雲龍寺

 日野の後姿に、思わず後を追おうとした私を杉野が止めた。

 無言のまま、『日野発見』の旨を、本部に連絡する。

「私たちでは、太刀打ちできない――来たわ」

 ふわりと、桔梗が私の前に舞い降りた。

 桔梗は私たちを見ると、「静かに」という仕草をして見せた。

 桔梗が片手をのばすと、どこからか飛んできたフクロウがふわりと、腕に止まった。

 フクロウは、私たちの方をちらりと見ると、すうっと、日野の後を追うように脇道へと飛んでいった。

「バラ男は、柳田さんのクロちゃんに任せて、一度合流するようにと」

 桔梗は、そう言って、私の手を引いた。

「さっきのフクロウ、柳田さん?」

「ああ、見たことなかった? アレ、柳田の式。柳田はね、探索系の式神を大量に持っているの」

「悟さまと違って、器用だから。水陸空、変幻自在なの」

 そういえば、小説では、鳩をとばしていたイメージがあった気がする。私がそう聞くと、「鳩の『シーちゃん』もいるよ。でも、夜はフクロウの『クロちゃん』の出番だから」と、桔梗は答えた。

「式神だから、夜行性も何も関係ないはずだけど、柳田はそういうの、こだわるのよね」

 杉野は首をすくめた。

 なんだか、柳田らしいな、と思う。

 私たちは、日野の姿が闇に消えていくのを確認してから、寺の正門へと移動した。

 寺の専用駐車場に堂々と置かれたマイクロバスの傍らで、柳田が座禅を組んでいた。

 アスファルトの上に、緋色の毛氈をしいていて、LEDランタンの青白い光。白い半そでシャツにスラックス姿の二枚目が座禅を組んでいる姿は、違和感がハンパじゃない。

「どう? 何かつかめる?」

 杉野が遠慮がちに、柳田に問う。

「恋龍の宮社だな……霞言流の本拠地だ。さすがに結界がきついな」

 柳田が顔をしかめてそう言った。

「悪いが、俺は今、手が離せない。たぶん、武装部隊は殲滅が終わっているはずだから、中の連中に手を貸してやってくれ」

「わかったわ」

 杉野は、私を庇うように前に立つ。

「私が先導するよ」

 桔梗が、燐光を放ちながら、寺の境内へと侵入していく。

 本堂に近づくにつれ、大気が歪み、激しい力のぶつかり合った力の欠片がひしひしと肌を刺す。

 術者の一人だろうか。

 闇の中を、走り去ろうとする人物が目に入った。

「逃がさないわよっ!」

 叫ぶより早く、杉野は、あっという間に間合いを詰めた。ピィシィツ、と、華麗なる回し蹴りが強烈に決まる。

 そこから、蹴り上げた足をそのまま、踵落としで、そいつの頭部にダメージを与えた。

 ガクンと、そいつは、地に伏せた。

「……カッコイイ」

 もともと、長くて形の良いすらりとした足である。それがまるで、ダンスのように美しく旋回するのだ。まるで、格闘ゲームのおねーちゃんのようである。

 そういえば、杉野は空手の黒帯有段者だ。

 今さらながら、杉野のスペックの高さに見惚れてしまう。

「マイちゃん、こっち」

 桔梗に手を引かれ、私は、本堂の入り口に連れて行かれた。

「ああ、マイちゃん」

 私を出迎えてくれた真田は、「術者はあらかた片付いたが」と、渋い顔をする。

「今、開いている穴から、ガンガン妖魔が湧いてきてね。如月がひとりで叩いているから、手伝ってやって」

 真田は、杉野を呼び、穴を閉じる儀式に加勢する様に指示をする。

 本堂に入ると、正面の空間に大きな虚ろな穴があった。瘴気というべきなのだろうか。匂いは伴わないがとても不快な力の欠片を含んだ風が吹き上げてくる。

 暗い本堂の床に、いくつかの灯篭が置いてあり、それがぼんやりとものの形を浮かび上がらせている。板敷きの床には、魔法陣のような紋様。何人かの倒れた人影。

 そして、私の目の前には如月の背がある。

「マイ、下がれ!」

 如月の声が飛ぶ。ぬるり、と、穴から長い黒い触手が這い出た。大人の二倍はあるだろう体格をしたそれは、長い二本の触手の他にムカデのようにいくつもの小さな足を持っている。そして、黒々とした長い触手をぐるぐるとふりまわした。

