闇の慟哭

防魔調査室

 防魔調査室の本部は、実は宮内庁の地下にある。

 防魔の技術は、日々科学的になっては来ているものの、霊能力者は、神社仏閣に由来することが多いということのようだ。

 近代的なスーパーコンピュータが、各地に設置された妖力感知システムと連動するという、ほとんど漫画な設備である。

 私は、セキュリティがバシバシに高そうな場所をいくつも通過して、総合本部とやらに如月とともにやってきた。

 正面に大きなディスプレイ。横並びのコンソール。

 まるでNASAみたいだ。時々、警告音が鳴ってびくりとするが、ほとんど日常の風景なのか、如月の表情は少しも変わらない。

「おっ、噂のマイちゃんだね」

 体格の良い男性がディスプレイから目を外し、私に微笑みかけた。年齢は三十代前半くらい。端正とはいえないかもしれないが、人好きのする感じ。パソコンのディスプレイの横には、たくさんのファイルが積み上げられている。

「マイ、紹介する。俺と柳田の上司である課長の、真田勝(さなだまさる)」

「はじめまして。田中舞です」

 私は深々と頭を下げる。

 真田勝は、某HPの『婿にしたいキャラ』ナンバーワンだった人物だ。爽やかで優しそうな表情は、イメージ通りで、ついぼうっと見惚れてしまう。

「はじめて、か。そうか。そうだね」

 なんとも微妙な表情で、真田はそう言った。

「はい?」

 その反応に首を傾げていると、如月に腰を引き寄せられた。

 まさか如月の職場でそんな風にされると思っていなかったので、私は真っ赤になって下を向く。

「状況は田野倉(たのくら)に聞いてくれ。オレは、ちょっと手が離せない」

 真田は私と如月を見て、ほんの少しだけニヤリと笑ったが、すぐにディスプレイを睨みつけた。とても忙しそうだ。

「マイ、こっちだ」

 如月に腰を抱かれたまま、連れて行かれた先には、頭を丸めた美丈夫が袈裟をきてパソコンをしていた。マウスの横には、数珠が置かれている。なんとも、違和感てんこもりであるが、そういえば、田野倉という人物は、小説でもこういう人物であった。事件そのものとは違って、調査室のメンバーは、ほぼイメージが変わらないのかもしれない。

「やあ、マイちゃん、久しぶり」

 にこにこと、田野倉が私に笑いかける。

「……久しぶり?」

 私は首をひねる。どこかで会ったであろうか? これほどインパクトのある人間を忘れることはないと思うけど。

「おい、田野倉」

 如月が渋い顔をした。

「あ、そうか。はじめまして、だね。田野倉栄治(たのくらえいじ)だ。噂は聞いているから、ついね」

 田野倉は、慌てたようにそう言った。

 噂って、そんなに私、話題に上っているのだろうか。まあ、魂が二つ同居って珍しいから仕方ないか。

「田中舞です」

 私は、慌てて頭を下げた。

「実は、『幻視』が声明を送ってきた」

「声明?」

 ひらり、と、田野倉はプリントアウトされた紙を如月に手渡す。

「妖魔の存在を、大衆に周知させろ、か」

 如月が苦々しい顔で紙を見つめる

「そうすると、何か良いことがあるのですか?」

「霊能者の待遇が全面的に改善する」

「え?」

 私は如月と田野倉の顔を見比べる。

 ふたりとも、非常に複雑な表情をしていて、この声明に共感するところがあるらしい。

「おれたちはさ、こうやってお役所の仕事をしていても、世間様にとっては影のお仕事なわけ。公的な権力を持っているおれたちですら影だから、民間の霊能者がどう思われているかって、言わなくてもわかるよね?」

