赤の絆
――国城エリカ、か……。
私は、客用の漆器を磨きながら、独りごちる。
そういえば、「見合い相手」とはあったけど、小説にはお見合いシーンは描かれていなかった。
とはいえ。徹の見合い相手であるエリカが、如月悟と恋に落ちたら、略奪愛めいて、いかにも泥沼である。
たとえ恋に落ちたとしても、そういった相手であれば如月悟は自分の気持ちにふたをして顔に出さないタイプに見えるし、その可能性はない気はするが……私が勝手にそう思いたいだけかもしれない。
ずっと考えないようにしているけれど。
私にとって、あれは、ファーストキスだったのだ。蛍がみせた一夜の夢だったとは思うけれど、肌に生々しい痕がまだ残っているのに、如月が他の女性と恋に落ちるのは見たくないと思うのは、わがままであろうか。
国城エリカと、如月悟の関係は、作品中でも異色だ。これほど『清い』関係だった女性はなく、ファンの間では、実は如月の大本命なのではないか、と言われていたほどだ。
もし。徹の見合い相手で。エリカが、徹でなく、弟の悟を選んだとすれば、あの関係も納得できる。
モテ男の如月悟といえども、遠慮して当然だ。
「舞さん、それ、終わりました?」
「あ、どうぞ」
奈津美が私の磨いた漆器を受け取る。
女手が足りないという噂だったのに、そんなことは全然なさそうだった。
如月家の面々は、それぞれ式神を持っていて。桔梗をはじめ、
私は、既視感を感じて、楠という式神に視線を向ける。年齢は二十代後半くらい。細く鋭い目で、非常に日本的な美形だ。
「ねえ、奈津美さん。変なことを聞くけど、『青の弾丸』という小説、知っている?」
言葉を言い終える前に、奈津美は「青の弾丸、知っているの?」と私の腕をつかんだ。
目が爛々と輝いている。
「う、うん。楠って、ひょっとして、
「わー! メチャ嬉しい! そうなの! もう、龍二、最高だよねー」
ぶんぶんと、私の手を振って、喜びを全身で表現した。私以上の大ファンのようだ。
「わお。舞さんも読者なんて、奇遇よ! いえ、運命だわ!」
興奮した奈津美は、手にしていた漆器を置いて、奥から、お茶とお茶菓子を持ってきた。
もはや、お見合いの用意をする気はゼロである。
「でも、舞さん、よく、わかったね」
「うん、なんか、イメージピッタリだったから」
まさか、式神を小説のキャラクターを模して創るなんて、考えたこともなかった。奈津美のその発想は、ちょっと、心配な気がするけど。
「私は、楠より、
南条と言うのは、『青の弾丸』のもう一人の主人公。青の弾丸は、南条と、楠がコンビを組んだハードボイルドSF作品である。
「へえ、南条派なの? じゃあ、式神作るときは……」
「サボるな、奈津美」
夢中になって話していた奈津美は、背後からやってきた如月悟に軽く頭を叩かれた。
「えーっ、せっかく式神の打ち合わせをしていたのにぃ」
奈津美はぷうぅっと頬を膨らませる。会話の内容は別として、とても可愛い。
「奈津美さん、私、式神なんて作れません」
そもそも私は小説知識のなんちゃって霊能力者なのだ。そんな専門的な知識は全くない。
「えー、作ろうよ。教えてあげる!」
「作れたとしても……異性にはしないと思うよ?」
「どうして? どうせなら、カッコイイ男のほうが良いじゃん」
奈津美はキラキラする目を私に向けた。
「そんなカッコいい式神作ったら、私、日常生活できないよ」
私は、苦笑した。
「残念だなあ、南条が舞さんにかしずいてたら、結構、萌える絵になるのに」
「南条って誰?」
冷やかな声で、如月悟が口をはさんだ。
私は思わず顔が赤くなった。さすがに二十七才なので、小説の登場人物に懸想するということが、他人様から見るとかなり痛くみえるということはよくわかっている。もっとも、如月に対しての私の気持ちは、その延長上にあるのも事実で、そう考えると、私は相当にイタイ女だと思う。
「舞さんの好きな人」
「……」
奈津美の答えに、如月悟の動きが止まる。
「ちょっと、奈津美さん!」
