失われた記憶

 やってきた柳田は、如月の顔を見ると「ふむ」と言った。

「かつてないほど、すっきりした顔をしているな」

 そう言いながら、私の方を見る。

「昨日の夜は、葬式みたいな顔していたくせに」

「そうなのですか?」

 そう言えば、如月はスランプだと聞いた。それに昨晩は忙しくて家に戻れなかったようだし。

「まあ、仕方ないよな。桔梗と杉野、両方から責めたてられたわけだし」

「……もういいだろう?」

 如月が決まり悪そうに、苦い顔をするが、柳田は話すのをやめる気はないらしい。

「桔梗?」

 私は首を傾げる。

「そ。マイちゃん、昨日の夜、倒れたでしょ。しかも霊傷負って。仕事で帰れないっていったら、物凄い剣幕で怒ってさ」

「……なんか申し訳ありません」

「それで、それを聞いた杉野が、如月に責任があると言い出して」

「そんなことないです。あれは、私が不用意に日野さんと話をしたから……」

 呪言に捉われたのは誰のせいでもなく、自分のせいだ。

「そのあと、日野にマイちゃんを取られる恐怖で、術に集中できなくなって、余計残業になっちまった」

「はい?」

 私は、首を傾げる。

「まあ、デートの効果はあったみたいだな」

 柳田は、如月の顔を見て笑った。

「悔しいけど、マイちゃんも、いつもに増して綺麗だ」

 柳田の手がのびて、私の頬に触れる。ドキッとした次の瞬間、如月の手が、柳田の手を振りはらった。

「マイに触るな」

「お前、俺の気づかいをそうやって、アダで返す気か?」

 柳田は呆れたように首をすくめ、大きく息を吐いた。

「感謝はしているが、それとこれとは別だ」

「あの?」

 キョトンとした私に応えず、如月は術の準備に入った。

 柳田も、それ以上は何も言う気はないようで、陣に入った如月の傍らに立つ。

 私は、如月に指定された場所で、おとなしくすわることになった。

「とりあえず、雲龍寺付近の『穴』それから、強い妖気が検出されているから、その確定、だな」

 柳田が持ってきた資料を如月に手渡す。

 如月は、それを受け取ると、陣の中に座禅を組んで座り込んだ。

 部屋の明かりは消され、外からもれてくる光もない。

 ただ、如月の右と左にふたつ、蝋燭が灯されている。

 朗々とした呪文が部屋中に響き渡った。まるで、音楽のように耳に心地よい。

 その声とともに、空気に神聖なものが満ちてくる。

「……大きな穴があるな」

 如月の目の前に、鏡のように画像が投影された。

 暗い虚ろな穴が見える。

 それを囲むように魔法陣のようなラインが引かれ、術者と思しき人間が、念を凝らしているのが見えた。

 画像がロングに引かれていき、周囲の様子が見えてくる。

 どうやら、寺の本堂の中のようだ。

 如月は、それだけ確認すると、さっと、映像を払いのける仕草をした。

「妖気は……寺のそばだな」

 映像は一度上空からのものに変わり、グンと、何かに近寄っていく。

 男だ。茶色の髪。端正な顔立ち。しかし、ひどく疲れた顔をしている。

「日野さん……」

 私は思わず息をのむ。私の声に、日野がビクンと反応したのを見て、如月は慌てて映像を払いのけた。

 さっと、映像が消え、部屋に暗闇が戻る。

「……すみません」

 私は、思わず下を向く。

「いや、いい」

 如月はそう言って、術を解き、立ち上がった。

 部屋に再び灯りがつけられ、しんと立ち込めていた不思議な空気が消えていった。

「妖気は、日野陽平からだ」

 如月は、重々しくそう言った。

「とりつかれたか?」

 柳田が片眉をあげる。

「たぶん――まだ、日野の意志は残っている様だが」

 如月は首を振る。

「マイの声に反応した。あれだけの妖気のある妖魔に取りつかれて、意志を保つとは大した奴だな」

「しかし……滅することまでは出来そうもないな」

 柳田は苦い顔をする。

「日野さんが、どうしたのですか?」

 私は、難しい顔をした二人に訊ねた。

「奴は、おそらく、界弾きの時に渡ってきた妖魔にとりつかれたらしい」

 柳田が首をすくめた。

「おそらく、マイが、奴の術を返したタイミングだったのだろう。奴ほどの男がそう簡単に妖魔に後れを取ることはないからな」

「私が、術を返した?」

 私は、首を傾げる。

 えっと。呪言の影響が急に和らいだのは、如月の告白を聞いた瞬間だ。「貴女が彼から告白されれば」と、日野は言った。

 と、いうことは、術が返ったとすれば、如月が告白をしてくれたからだ。

――しかし、さすがに柳田さんの前でそれは、言えないかも……。

「マイがあれだけの霊傷を受けていたということは、返しも強烈だったはずだ。奴は相当にマイに入れ込んでいたからな」

「そう……なのでしょうか?」

 私は首を傾げる。