「マイちゃん、悟さまの傍へ!」

 桔梗が、私に向かって伸びた触角を剣で振り払いながら叫ぶ。

 私は触手を避けるように身体を縮めながら、如月の傍まで走った。

 触手は、明らかに私を追い求め、追いかけてくる。

「マイ、九字を切る。合わせろ」

「はい」

 如月が私の手を引き、私を胸に抱きこむ。

 私は背を如月の胸に預けるような形で、刀印を結んだ。


 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


 私と如月の声が重なる。

 二人の描いた格子が眩い金の光になって、妖魔を焼く。

 ギャー、と断末魔の叫びが穴の中へと落ちていった。

「如月、穴の中に、もう一度、九字を叩き込め!」

 真田の指示がとんだ。

「マイ!」

 如月の合図で、私も再び刀印を結ぶ。


 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


 光が、穴の中に吸い込まれていく。

「『閉鎖』」

 そこにいた私たち以外の術者の声が唱和する。大きな力が大気に膨れ上がり、大きくあいていた虚ろな穴が巾着を絞るかのようにギュッと縮められ……そして、閉じた。

 大気が、ゆっくりと清浄にもどっていく。

「如月と田野倉は、柳田と日野にかかれ。後の者は、浄化と、場の安定化の作業に入れ」

 真田の指示で、皆が慌ただしく行動を始める。

「私はどうしましょう?」

 如月に抱きこまれた形のまま、真田を見ると、真田はくすりと笑った。

「マイちゃんは、如月にくっついていって。日野に対抗するにはそれが必要そうだ」

「……しかし、くっつきすぎじゃないかなあ」

 田野倉の視線を浴びて、私は真っ赤になった。

「す、すみません」

 思わず離れようとするが、如月はそのまま私の肩を抱いたまま歩き出す。

「気にするな、マイ。これは仕事上でも必要なことだから」

「はあ」

 くそまじめにそう言われると、逃げにくい。そもそも、恥ずかしいことをのぞけば、如月に触れられるのは嫌ではなく、むしろ嬉しい。

「霊力が安定するのは、如月だけじゃねえのに……」

 ぶつぶつと田野倉が呟く。

「へ?」

「マイちゃんは霊的に好影響を与えるタイプだから。別段、如月だけ相性がいいってわけじゃない」

 田野倉は首をすくめてそう言った。

「ま、しかし、ここでマイちゃんを取り上げると、如月が使い物にならなくなるから。今日のところは仕方ない」

 この件が終わるまではね、と、田野倉はニヤリと笑う。

「田野倉さん、リップサービスはそれくらいでいいですって」

 私は思わず苦笑する。

「サービスじゃないんだけどなあ」

 田野倉が小さく呟く。

 私たちは、境内を通って、駐車場に向かう。

「あれは?」

 もやりと、闇の中に漂う影。チロチロと闇色の舌を出しながら、大蛇がマイクロバスの前でのたうっていた。

 大蛇の前には、頬に一筋の血を流す柳田。

 大蛇が咆哮をあげるように、大きく口を開けると、ザシュッと音ともに、風邪の刃が飛んだ。

「柳田さんっ!」

 柳田は、右手を上げ、振り下ろす。途端に、飛んできた刃がまふたつに裂けた。


 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


 ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン


 私と如月の九字、そして田野倉の不動明王の真言が唱えられ、大蛇は黄金の光に包まれる。

 がぁーっという断末魔の叫びが、大気を振動させた。

「如月!」

 柳田の声に、如月はついっと、宙を睨んだ。

 闇の向こうから、何かが押し寄せてくる。

 如月の手が、複雑な文様を描く。

 ざっっと、手を広げると、如月の目の前に半透明なキラキラとした銀の幕のようなものが現れた。

「『還れ!』」

 如月の言葉に反応して、幕は鈍く発光し、押し寄せる妖気をそのまま弾き返す。

