夜の神社で


 山の上に伸びていく石の階段。

 街灯もなく、見上げた彼方は、生い茂る木の枝の影。その向こうに、瞬く星が見える。

 時折、夜風に揺れる葉のこすれる音の他は、お互いの息づかいと、足音だけ。

「あの……歩きにくいです」

 私は、如月を見上げ、小さく抗議した。

「ごめん」

 如月は、そう言って、私の腰からようやく腕をはずす。

 ほっとして、そっと離れようとしたら、今度は手を握られた。

「夜の山は、妖魔がうろつきやすい」

 絶対にはぐれるな、と如月は言い添える。

「子供じゃありませんから、つないでなくても、はぐれませんよ?」

 私の言葉を、如月は聞いていない。ギュッと手を握りしめたまま、ゆっくりと石段をのぼっていく。

――ああ、これは。

 私は、既視感を感じた。

――赤の絆のワンシーンだ。


 長い石段を、如月とエリカは昇っていく。

 鍛えている如月は平然としているが、エリカは次第に肩で息をしはじめる。

 上気した頬が妙に色っぽい。

「少し、休む?」

 如月は優しく、彼女に声をかけた。


――でも、田中じゃなくて、国城エリカのシーンだけど。

 この世界は『小説』とは違う。

 それでも、時折、酷似した香りを漂わせ、私を戸惑わせる。

 小説では、夏祭りの喧騒をさけるように如月とエリカは、山の中腹にある神社へ向かうのだ。

――祭りといっても、祭りが違うし。

 二人が見た祭りは、山車が出て、屋台が並び、にぎやかな笛や太鼓、人々のはじけるような活気に満ちていた。

――ぐ。これは、エリカじゃなくて、私に合わせた地味仕様ってやつかな……。

 ついそう考えてしまう。

 それにしても、息切れしただけで、色気を感じさせるって、どれだけ美人なんだ。

「麻衣さんが読んだ小説の俺って、どんな奴?」

 突然、如月が口を開く。

 びっくりして見上げる。不意打ちだったので、ほぼ反射で答えた。

「えっと。とても強くて、頭が良くって、女性にモテるひとかな」

 私の言葉を聞き、如月は首を傾げる。

「ふーん。じゃあ、すごく奥手とか、男色家とかそういう設定?」

「な、なに、言っているんですか!」

 私は、びっくりして、焦る。

 小説の如月は、間違いなく肉食系である。男色家なんて、あり得ない。もちろん二次創作に励む腐女子さんのおかずにされていた事実は知っているけど(こう見えて、鈴木麻衣は、ノーマルカップル至上主義なので、無実です!)

「そんなわけないです。男性読者の多い小説で、そんな主人公、ウケません」

 私は思いっきり首を振った。

「どうして、そんなふうに思ったのですか?」

 私の問いに、如月は視線をそらした。

「田中舞さんは……俺をもっと警戒していたと思う」

 ぼそり、と、そう言う。

 否定はしないけど。でも、警戒も何も、こんなに話す機会もなかったと思う。

「最近のマイさんは、不用心すぎる」

「はあ」

 私は曖昧に頷く。確かに、暗い山の階段を、ふたりきりで昇っていく現状は、どう考えても女子的には不用心だ。

「麻衣さんも、たぶん用心深くて真面目な女性なのに、一人暮らしの自分の部屋に、平気で俺を上げるし」

「……最初は、勝手にあがられたような気がしますけど」

 私は苦笑した。しかも姫抱き状態で、ベッドまで。でも、色っぽくは全くならなかった。

「如月さんは、私なんかに手を出さなくても、女性に困ったりしないでしょうし……それに、本物の如月さんは、小説の如月悟と違って、紳士だもの」

「その根拠のよくわからない信頼は、非常にやりにくいな……」

 ぼそり、と如月が呟く。

 石段が終わりに近づく。私は、息を切らしながら、闇の先へと目を向けた。

「見せたいものって、何ですか?」

「こっちだ」

 石段を昇り終えると、大きな神社の境内に出た。

 如月は、参道をそれ、社の裏側へと私の手を引く。

 社の裏側は、大きな大木が植わっていて、その向こうは崖になっていた。

 谷に目をやると、小さな緑色の無数の光がぼんやり見えた。

 そして、開けた空には、無数の星が瞬いている。

ため息が漏れる。

――まさか、これを?

