ストーリー補正なのでしょうか?

  獣の断末魔の叫びが山に響き終えると、静寂と暗闇が戻ってきた。

「まずいな」

 如月は、全裸で倒れている男の傷口を見た。

 私は、恐怖のあまりに表情を失っている女性を助け起こし、彼女の乱れた着衣を直した。

 震える彼女の肩を抱き、背中をなでる。

「如月だ。色情魔が出た」

 たぶん、防魔調査室が相手なのだろう。如月は連絡をしながら、応急手当の作業を続けている。

「マイ、手を貸してくれ」

「はい」

 如月は自分の着ていたシャツを脱ぐと、それを引き裂いて、男の背中に押し当てた。

布瑠ふることを知っているか?」

 布瑠の言というのは、死者蘇生の言霊と言われているものだ。もちろん、本当に死者を蘇生するほどの効き目はないようだが、小説で如月が使っているシーンは何回も出てきた。西洋RPG風にいえば、「ヒーリング」のようなものである。

「言葉は知っています」

 私がそういうと、

「俺が、傷口を止血するから、その手に重ねてやってくれ」

「はい」

 出来る自信は全くないが、九字が切れるなら、使えるかもしれない。

 私は、如月の手に自分の手を重ね

一二三四五六七八九十ひとふたみよいつむななやここのたり布留部由良由良止布留部ふるべゆらゆらとふるべ

 身体がふんわり熱くなる。柔らかな力が私の中から流れ出す。

「よし。血が止まった」

 如月はそう言って、男を大地に横たえた。そして、切り裂いた自分のシャツを傷口にまいた。

 そして、男の額に掌をのせる。

「……。」

 如月の顔が複雑な顔になったが、軽く首を振り、ポンと額を指で叩いた。

 そして、そのまま、硬直したままの女性に向きなおり、彼女の肩に手をのせる。

 如月の顔はやや苦い。

「彼の気持ちを知っていながら……不用心ではありませんか?」

「え?」

 女性の唇がわななく。

「あなたに拒絶されなければ、彼は色情魔に取りつかれることはなかった。その気がないのであれば、初めから、こんな暗闇についてきてはいけない」

 如月の声は怒りを含んでいる。

「わ、私は……」

 彼女はポロポロと涙を流す。

「如月さん、やめてください」

 私は、彼女を抱きしめた。如月の言うとおりだろうとは思う。こんな暗い神社についてきた時点で、男は、女が了承したと思っても仕方ないのかもしれない。不用意に、気を持たせたりしなければ、男が魔に取りつかれることもなかったのかもしれない。

「……いくら正しいことでも、今の彼女には」

 私の言葉を聞いていないかのように、如月は、彼女の額に手をのせ、指を弾く。

 それと同時に、彼女は意識を失った。

 如月は、首を振り立ち上がる。転がったLEDライトがぼんやりと辺りを照らしている。

「……彼女が彼を拒絶して突き飛ばした時、偶然、落石が彼を襲った」

 如月は事務的にそう告げる。この事件の表向きのシナリオ。そして、当事者である彼らにも、如月はそのシナリオを記憶させた。心の傷も、肉体の傷も癒されることなく残るものの、彼らが妖魔の存在に気が付くことはない。

 救急車のサイレンが昇ってきた階段の下から聞こえてきた。




「俺は、冷たい男か?」

 救急隊が二人を担架で運んで行ったあと、私たちは、神社の境内で再び二人きりになった。

 救急隊が置いていったLEDライトが、ぼんやりと辺りを照らしている。

 本来なら、警察が現場検証をするのだろうが、その辺は超法規である「防魔調査室」である。後始末は、警察は介入せず、防魔調査室の預かりとなっているらしい。

 如月の言葉に、私は彼を見上げる。男の手当てのためにシャツを脱いでしまったので、彼は現在、上半身裸である。

 鍛え上げられた肉体は、セクシーで目のやり場に困る。

 彼の質問は、襲われた彼女を責めた如月を私が止めたからだと、気が付いた。

「冷たいとは思いませんが……厳しいとは思いました」

 私は正直にそう答えた。

「彼女が不用心だったのは事実だけど……拒絶したといっても、たぶん驚いただけで。その、相手の男の方が嫌いだったわけではないと思います。嫌いな相手だったら、そんなふうに無防備にならないです」