私は慌てた。あまりといえば、あまりの展開である。
「どこの、誰?」
もう一度、如月悟が冷やかに口を開くと、奈津美は大笑いした。
「悟兄ィったら、マジすぎ。もう、南条は、小説の登場人物だよ」
如月悟は、それを聞いても不機嫌そうな顔をしている。
「ひょっとして、異世界むこうでの知り合い?」
「ええっ? 違いますよっ」
そうか、そういう考え方もあるわけだ。こっちが麻衣にとって小説なら、あっちは舞にとって小説っていう可能性もゼロではない。的外れだけど。
「……そうか」
納得いかない様子の兄を、奈津美はじっとみつめた。
「残念だけど舞さんは、式神、異性にしないのが正解だね」
突然、奈津美が私の意見に賛同したので、私は驚いた。
「男の式神はつくったとたんに、悟兄ィが、滅しちゃう気がするよ」
くすっと奈津美は笑った。
お見合いは如月家の奥の間で、粛々と行われていた。
私は、お膳の用意が済むと、ぼうっと如月家の広い日本庭園を眺めていると、如月悟と、柳田瞬がこちらへやってきた。
「マイ、ちょっと」
そういえば、昨日の夜から、如月は私の名前を呼び捨てにしている。そのことで、柳田は不審そうに如月を見るが、どちらもそれ以上は何も言わない。
「薮内さんに紹介するから、こっちへ」
「へ? ええ」
そういえば、お見合い回避の虫除けスプレーも頼まれたような気がする。
「柳田さんも、薮内さんのお知り合いなのですか?」
私がそう言うと、柳田は首をすくめた。
「日本の霊能力者で、薮内さんを知らない人間は潜りだ。なんといっても、『防魔調査室』の草分け的存在だ」
「へー」
そういうひとが、お見合い写真の束を持って歩いているのか。それは、断れないといった徹の気持ちもわかる。
私は、ふたりに案内されるままに、奥の部屋へと足を進める。
「あのー、どちらへ?」
「座敷のほうだ」
「お見合い中なのでは?」
「顔合わせはすんだから、問題はない」
如月悟はそう言い切ったが、私はTシャツにスカートという、超ラフな服装だ。お見合いのようなかしこまった場に出て行ける服装ではない。そう言って、丁寧にお断りしようとする。
「気にするな」
気にするって!
でも。私は如月悟の本当の恋人ではないのだ。一時の虫除けスプレーが、相手の心証を気にする必要はないともいえる。
如月のこの強引さも、そのあたりにあるのかもしれない。
「お邪魔します」
襖を開けると、正装の人々が一斉にこちらを見た。
一回こっきりだと思っても、いたたまれない。しかもだましていると思うと、申し訳ない気持ちがハンパじゃない。
「薮内さん、こちら、先ほど話した田中舞さんです」
如月悟は、私を招きよせ、頭を下げる。なにをどう話されたのか、全く想像がつかないが、とりあえず同じように頭を下げた。
「ほぅ、これは、すごい!」
六十代くらいの陰陽協会の会長と聞いていたから、てっきり仙人みたいな人と思いきや、随分、若々しいエネルギッシュなオジサンが、目を細めて私を見た。
「魂が二つ、というのは、前にも見たことはあったが、これほどまでに同調しているのは初めてだ」
薮内氏の目は、珍獣を見る目だ。私の価値なんて、それしかなさそうだから仕方ないと思う。
「あなた、失礼よ」
その隣に座っていた、品のある老婦人が、咎めるようにそう言った。たぶん薮内氏の奥様だろう。
「眩しいくらいに、霊的魅力にあふれた方ですね」
落ち着いた美しい声でそう言ったのは、国城エリカだった。可愛らしいワンピース姿は、写真以上に美しい。
思わず、私は、如月悟の顔を見る。ドキッとするくらい優しい目で微笑み返され、私は戸惑った。
「いいね、いい。実にいいよ、悟君」
ポンポンと、薮内は、如月悟の肩を叩く。
どうやら薮内氏は珍獣を見て、ご満悦らしい。
「このような方と義理の姉妹になれるなんて、嬉しいわ」
エリカが、艶然とした笑みをうかべ、徹が嬉しそうに笑みを返す。
お見合いはどうやら上手くいったようである。
って。
――義理の姉妹?