「マイちゃん、そこは、疑問形じゃないって」

 くすくすと柳田が笑った。

「少なくとも、普通の術者なら対抗馬が如月だった時点で、逃げるから」

 ポン、とファイリングの中から、柳田が日野の資料を取り出して見せる。

「日野はね、霞言流(かすみげんりゅう)っていう呪言の名門の人間でね。格的には、如月の家に匹敵する血筋だ」

「はあ」

「もっとも、日野は、妾腹でね。跡継ぎには、なれないようだが」

「……妾腹とか名門とか、思いっきり時代錯誤な響きですね」

 私は首を振る。

「とりあえず、奴が、奴でいるうちに、なんとかしないと」

 柳田が首を振った。

「なんとかしないと、どうなるのですか?」

「たぶん、魔王クラスの妖魔が降臨して、街ひとつは軽く壊滅するだろう」

 ふう、と如月がため息をついた。

「日野さんは……助かるのですか?」

「気になるのか?」

 如月がなんとなく不機嫌な声を出す。

「少しは」

 日野は好きではない。むしろ酷い目にあわされた相手である。かといって、術にしばられていたせいだろうか。憎しみが湧いてくるほどの怒りはない。彼が死ねば、哀しいまでいかなくても、やはり後味の悪さは残るだろう。

「助けられる保証はない。助けたければ、マイがやるしかない」

「私が?」

 如月はそう言って、ポンと私の肩を叩く。

「マイにできなれば、誰にもできない……奴は、俺によく似ている」

 どこか暗い光を宿した瞳で、如月はそう呟く。

「安心して。マイちゃん、日当はちゃんと出るから」

 戸惑う私に、柳田がいたずらっぽく笑って見せた。



「雲龍寺ですか?」

 柳田に聞いて、なんだか、二度手間だなあと少し思う。

 本部に戻らず、ホテルから直接向かえば、早かったのにという思いがなくもないが、情報や機材が必要とあれば、致し方ない。

 異界の穴を封じ込めるには、相当な力や霊札が必要なのだそうだ。しかも、武装もしていそうなので、霊的な能力以外の戦闘能力も必要だと説明される。防魔調査室は、独自にSWATがいる。そのSWATと霊能者を束ねるのが、真田だ。

 私たちは、マイクロバスに乗せられて、装甲車の後ろをついていくらしい。

 バスには、田野倉、如月、柳田と杉野。それから私のほか、数人の霊能力者が乗っている。

 「というわけで、今回、外部霊能者として、田中舞さんが同行する。以上」

 乗車すると、私は田野倉に呼ばれて、皆に引き合わされた。不思議なことに、一度もあったことがないひとたちが、一様に私に対して好意的な視線である。てっきり部外者だから胡散臭い視線で見られると思ったのに、意外だった。

「じゃあ、マイちゃんは無理をしないように、みんなのいうことを聞くんだよ」

 田野倉はそう言って、私の頭に手を伸ばす。まるで子供にするかのように髪をくしゃくしゃ撫でる。

「マイに勝手に触らない」

如月が歩み出て、私の手を引いて、椅子に座らせた。

「触るぐらい、いいだろう? 減るものじゃないし」

「お前が触ると、減る」

「心せまっ! やっと話が出来るようになった喜びがお前にはわからんのか?」

「……やっと?」

 私は田野倉の言葉に首を傾げる。

 如月の目が鋭く田野倉を睨み、田野倉は首をすくめた。

「もう、いいんじゃない? 隠す必要もないし」

 杉野は呆れたように首を振る。柳田も、軽く頷いた。

「マイさんは、ずっと長い間『保護観察』リストに入っていたから、ここのメンツはみんなマイさんを知っているの」

「え?」

 私は、杉野の顔を見上げる。

「田中舞さんは、五年くらい保護観察リストでもレッドリストだったはずよ。確か、年間で3,4回は、妖魔に襲われていたの」

 私は、如月と柳田を見る。

 ふたりとも何も言わないが……否定はしなかった。

「私……皆さんのおかげで、生きているのですね」

 私はそっと自分の手を見つめる。

「そ。だから、マイちゃんと話せるの、すごく嬉しい」

 ニコニコと田野倉は笑った。

「防魔調査室の規定で、記憶操作していたから。マイちゃんの方は、おれたちのこと、覚えてないだろうけど」

「ええ、申し訳ありません」

 言いながら、私はふと、日野の術に苦しんだときに見た夢を思い出す。

 あれは、如月と柳田ではなかっただろうか?

「いいの、いいの。これからいーっぱい思い出を作ろうね」

 田野倉がニコニコと私に笑いかけた。

「……なぜ、お前とマイが思い出を作る必要がある?」

 如月がぶすっとした顔で椅子に座りこんだ。

 私の中によみがえる記憶。黒い触手と、ふたりの男。

――ああ。

『このままにしておくと、いつか死ぬ』

 蘇る、テノールで囁かれた言葉。

そう言えば。

 二年前、今のマンションに引っ越した時、なぜわざわざ会社から遠くなる物件を選んだのだろう?