 銀幕は押し寄せた全てを弾き返すと、砂がこぼれるように闇の中に溶けて、消えていった。

「柳田さん、血が……」

 私が駆け寄ると、柳田は「大丈夫だ」とニヤリと笑った。

「日野か?」

 田野倉の問いに柳田は頷いた。

「結界に近寄りすぎた。霊波を辿られたようだ」

「お前らしくもない……というか、日野が強敵ってことか」

 田野倉は首を振った。

「恋龍の宮社だ。『幻視』のメンバーが入っていくのも見た。どうやら、霞言流が『幻視』に大きくかかわっているのは間違いない」

「恋龍の宮社まで、車で十五分。こっちの状況は筒抜けだろう。急いだほうがいいな」

 如月はそういうと、マイクロバスに乗り込んだ。

 田野倉は、車に乗りながら真田に状況を話す。

 私は、バスに乗り込むと、柳田の傷口を確認した。刃物で切ったような鋭角な傷が、左頬に走っている。少し深い。

「手当て、させてください」

 私は、ハンカチを傷口に当てておさえながら、布瑠の言をとなえる。


「一二三四五六七八九十、布瑠部由良由良止布瑠部」


 私の手から力が流れた。

 私は、そっとハンカチをはずした。傷口はうっすらと閉じて、血は止まっている。

「ありがとう、マイちゃん、痛みは止まった」

「よかった」

 私がホッと息をつくと、如月は車を発車させようとエンジンをスタートする。

「柳田が、怪我をしたって?」

 血相を変えて、杉野がバスに走って乗り込んできた。相当、急いできたのだろう。息が荒い。

「大丈夫だ、たいしたことはない」

 柳田がそういうと、杉野はほっとしたように息をついてから、田野倉の顔を睨んだ。

「どういうこと?」

「いや、回復要員がいたほうがいいと思ったから……まさかマイちゃんの布瑠の言が、こんなに能力高いと思ってなかったし」

 田野倉は頭を掻いた。

「私が必要なら、真田課長が指示するわよ。まったく」

 杉野は、ムッとした顔で田野倉を睨み続ける。

「いいから、座れ、バスを出す」

 如月が面倒くさそうにそういって、ギアをドライブにあわせた。

「杉野さんは、田野倉さんに呼び出されたの?」

 私が訪ねると、彼女は頷いた。

「柳田が大怪我した、手当てが必要だって。だから、課長に許可も取らずに走ってきたのに……課長には、田野倉からよく言っておいてよね」

 杉野はとてもご機嫌ななめである。

「まさかかすり傷で呼び出されるとは……」

「心配かけて悪かったな」

 柳田がそう言うと、杉野は、顔を背けた。少し耳が赤い。どうやら、照れているらしい。

 ふうん。

 と、私は思う。

 仲良しだとは思っていたけれど、杉野は、柳田が好きなのかもしれない。

「私、なんか余計なことをしたかな……」

 せっかくここまで一生懸命走ってきたのだ。かすり傷とはいえ、私じゃなくて杉野が手当てすべきだったのでは、と、ちょっと思う。

 私の呟きに、杉野は更に真っ赤になった。

「マイさんは悪くないっ! 悪いのはそこの田野倉!」

 美人にキッと睨みつけられ、田野倉は首をすくめた。

「怒った顔もきれいだねえ、杉野。これで、言動がマトモなら好みなのに」

「この、破壊坊主がっ!」

 杉野はそう言って、手にしていた木札を田野倉の丸めた頭に投げつけた。

「ってぇ!」

 ありがたい木札をこんな風に使用? してよいのか、と、ちょっと思う。

「お前ら、少しは緊張しろ!」

 さすがに、呆れたらしい柳田が二人を怒鳴りつけた。

 やがて。

 恋龍の宮社にほど近い、公園の駐車場にマイクロバスが滑り込む。

 私たちは、ゆっくりとバスから降りて恋龍の宮社の方に目をやる。

 月のない、暗闇。ピリピリと感じる妖気。

 はっきりと大きな妖魔の存在を肌に感じる。

「時間がなさそうだ……正面から行こう」

 田野倉の言葉に、全員が頷いた。

 ざわざわと、背後で木の葉が音を立てていた。

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