第3話 猫は天下の回りもの


「えー、つまりですね、我が国に現金というものは存在しないわけですね。全て猫を通した電子マネーなわけであります」


コンビニで休憩を取った俺たちは、猫背さんに連れられてカッツェンシュプルング日本大使館にやってきていた。今、俺は貫井とは別々にブースに通され、この国のお金の仕組みについて説明を受けている。


「はぁ、でも、見てたら猫たちは大分自由に生活してますよね? 財布が1人で出歩くなんて、危ないし不便すぎやしませんか?」


「その点はご安心を。入国時に国民の全てにナンバーが割り振られます。そのナンバーと、パートナーとなる猫の個体番号は対応しており、2の同意がなければお金の出し入れは、一部例外を除いて不可能となっております。これをマイニャンバー制度と呼びます」


俺はレジカウンターの側でアイコンタクトをとる猫背さんと乱歩さんの様子を思い出した。だが、そもそもなんで猫なのか。電子マネーといっても、管理するのは結局人間なのだからカードでも同じなんじゃないのか。


「なぜ、猫なのか」


説明をしてくれていた中年の男が、心を読んだかのように堅い声で言った。


「それは、ここが猫好きだけで構成された国だからです」


「え?」


「そもそも現代のお金とは、人々の信用から成るものです。それに価値があると皆んなが思っているから、物が買える。労働力が買える。挙げ句の果てには、人の心さえ買えてしまう」


「まぁ、そうかもしれませんね」


「信用が、紙幣という目に見える形で手元にある。これは電子マネーなんて実体のないものと比べれば、それは安心です。でも、その安心感は我々から想像力を奪い去ってしまった」


「……」


「何もかもをお金に置き換えることで、モノとモノの価値は比べ易くなった。その代わり、なんというか、柔らかさがなくなっちゃったんですね。AとBを比べたら、Bのほうが良い。だからAはもう要らない。人も同じで、知らないうちに自分の価値を失ってしまう人が出てきてしまった」


「ここ、社会主義国家ですか?」


「いえ、全然。ごりごりの資本主義…や、にゃんこ主義ですね。だだね、この国には貧富の差こそあれど失業者はおりません。賄賂も、政務活動費の不正も脱税もない。全てはこの……」


そこで、1人の女性がブースに近づいてきた。真っ黒な猫を大事そうに抱えている。


「全てはこの猫たちのおかげなのです。さぁ、抱っこしてみてください。貴方がこの国にいる限り、パートナーになる子です」


「この子が……」


俺は恐る恐る女性から猫を受け取った。毛はかなり柔らかいが、その下に無駄のない筋肉の硬さを感じる。ふっと合った目は、左は深い青色、右は神々しいほどの金色をしていた。


「みゃー」


「……やばい、尊い……」


抱いた瞬間、もう手放せないと思ってしまった。凄まじい引力が心を揺さぶる。


「貴方とその猫は同じ命綱で結ばれています。猫がバランスを崩すなんてことはまず無い。崩れて落ちるとしたら貴方です。努努ゆめゆめお忘れ無いように」








大使館を出た俺たちは、猫背さんの車で近くのファミレスへ向かっていた。俺たち3人のパートナーは、初対面を終えて今は毛繕いの最中だ。


「なあ、今更やけど、こんな国に外から猫持ち込んで大丈夫なん?」


隣でガシャガシャガシャと連写ボタンを連打する貫井に尋ねる。


「んー? なんか、ここのにゃんこは俺らが知ってる猫とは殆ど別の種? らしいから、繁殖もできひんし大丈夫やって。お金としての機能が果たせるように品種改良してあるんやって」


「遺伝子組み換え……。その辺の詳しいこと聞こうとしたらあからさまにはぐらかされたんですけど、猫背さんなんか知ってます?」


「……さぁー? 私の時もそんな感じでしたから」


猫背さんはミラー越しですら視線を合わせずに言った。説明を聞いているときは、腕に確かな生き物の温かみがあったため気にならなかったが、冷静に考えれば可笑しな話だ。果たしてコレは本当に猫なのか? 自動で税金を計算し、不正に敏感に反応し、飼い主の労働意欲を鼓舞する。それはもう猫型ロボットと呼ぶんじゃないのか。



ファミレスでも、あちこちから猫のふみゃふみゃと甘える声が聞こえてきた。驚くことに、殆どの猫の食事が人と同じテーブルに並べられている。綺麗に盛り付けられた食事にペチャペチャと口を付け、ヒゲを汚している。飲食店で動物の姿を見るというのも中々面白い気分だった。貫井の3匹の猫もケースごと入店した。


