するでしょう」と、日本が描かれたボードの横で語っていた。日本の南の海上には、台風を表す円と、暴風域を表す円が描かれている。予想進路は、四国地方から東北地方へ一直線。

 台風の存在は、帰省する前から知っていた。だけど、私が最後に見た情報では、台風はまだ海のど真ん中で、日本列島からはだいぶ離れていたはずだった。速度が遅く、上陸するのは連休明けだとニュースでも言っていたから、ぎりぎり大丈夫だと踏んで帰省したのに、いつの間に速度を上げたんだ。あわよくば、連休が伸びるかもと少し期待していたのに。

 「うわ、最悪」

 私は二日酔いとは別の頭痛に悩まされた。台風が直撃となれば、運休、遅延が起きる。駅で何時間も待たされる羽目になるのか。いや、帰れるならまだいい。最悪帰れない可能性だって出てくる。そうなると、会社に出勤できなくなり、貴重な有休が消費されてしまう。

 「最悪」

 私はもう一度、憎悪を込めて呟いた。

 「どうする?今日帰る?」

 「帰りの新幹線予約してきちゃったしなあ」

 連休最終日、自由席では絶対座れないとにらんで、事前に帰りの分も予約したけど、まさか仇となるとは。キャンセル料プラス、切符を買いなおすのはできれば避けたい。それに、今からでは指定席も開いていないだろうし。

 「じゃあ、進路が反れて交通機関に影響が出ないことを祈るしかないね」

 「都合よく反れるかなあ?」

 「さあ。台風なんて、時々わけわかんない曲がり方することもあるから、ないってことはないんじゃないの」

 お母さんは無責任にそう言って、クロワッサンをかじった。一人娘が困っているのに、完全に他人事だった。私は、スクランブルエッグをスプーンですくいながら、明日のことを考える。

 「あ、そうだ。お墓参りもあったんだ」

 ふと、帰宅以外で明日やろうとしていたことを思い出し、声を上げる。

 「お墓参り?誰の」

 お母さんが怪訝な顔で聞いてくる。

 「高校三年の時一緒のクラスだった、近藤風香って子」

 「近藤風香」

 「三年に上がって一か月ぐらいした頃に、交通事故で亡くなった子だよ。私お葬式に行ったはずだから、お母さんにも話したことがあると思うけど」

 お母さんが手を止め、天井を見上げたのち、「ああ、はいはい」と頷く。

 「思い出した。そういえばあんたが学校から帰ってくるなり、急にお葬式行くからって言ってきたときがあったわねえ。あれ?でも、あんたその子と別に親しいわけじゃないとも言ってなかった?」

 「んん、まあ、そうなんだけどね」

 お母さんの言う通りで、近藤さんとは、別段仲が良かったわけではなかった。三年のクラス替えで初めて同じクラスになり、たまたま隣同士になったものの、その一か月後に彼女は交通事故にあってしまったからだ。彼女はあまり話す方ではなかったし、私も積極的に友達の輪を広げる人種ではなかったので、授業で隣の席の人とペアを組んで何かをやる時以外は、お互いまともに会話を交わしたこともなかった。なので、私と近藤さんは、単なるお隣さん止まりだった。

 なぜそんな子のお墓参りに行くのかと言われれば、なんというか、成り行きだった。昨日の同窓会で近藤さんの話題がたまたま上がり、懐かしく思っていたところに、一人の男子に言われたのだ。

 『そういえば田村、近藤と隣の席だったよな。せっかく帰ってきたのなら、墓参りぐらいしてこいよ』

 隣の席だったからって、意味わかんない。私はそう反論しようとしたが、酒のせいもあってか、それもそうかと納得してしまい、『帰る前に寄ってくよ』と答えてしまった。

 監視役がいるわけでもなし、行かなかったとしても誰も文句は言わない。言い出した彼だって、きっと冗談のつもりだったに違いなかった。だけど変に頑固な私は、酒の勢いがあったとはいえ、言ってしまった以上自分の発言には責任を持ちたかった。席が隣だったのは事実で、私は近藤さんにとって最後のお隣さんだったわけだし、全く関連がないわけでもない。

 しかし、本来であれば明日駅に行く前にお墓に寄る予定だったのだが、台風が来るとなればそれも難しい。

 さてどうしたものか。

 思考を妨害して来る頭痛に耐えながら、プランを練り直そうとしていると、

 「まあ、事情はなんにせよ、明日が無理なら今日行けばいいんじゃない?どうせ暇なんでしょ。今日はまだ天気も崩れることはないだろうし」

 お母さんは肩をすくめながら笑って、窓の外を見る。つられて目を向けると、確かに、外は嵐の予兆を感じさせることのない晴天だった。お墓参りには絶好の日和だ。

 「そうしようかな」

 「そうしなさい。午後なら、車出してあげるから」

 午後なら、二日酔いも少しは収まっているかもしれない。車も出してもらえるなら好都合だ。

 私は母の提案に乗ることにした。

 