意味がわからず、私は小首を傾げ……それの意味することを理解して、顔が真っ赤になった。
しかし。お見合い回避のための虫除けスプレーを頼まれたのだから、ここは、否定してはいけないところである。
「それで、こちらのお嬢さんは、『防魔調査室』の?」
「いえ、目下、鋭意、口説き中です」
柳田が脇から口をはさむ。それは、もったいないと、薮内氏は顔をしかめた。
「あら。でも、無理に最前線に立たなくても、早く家庭に入ったほうが良いのではないかしら? ねえ、悟君」
ニコッと、薮内夫人は笑った。
柳田はちょっと不満げに口を曲げ、如月悟は顔を赤らめた。
私は。もはや、考えることを放棄して、笑顔を張り付けたまま茫然としていた。
――絶対、オーバーワークだ。
私は、縁側に腰掛け、冷茶をすすりながら、放心していた。
何もかもが、隣人の職分を越えている。
――そもそも、第三章って、私、スーパーで如月と話をするだけだったのに。
何ゆえに、こうなったのであろう。
「お疲れのようね」
キラキラした光をまとったかのような、国城エリカに声をかけられ、私はびっくりした。
「お、お帰りになられたのでは?」
あまりの美しさに私は、焦った。ゲストヒロイン様は、オーラが違う。
「うん、薮内さんご夫婦とうちの両親は帰ったわ。私は、もう少しお話したいから残ったの」
「で、では徹さんを」
探してきます、と言おうとしたら、違うわよ、と、言われた。
「奈津美さんに聞いたわ」
くすり、とエリカは笑って、声を潜める。
「……あなた、南条派なんですってね?」
「え?」
私は、びっくりして彼女を見返した。
「私もなのよ! もう、これって、奇遇、ううん、運命よね!」
そういって、彼女は私の手を握る。
「こういう旧家の親戚づきあいって、面倒なことが多いケド、私ってなんて運がいいのかしら!」
キラキラした目は、同志を見つけた喜びに溢れている。
「エリカさーん! ありましたよ!」
奈津美が楠に何やら雑誌をもたせ、こちらに歩いてきた。
「わ! 本当?」
私は、楠のもってきた雑誌に目をやる。
「月刊SF?」
私もちょっと胸がドキリとする。
「そうです! 文庫に落ちていない、『青の弾丸』番外編収録号です!」
奈津美が自慢げに(いや、これは自慢して当然!)そう言った。
「えーっ」
私は思わず、悲鳴に似た歓声をあげる。
「私、これ、知らずに買えなかったやつです!」
「私も!」
私とエリカは、雑誌にくぎ付けになった。
「読みたい! コ、コンビニでコピーを!」
私が叫ぶと、「お貸ししますよ」と、奈津美が笑った。
「で、でも……」
「長い親戚づきあいになりそうだもの。気にしないで」
私は焦った。エリカはともかく、私は親戚になる予定はない。
「あ、あの、私、本当は、悟さんとは家が隣だというだけの関係で。今回はお見合いを断る口実として呼ばれただけなんです」
私がそう言うと、奈津美の式神の楠が片眉をあげた。
――うわっ、龍二だよっ、龍二がここにいるっ!
思わず、煩悩に走ってしまった。奈津美の式神って、完成度が高すぎる。
楠は、上から下まで撫でまわすように私を見て、ふっと笑った。
「マイさま。そうではないと思いますよ。人間にはわからないでしょうけど、貴女様から、悟さまの霊力を感じますから」
「……なんのこと?」
私が首を傾げると、くっくっ、と楠は笑った。……桔梗もそうだけど、人間にしか見えない。
「たぶん、霊的魅力の高い貴女を下等な妖魔から守るためだと思いますが、貴女には悟さまの印がついています」
「印?」
奈津美が小首をかしげた。
「赤の絆ってやつ? 霊力おくりこんで、妖魔を威嚇する印をつける?」
そういえば、僅かな霊力を持つゆえに、妖魔につきまとわれていたエリカの悩みを聞いた如月が、彼女の手の甲に口づけをするシーンがあったような気がする。
「そうです。まあ、ついている位置が位置だけに、妖魔避けという意味だけではないでしょうね」
ニヤリと笑いながら、楠は私の首筋――鎖骨の辺りに目をやった。
え?
奈津美と、エリカの視線も、私の鎖骨に張られたかゆみ止めパッチに向けられた。
「……情熱的ですね」
「悟兄ィ、独占欲強いから……舞さん、たいへんだ」
私は足先まで茹で上がり、両の手で首筋を覆い隠し、俯いた。
――穴があったら、埋まりたい。
「とにかく、悟さまの霊力、そこからダダもれ状態ですから。単なる口実ではないと思いますよ」
面白そうに、楠はそう言って笑った。
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