 田野倉の言葉に、私は頷く。

 自分がこんなことになるまで、霊能者という言葉にすら、胡散臭さを感じていたからよくわかる。

「周知した場合のデメリットは?」

「たぶん、霊的な犯罪は十倍以上になる。素人が妖術に手を出す可能性も増える。妖魔は人の負の感情で増殖するものも多いから、妖魔そのものの数も増えるだろう」

「あまり、よろしくないですね」

 私はため息をつく。如月たちが影に生きているという認識はとても辛い。辛いけれど、今の世の中の平穏は彼らの献身によって保たれているのだ。

「界弾きの際に開いた穴を固定化したとあるが?」

 文面に目を通しながら、如月は眉を曇らせる。

「今、調査中だが、雲龍寺付近で、妖気の異常感知が続いている。戯言と言えないかもしれない」

 田野倉の顔が厳しい。

「そんなことをして、何かメリットがあるのでしょうか?」

 私は首を傾げる。犯罪が増えたり、妖魔が増えたりしても、誰も得をしないと思う。

「マイちゃんの感覚って新鮮なくらい普通でいいなあ」

 田野倉はくすりと笑って私を見つめる。なんだか、恥ずかしくなって顔を赤らめると、グイッと如月の手で身体を引き寄せられた。

「奴らはね、魔への恐怖を利用して、世間を支配しようとしている」

 苦々しく田野倉はそう言った。

「結社『幻視』の奴らは、霊能者は選ばれたエリートだと思っている。畏れ、敬われ、そして、支配する存在だとね」

「選民思想ってやつですか」

 私は首を振った。

「妖魔を増やして、それを退治することで世間に恩を売ろうということですか?」

「そ。自分たちを神聖化するのが、権力への近道だからね」

 田野倉は首をすくめる。

「まー、少しは奴らの気持ちもわからなくはない。おれたちは、命を張って戦っても、たいていは誰の記憶にも残らない」

 私は、蛍を見に行った時の神社の境内で起こった事件を思い出す。

 色情魔に取りつかれた男性と襲われた女性を助けた時、如月は、『落石事故』の記憶に書き換えた。

 おそらく、あれはほんの一例なのだろう。

「それって、辛いですね」

 なにも感謝感激で恩人と崇められなくてもいいから、その仕事の功績を誰かに知ってほしいと思ってしまうのは、私が甘っちょろい『ナンチャッテ』霊能者だからだろうか。

「民間の霊能者は、おれたちみたいに徹底して記憶を改ざんしたりはしないけどな。防魔調査室の規則は厳しすぎる」

 田野倉はそう言って、私の頭に手を伸ばした。

「正直、マイちゃんとお話できる日が来るとは、思っていなかった」

「田野倉!」

 如月の非難ぎみの言葉に、田野倉は首をすくめる。

「いいだろう? マイちゃんは、もうこちら側の人間だから」

「あの?」

 不思議そうな顔をした私の頭をクシャクシャと、田野倉はなでた。

 如月は、何とも嫌そうな顔を浮かべている。

「それで、どうする?」

 如月は声明文をパチンと叩いた。

「今、杉野に札を作らせている。そっちの準備が出来たら、雲龍寺の妖魔を封じにいく。それまでに、飯を済ませておけ」

 田野倉はそう言うと、食堂の千円の金券を私にくれた。

「マイちゃんの分は、おれのオゴリね」

「ありがとうございます」

 私は丁寧に頭を下げようとすると、如月は金券を奪い取り、田野倉につき返した。

「マイの飯代は俺が出す。マイも、下心満載の男のプレゼントを簡単に受け取るな」

「下心?」

 何を言われたのかよくわからず、首を傾げる。

 今の流れって、「お嬢ちゃん、アメあげるよ」くらいのノリで、下心なんてものがあるとは思えなかったけれど。

「田野倉さん、ごめんなさい。如月さんが変なこと言って」

 思わずそう言って、頭を下げる。

「いーや。真実だから。用心したほうがいいよ、マイちゃん」

「は?」

 田野倉の言葉に目が点になる私を、引きずるように、如月が引っ張った。




 ご飯を頂いた後、如月と柳田が使っているという部屋に案内された。

 部屋の広さは四畳くらい。板張りで、部屋の隅にソファとテーブルがある。

「ここで、物見の陣を張る」

 如月はそう説明した。

「ここでできない複雑な霊視は、俺の家でやることになっている」

 それで、柳田や杉野が如月の家にしょっちゅう訪れるのか。

「おうちが職場になってしまっているということですか」