「田中、おめー、通勤時間倍になる場所に引っ越しって、同棲でもするのかよ?」

 熊田が、私の住所変更の用紙をみて、目を丸くする。

「違うよ。なんとなく、見に行ったら、気に行ってしまっただけ。変な勘繰りはしないで」

 私は首をすくめる。

「……まあ、治安のよさそうな場所だからいいけど」

 熊田はそれ以上追及しなかった。私は、引っ越しの理由をはっきりと答えられなかった。


 そう。

 部屋の間取りにしても、それほど困っていたわけでもない。近所の人間関係だって、悪くなかった。引っ越ししなくてはいけない理由はどこにもなかったハズである。


『場の安定したところに引っ越しをさせたほうがいい』

 私は、如月の顔を見上げる。そうなのだ。このひとが、私の無意識に働きかけ、自らの懐に入れることで私を妖魔から守ってくれたのだ。

 涙がこぼれる。

 自らの身を守る手段のない、ただ妖魔を引き寄せる厄介な女を、仕事とはいえ、このひとたちは私を守ってくれていたのだ。そして。私は、偶然、隣人になったわけではなくて。

 意図的に隣人にしてもらい、守られていたのだ。

 感謝の言葉さえ、向けられることもないのに……。

「私……私……」

 嗚咽をもらしながら、私は泣いた。

 杉野が、優しく私の背を撫でつづけてくれた。



 雲龍寺についたころには、どっぷりと日が暮れていた。

 シン、としずまりかえった寺の門扉はまだ開いている。

 ゴーンと、鐘つき堂から鐘の低い音が響く。

 私は、杉野の指示に従い、寺の塀に、こっそり札を張って回ることになった。

――勝手に他人様の壁に貼り紙したら、法に触れるなあ……。

 ついつまらないことを考えながら、杉野と二人で札を張る。

「今だから言えるけど……如月が荒れていたのって、舞さんが原因だと思うの」

「私?」

 杉野は、「あなたに責任があるわけじゃないのよ」と言い置いて。

「如月と柳田が、貴女の担当になったのは、三年くらい前かな。如月が荒れ始めたころと一致するの」

そう言えば如月は、『誰の記憶にも残らず、影に生きるのがしんどかった』と言った。

きっと、私だけじゃなく、たくさんの人の命を救っていたのだと思う。

「防魔調査室の規定でね。記憶操作した人間に不用意に接触してはいけないことになっているから。如月って、そーゆーとこ真面目だから、貴女に声をかけたくても、かけられなかったのね。ま、隣人に強引にしてしまったのは、規定ギリギリだったけど、みんな、見て見ぬふりをしたわけ」

実際、自分もそうしたいって思っていた男どもはいたと思うけど、と杉野は笑う。

「ただ、隣人にした手口は強引だったくせに、それ以上進めなかったのは、あいつ、意外とヘタレでしょ?」

 クスクスと杉野は面白そうに笑う

「舞さんが、マイさんになって。記憶操作しても無駄ってなった時、如月はもちろん、防魔調査室の男連中、軒並み大喜びしたの」

「……嘘ですよね?」

「マイさんの霊的魅力っていうのは、妖魔だけじゃなくて、霊能力者にも効果ありって事。如月みたいにはっきり自分の霊力が向上する奴は珍しいケド」

 杉野はニヤリと笑った。

「例のバラ男だって、マイさんの霊的魅力にやられたンだと思う。でね、マイさんって、言葉が悪いケド、絶世の美人ってわけじゃないでしょ? それが、余計に、独占欲を煽るらしいわ」

「事実かもしれませんが、あまり嬉しくないです」

 私の顔を見て、杉野はふーっと溜息をついた。

「私と真逆よねー。私、男は寄ってくるほうだけど、みんな、シェアも平気って感じでさ」

「シェアって……杉野さん」

 私は思わずうつむいた。

「ああ、ごめん、こんな言動が一番いけないのはわかっているけどね」

 ケラケラと杉野は笑った。

 私たちは、暗闇の中札を張り終えると、皆が待っている寺の正面へと向かう。

 月のない夜だ。

 しんとした夜の道に、虫の声だけが響く。

 寺の正面へと続く道から分かれている脇道に、人の影があった。

 暗闇の中で、そのひとの背は、淡い燐光のような光を放っている。

「式神?」

 私は小さく呟き、杉野に、そのひとを指し示す。

「……妖魔」

 杉野は慌てて私の身体を引き寄せ、物陰に隠れた。

「あれは……」

 均整の取れた、長身の男の背に見覚えがある。

「日野さん」

 呟く私に、杉野がびっくりしたように目を見開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る