「いらっしゃいませ、何名様ですか?」


「えー、6人。あと、ペットが3匹で」


「かしこまりました。こちらのお席へどうぞ」


何かが引っかかった。貫井も同じだったのか、猫の入ったケースをぎゅっと抱きしめていた。


「お客様、ペットの猫さんたちはこちらへ。お水とお食事で1匹あたり500円、追加料金を頂ければマッサージなどもつけれますよ」


貫井はあからさまに動揺したようだった。

さっきまで嬉々として写真を撮っていたパートナーと、先住猫たちを交互に見比べている。


「貫井、分かるけどさ。その子たちもそろそろケースから出たいんとちゃう?」


「…………うん。 すみません、お願いします」




食事の間、貫井はパートナーではなく、ひたすらガラス越しの愛猫たちを気にしているようだった。猫背さんに小声で謝ると、最初は仕方ないですよと笑ってくれた。


「猫背さんはうちの社長のお知り合いなんですよね?」


「ええ、若い時分にえらいお世話になりまして。今回、この国に出店しはるって聞いて是非協力させて頂きたいと思いましてね」


「そうやったんですか。あの、ところでこの国って銀行とかはどないなってるんでしょう。融資とか受けられるんやろか」


「ええ、もちろん。ただ、銀行という組織は存在しません。我々はパートナー、つまり自分の全財産を肌身離さず携帯しています。データ上のお金だから預ける必要はありませんよね」


「それは、そうでしょうけど……。まさか税金だけで国ごとやりくりしてるわけやないでしょう? 紀元前やあるまいし」


「ええ、実は、個人のお金の管理ではなく国全体の財産管理を任されとぉ猫がおるんです。公務猫いいましてね」


貫井さんはシャツのポケットに差していたボールペンを抜き取ると、側にあった紙ナフキンに図を描き始めた。


「勤めている企業からそれぞれの猫に給料が振り込まれるでしょう。そうするとこの給料から猫の取り分が引かれます」


「ねこのとりぶん……」


ちゃんと話を聞いていたのかいないのか、貫井がポツリと呟いた。


「このお金は、公務猫と個人猫の間で取引されます。個人猫は主人がピンチの時に、預けていたお金を引き出しに来る。公務猫はそれを企業に利子をつけて貸し出す。仕組みはほぼ銀行とおんなじですわ」


俺は食事を終えソファーの上で微睡むパートナーを見やった。見た目はただの猫だ。だが、これの中身は……何だ?


「ただ、融資の条件は厳しなります。野良猫に混じった調査猫たちが、金を出すんに値する企業かどうかを目ぇ光らして審査しますんでねぇ」


「全部、猫任せにするんやな……」


不機嫌そうな貫井を、猫背さんは眉を八の字にして宥めた。


「この国で猫がやっていることは、人がやると上手いこといかん仕事ばかりです。やけど、猫は他人ひとと喧嘩するんも仲良ぅするんも人間より上手いんですわ。引き際っちゅうんを知っとる」


「……」


「人間の社会と猫の社会が共存する世界やから。してもらってる分こちらも返さなあかんでしょお」









家まで送り届けて貰った俺たちは、玄関に積み上がった段ボールには目もくれずリビングに座り込んだ。ネクタイを緩めながら、ふーっと息を吐く。今日一日、沢山情報を得たが、何一つ理解できた気がしなかった。頭が新しい情報を処理しきれずに軋むのが分かる。自分のネクタイを緩めるより先に、ケースの中の愛猫を取り出していた貫井が囁いた。


「俺、この国で1年もおれるかな」


猫に言ったのか、俺に言ったのか分からなかった。純粋な猫好きの貫井にとっては、この国の価値観は耐え難いものなのかも知れない。ここでは“猫が好き”と、“お金が好き”は同じ意味だ。全ての人が信用し、全てを託せてしまうほど特別なもの。それが形だけの偽物であったとしても……。


「明日は、調査も兼ねて街に出てみよか。キャットタワー用の板も買わなあかんやろ?」


俺はようやく立ち上がりながら、自分のパートナーである黒猫を見た。仕草も、体温も全て猫に違いはない。なのに、実態が掴めないのはなんでだろう。コイツに名前を付けるには、もう少し時間がかかりそうだった。





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猫のいない人生もまた、人生とは言えないらしい。 独楽花 @DOKURAKUKA

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