 ふうんと、納得する。

「あのマンションは場の安定度が高い。妖魔の危険も少ない土地柄だから」

 如月は言いながら、床に陣を書いていく。

「ここも、悪くはないのだが……いつもは、マイがいない」

「は?」

 如月の言葉に、私は首をひねる。言われた意味がわからない。

「舞が隣に引っ越してきてから、俺の霊力が安定した。麻衣が来る前の話だ」

 如月はそう言って、少しはにかんだ。

「こういうことを言うと、またマイが勘違いするから、あまり言いたくないが」

「何のことです?」

「霊的魅力、まあ、周囲に与える霊的な雰囲気だな。それが俺の霊力と相性が良かった」

「はあ」

「麻衣が来て、マイになって、さらにそれが顕著になった。最近、うちにやたらと柳田が来るのは、そのせいだ」

「よくわかりませんが……それで、夕方においでになっていたのですか?」

「そうだ。マイが不在なら、ここと条件はそんなに変わらないからな」

 如月は頷いた。

「ああ、だから、私に傍に居てほしいと?」

 私がポンと手を打つと、「それは違う」と、如月は慌てた。

「……もちろん、それも少しはあるが。術の為に、マイに傍にいてほしいわけではない」

 如月は陣を書き終えると、ふう、と息をつき、時計の針を見た。

「十五分か」

 ボソリと呟いて、私の身体を抱き寄せた。

「何のことです?」

「柳田が来るまでの時間」

 少し短い、と如月は呟く。

「マイ……キスしていいか?」

 唐突に問われて、心臓が止まりそうになる。

 今まで、何も聞かずに勝手に唇を重ねたくせに、と、ちょっと思う。

「どうして?」

 私が呟くと、如月は自嘲めいた笑いを浮かべた。

「杉野に叱られた。俺は言葉が足りないらしい」

「杉野さん?」

 如月が軽く頷く。

「女が占い師の門をくぐるのは、気持ちが不安定な時だって」

「は?」

 私はポカンとした。

「マイを不安にさせるから、日野に引っかかってしまったって」

 えっと。

 これはすごい誤解があるような気がする。そもそも、占いには全く興味がなかったのだから。

「それに……マイには、女性関係の激しい男だと思われていると」

 それは、確かに杉野さんにそう言ったと思う。

「違うのですか?」

 私の問いに、如月は微妙な顔をした。

「違うと言いきれないのが……辛いな」

 如月は、私の唇を指でなぞる。

「俺はこの仕事の意味を見失いかけた。情けない話だが、精神の拠り所を求めて女に走った」

 如月の顔に苦悩が浮かぶ。

「何か辛いことが?」

 私は、如月の頬に手を伸ばす。

「誰の記憶にも残らず、影に生きるのがしんどかった」

「……わかる気がします」

 誰だって、自分のことを認めてほしいって思う気持ちはある。

 命を張った戦いをなかったものにする……それって、酷だと思う。

 そういう意味では、『幻視』の声明は、よくわかる。

「女を抱いている時だけ、生きていると実感できた……」

 如月は苦笑いを浮かべた。

「最低だな」

「でも……その、合意の上ですよね?」

 言いながら、ちょっと、私は顔を赤らめる。

 如月だったら、一夜の夢で構わないという女性は多いと思う。

「合意の上で、犯罪じゃないなら……それは、過去の恋愛です」

 くすり、と私が笑うと、如月は目を丸くした。

「私は、如月さんの女性関係に口をはさむ立場ではありませんでしたし」

「マイ、俺は……」

 如月が何か言おうとするのを私は唇で塞いだ。

「占いに行ったのは、同僚に誘われたからですよ」

 びっくりした表情の如月に、私はちょっとだけ満足する。

 今、この表情を作ったのが自分なのだと思うと、少しだけ幸せになった。

「私、如月さんが好きです」

 クスクスと笑いながら私は告げる。こんなに素直に想いがこぼれるなんて、思ってなかった。

「マイ」

 如月の秀麗な顔に笑みが浮かぶ。

絶妙なタイミングで、廊下を歩く靴音が響く。

如月の手が私の顎にかけられるのを私は制した。

「ダメですよ。柳田さんがお見えです。お仕事ですよ」

「……意外とマイって、冷静だな」

 がっかりしたように、如月はため息をついた。

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