 家から十分ほど車を走らせたところにあるお寺に着いた私は、お母さんと一緒に住職を訪ねた。自室の学習机に貼りっぱなしだった連絡網から、近藤さんの家に電話をかけ、近藤さんのお母さんからお寺の場所を教えてもらい、お墓の場所の案内をしてもらえるよう住職に連絡を取ってもらったおかげで、住職は私が名乗ると「ああ、あなた方ですか。連絡は頂いております」と、私たちを丁重に迎え、近藤さんのお墓のある場所まで導いてくれた。

 「いやあ、最近は親族以外でお墓参りに来る人もめっきり減りましてなあ。学生時代の御学友が尋ねてきたとなれば、風香さんもさぞお喜びになることでしょう」

 坊主頭の住職は案内の途中、仏のように朗らかな笑みを浮かべて言った。きっと私のことを近藤さんの友達だと思っているのだろうなと思った。本当はただ席が隣だっただけのクラスメイトで、酒の勢いでお墓参りに来ただけなのに。それを言ったら不審な顔をされそうで、私は曖昧に笑ってごまかしておいた。

 初夏の日差しを感じながら砂利道を進み、いくつものお墓を横切り、階段を上った先に、近藤さんのお墓はあった。ご家族が最近来たのか、お墓の周りは雑草が生えておらず、墓石は奇麗に磨かれ、花立にはみずみずしい色合いを放つ仏花が供えられていた。

 「それでは、私はこれで」と住職は一礼して、本堂へ帰っていった。私とお母さんはそろって礼を返して、お墓に向き直った。

 「お花、どうするの?まだ綺麗だけど、捨てる?」

 お墓に備えられた仏花と、私が手に持っている、来る途中に買った仏花を交互に見て、お母さんに尋ねる。

 「この量なら二等分すれば収まるでしょう。合わせちゃいましょ」

 「わかった」

 買ってきた仏花を二等分し、二人で両脇に置かれた花立にお花を挿していった。

 少し窮屈そうになってしまったが、花立は色鮮やかな花で飾り立てられた。

 「センスないわね」

 私が仕上げた花立を見て、お母さんが横やりを入れてくる。

 「うるさいなあ。仕方ないじゃん。初めてなんだから」

 口を尖らせる。私が担当した右側の花立は、派手な色重視で色合いというものを一切無視し、段もバラバラ。対して、お母さんが担当した花立は、元あったお花に飾り付けるように活けられ、まとまりのある仕上がりになっていた。

 こんなの、センスではなく経験の差だ。私だって、経験を積めばできる。ふてくされながら、私は肩に下げたバッグからお線香の入った箱を取り出し、中からお線香を二本抜きだした。箱をバッグにしまい、代わりにチャッカマンを取り出す。

 「はい」

 一本をお母さんに渡し、チャッカマンで火を点けてあげる。お線香の先端に、小さな火が灯る。チャッカマンをしまい、お母さんのお線香から自分の分に火を分けてもらう。手で扇いで火を消すと、灰色になった先端から細く煙が立ち上った。お線香の独特な香りが鼻腔をくすぐる。

 私、お母さんの順番で、香炉にお線香を挿す。そして、手を合わせて、目をつむった。

 暗闇で、私はなんと呼びかけたらいいか考えた。特別仲が良かったわけでもない私が来たことで、近藤さんも戸惑っていることだろう。とりあえず、お元気ですか。お久しぶりですと挨拶をしておく。あとは、ここに来た経緯と、明日にはまた地元を離れること。それから意味もなく、台風が近づいていて明日帰れるかわからないことを軽く愚痴っておいた。

 数十秒ののち、私は目を開けた。日差しに目がくらみ、しばらく半目になる。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、何とか目を開き切った。

 「ちゃんと挨拶した?」

 「したよ。子供じゃないんだから」

 「そう。あんたが来たこと、喜んでるといいね」

 「どうだろうね」

 私はお墓を見つめながら言った。正直、昨日同窓会で話題に出るまで、彼女のことはすっかり忘れていた。薄情なことに顔すら思い出せず、私が実家に卒業アルバムを置き去りにしていなければ、名前と微かな記憶のみを引っ提げてここに立っていたと思う。最低限の記憶を呼び覚ました上で今の私は立っているが、写真に写っていたボブカットのおとなしそうな女の子が、そんな薄情者の私の、気まぐれな来訪を喜んでくれているかは怪しい。もしかしたら、一部始終を知った上で近くにいて、薄幸そうだった顔をゆがませているかもしれない。