「そういうものか?」

 如月は首を傾げる。

「如月さんはおモテになるから……かえって、女性の心の機微に疎いのでしょうね」

 私は、苦笑した。

「モテはしないが……女心に疎いのは事実だと思う」

 私の言葉に眉を寄せながら、如月は首を振った。

「やっぱり俺も男だから。男の気持ちの方がよくわかる」

 如月は私を見つめ、私の唇を指で触れる。こんな状況なのに、私の胸はドキリとした。

「……からかわないでください」

 私は、一歩下がって、如月から離れた。

 如月は、ふうっと溜息を一つ着いた後、腕時計に目をやった。

「柳田が来るまで、一時間はかかる。マイは、俺の実家に帰るか?」

「柳田さん?」

「この境内で『落石』があった工作と、この地の浄化が必要だ。俺一人では、時間がかかりすぎる」

「私……邪魔ですか?」

 私がそう言うと、

「そういうわけではないが」と、如月は複雑そうな顔をした。

「さすがに……私ひとりで、如月さんのご実家に帰るのは、ずうずうしいですし、道もわからないし、夜道が怖いというか」

 私の言葉に如月は苦笑した。

「こんな夜中に、マイをひとりで歩かせたりしない。きちんと送る」

「え? でも、またここに戻られるのでしょ? 手間じゃないですか。手伝えることがあるなら、手伝います」

 私がそう言うと、如月は頭を掻いた。

「もちろん、手伝ってもらえると助かるけど……ただ、俺とここにいて、安全かどうかは、保障できないから……」

「如月さんといて安全じゃないクラスの妖魔が出たら、大事じゃないですか!」

 私がびっくりしてそう言うと、如月はぷっと噴き出した。

「そうか。マイは不用心じゃなくて、かなり鈍いんだな」

「え?」

「まあいいさ。それじゃあ、陣を張るから手伝ってくれ」

 如月はポンと私の肩を叩き、そう言った。


 翌朝。

 お味噌汁の香りで、目を覚ました。

 夜半過ぎまで、浄化作業に時間を取られたとはいえ、他人様のおうちで、思いっきり寝過ごしてしまった。

 服を着替えて、慌てて洗面台にむかう。

 鏡の前で、自分の姿を見て、ぎくりとした。

 大きめの襟ぐりのTシャツなので、自分の鎖骨が見える……それはいい。

 その鎖骨のあたりに、赤い痕があった。

――虫に食われた?

 一瞬、そう思い……次の瞬間、私は顔が真っ赤になった。

――嘘、こ、これって。

 昨日、如月にキスを落とされた場所だ。

――黙っていれば、誰も気が付かない? いや、気が付くよ! 如月さん、何考えているの?!

 私は、鎖骨を手で隠すと、慌ててあてがわれた部屋に戻る。

 一応着替えは用意してきたものの、本気で泊まる気はなかったこともあり、このTシャツを着ないのであれば、昨晩着ていたものしかない。汗だけならまだよいが、少し血のりがついている。さすがに着るのは躊躇われた。

――虫に食われたことにしよう。

 私は、そう決めると、鞄の中から子供用のかゆみ止めのパッチを取り出し、赤い痕の上に張り付ける。

 正直、なぜ、キスされたのかもよくわからない。

 流されるままに、あんなに暗い夜の神社に行ってしまったのだから、『お軽い女』だと思われたのかもしれない。

 そういえば、「不用心」と何回も言われた。あの場合、私が「誘った」ということになるのだろうか?

 如月は、襲われた女性に、彼女の不用心ゆえに男を暴走させたと、責めていたし。

――男の人って、愛がなくても平気だって言うものね……。

 ひょっとして。国城エリカの代わりってことで、いわゆる「ストーリー補正」が働いたってコトかもしれない。

――如月さんも蛍の雰囲気で酔ったのかも。そうでなければ、私に手を出すなんてあり得ない。

「マイちゃん、起きた?」

 エプロンをした桔梗が部屋を覗きに来た。

「あれ? そこ、どうしたの?」

 桔梗は目ざとく、私の鎖骨を指さした。

「え? えっと……虫に食われたの」

 私がそう言うと。

「ま。虫と言われれば、虫だよね」

 意味深な笑顔で、桔梗はそう言って。

「ごはん、できているよ」

 と、付け足した。




「ほう、確かに。霊的魅力が振りきれているね。霊力も高い」

 朝食を用意して待っていてくれたのは、如月兄弟の父である、如月誠きさらぎまこと氏。

 美形兄弟の父上は、やはり美形なオジサマで、枯れ具合もまた良い。

 ご飯に味噌汁。あぶった魚に青菜のお浸しに、卵焼き。まるで、旅館のような朝食である。

 誠氏は、私を見るなり、破顔した。

「君なら、薮内やぶうちさんも文句はないだろう。いやあ、悟、よくやった」

 言いながら、ポンポンと、息子の肩を叩く。

 如月悟は、真っ赤になって、視線を下に向ける。

「狡いぞ、如月。マイちゃんをお前が薮内さんに紹介するなんて」

 結局、昨日の仕事の関係で、柳田も如月家に泊まった。柳田は、ムッとした顔でそう言った。

 俺だって権利はあるはずだと、ぶつぶつ呟く。

 私を薮内さんとやらに、紹介すると何かいいことがあるのだろうか?

 如月家だけでなく、柳田も、薮内さんというひとは関係ある人のようだ。

「……話が見えません」

 私がそう言うと、奈津美さんが笑った。

「薮内さんっていうのは、うちの主筋にあたるお家で」

「主筋?」

 一瞬、聞き間違いかと思う。 現代日本で、そんな言葉、めったに聞かない。

「うん。土御門家の直系なの。現在も陰陽協会の会長さんで」

 なんだ、そのアヤシイ団体は。

 もう何も聞かずに、家に帰りたくなってきた。

「如月家は、血筋的に霊能力者が多いの。だから、薮内さんは、兄貴たちにはできるだけ、能力者と結婚してほしいわけよ」

「えー?」

 私はのけぞった。

 現代でも政略結婚めいたものはあることはしっていたが、何なの、その『聖なる王家の血』みたいな展開は。

「……だから徹さんは、恋愛結婚したいって、おっしゃったのですか?」

「まあね」

 苦い笑いを徹は浮かべる。

「見合い相手のお嬢さんは、大きな神社の巫女さんだ」

 へえ、と私は頷いた。

 誠氏は、そんな徹を嘆かわしそうに見た。

「贅沢言うな。お前にはもったいないくらいの美人じゃないか」

「そうそう。国城エリカさんといってね、すごい美人なの」

 奈津美はそう言って、見合い写真を私に見せてくれた。

 小説のイメージ通り、清楚可憐な国城エリカが、そこに微笑んでいた。

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