 私は、もう一度短く手を合わして、「ごめんなさい」と心の中で謝罪をしておいた。

 ざあっと、初夏の熱気を帯びたぬるい風が吹き、頬を撫でた。




 翌日の朝。私はお母さんの運転する車の助手席に座り、空を眺めていた。

 「良かったわね。台風が反れて」

 母が笑顔でハンドルをさばきながら言う。私は「そうだね」と気返事で返した。

 直撃と思われた台風は、上陸手前で見えない壁に阻まれたかのように跳ね返り、海上へと戻っていった。今朝見たニュースのキャスターも、「いやー、何か忘れものでもしたんですかね」と冗談交じりに驚いていた。

 現在午前十一時。雲は多く、風は少し強いが、交通機関に影響はなく、通常通りのダイヤで運行していると、ニュースでは言っていた。

 「昨日お墓参りに行ったおかげかしら」

 突然のお母さんの物言いに、外に向けていた視線を母に移す。

 「お墓参りに来てくれたことのお礼に、風香ちゃんが台風を追い返してくれたのかもしれないわね。ほら、風だけに」

 本気で言ってるのか、はたまた冗談なのか。お母さんの横顔からは全く分からなかった。

 そりゃあ、台風のせいで帰れるかわからないとは言ったけど。朝起きて外の様子を目の当たりにした時、もしかしてとわずかながらに思ったりもしたけど。

 私はふんと鼻を鳴らす。

 「ありえない」

 そんなのオカルトだ。

 「わからないわよ。私だっていいことあったもの」

 「え?どんな」

 「台風でふてくされるあんたの相手をしなくてよくなった」

 「ふてくされたりなんて……」

 しなかった、とは言いきれなかった。最悪最悪と、リビングで呪詛のように吐き、一日中不機嫌になっていた私の姿は容易に想像ができた。私は目を逸らす。

 「義理堅い子だったのかもね」

 義理堅い子。どうだっただろうか。腕を組み、考える。

 ふと、学生時代の記憶の扉が開いた。そういえば、とある授業で、隣の席の人と意見を出し合い、一つの答えを導き出して発表するというものがあった。そこで私は、本来発表するはずだった近藤さんの代わりに、発表役を買って出てあげたことがあった。内気で自己主張が苦手そうな子だったから、皆の前に出ることに対して異常に緊張しているのが、見ていられなかったのだ。

 授業が終わった後、近藤さんは何度も頭を下げて、「今度は絶対、私が発表するから」と言った。その時私は、別にいいよと言ったが、事実彼女は次の発表の時に、やはり見ていられないほど緊張していたが、その言葉通りの行動を起こして見せた。

 口だけで結局まかせっきりにする人が多い昨今、そういう意味では、彼女は義理堅い人だったのかもしれない。

 「だからって、仮に近藤さんがやったとして、成り行きでお参りに来ただけの私に対してのお礼が台風を遠ざけることって」

 あまりにも壮大すぎるというか、釣り合いの取れてない馬鹿な恩返しだ。

 「理由はどうあれ、自分のもとに足を運んでくれて、手を合わせてくれた。亡くなった人にとって、これほど嬉しいこともないと思うわよ。それこそ、台風を動かしちゃうくらいのことはやってのけるほどに。お寺の住職の方も言ってたでしょ。学友が尋ねてきたら、風香ちゃんも喜ぶでしょうって」

 「そんなもの?」

 「そんなもんよ」

 お母さんは自信満々に言った。これも仏花の飾り同様、人生経験から来るものだろうか。普段オカルト話は全くしない人だからか、余計に説得力を感じた。

 私は、窓の外を見る。強風に吹かれて、雲が南に大移動をしていた。分厚い雲の切れ目からは、わずかに青空が顔をのぞかせ始めている。午後には太陽も、地上を照らしてくれるだろう。

 私はオカルトを信じない。幽霊はいないと思ってるし、占いは全てまやかしだと思ってる。でも、もしこれが、近藤さんのおかげだとしたら。お参りに行った私のためにやってくれたとしたら。

 「来年も、こようかな」

 ぽつりと、私は呟いた。

 「そうしなさい」

 お母さんは穏やかに笑って見せる。

 完全に信じたわけではない。ただ、本当だったら一度のお墓参りだけでは釣り合いがとれないし、本当かどうか確かめるのもかねて、もう一度行ってみるのもいいかと思っただけだ。

 誰に言い訳をしているのか。私は、自分のオカルト観念が揺らぐのを感じつつ、窓の外に向かって一応、ありがとう、と声には出さずに言っておいた。

 ざあっと、ひときわ強い風が吹き、車体が揺れた。

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