 握られた手が、ぐいっと引かれた。

――これじゃあ、まるで、私、口説かれているみたい。

 ロマンティックなシチュエーションに、頭が痺れてくる。

「見せたかったのは、この木だよ」

 くすり、と如月は笑う。

「木、ですか?」

 私は、ハッと我に返る。

「俺は、この木から桔梗を作った」

 如月はそう言って、木の幹をなでる。

「中学のとき、この山で、魔物に襲われている女の子に会ってね」

 すこし辛そうに、如月は言葉を切った。

「未熟だったから……俺はその子を救えなかった」

 如月は視線を眼下に落とす。私は、掛ける言葉が見当たらなくて。

 握った手を私の胸もとに引き寄せて、反対の手を添える。

「秋だったな……倒れたその子の傍に、桔梗の花が咲いていた」

「……だから、桔梗?」

 私の言葉に、如月は頷く。

「その子の顔は、実ははっきり覚えていない。俺も、瀕死だったからな。兄貴が来てくれなければ、俺は死んでいただろう」

 如月のあいた方の手が私の髪をなでる。

「桔梗は、救えなかった彼女を忘れないために……作った式神だ」

 ああ、これは。私が、「桔梗と妹さんは似ているのか」と聞いたからだ、と思った。

「ごめんなさい……私が変なことを聞いたせいで」

 私がそう言うと、如月は首を振る。そして如月の手が、私の顎に伸びた。

 薄暗い闇の中で、その目が私を捕えて。

「マイ」

 甘い呼び声にびくりとする。

 如月の唇が、私のそれに重なった。

――え?!

 声にならない驚きが、私の中を走る。

 私が胸元に引き寄せていた如月の手は、私の手を離し、ゆっくりと、胸のふくらみへと移動する。

――ど、どうしよう?

 ついばむように、何度か唇を合わせた後、唇を割るようにして、如月の舌が私の口内に侵入する。

 驚愕のあまりに、身体が固まる。事態が把握できない。

 嫌悪感はなかった。ただ、激しく痺れるような甘い感覚が全身に走り、酔ったように頭がくらくらしはじめる。

 長い濃厚なキスが終わると、如月は、私の首筋に、キスを落とし始める。

「ああっ」

 自分の唇から、信じられない甘い声が漏れる。キスだって、初めてだというのに。私は、頭が真っ白になった。

 なぜ、如月が自分をこんなふうに求めてくるのか、意味がわからない。

 如月の手が、ゆっくりと私の胸にふれはじめたその時、背後で、女性の絶叫が聞こえた。

次の瞬間、甘さとは無縁の、ぞくりとした感覚が全身に走り、甘美な痺れは一瞬で消え去る。

「糞っ」

 珍しく、如月は悪態をついて、私の身体を離した。

「この気配は、色情魔だな……嫌味か」

 そう独りごちると、如月は、小さなライトを私に投げてよこし、背後の方角へと走った。




 それは、四足の獣だった。

 大きさは、虎ほどもあるだろうか。手足は、肉食獣のように鋭い爪がのびている。

 顔だけが、人間の男であるが、すでに、ひとであることを手放しているように見えた。

 獣の前に、如月が立ち、ほぼ半裸の女性が恐怖で歪んだ顔で、それを見守っている。

 口からは涎がダラダラと流れ続けている。

「如月さん!」

 私が駆け寄ろうとすると、彼は、手で、それを制した。

「マイはその人を」

 私は、頷いて、女性を抱き起す。感覚がマヒしているらしく、表情に変化はない。

 獣は虎のような俊敏さで、如月を翻弄する。

「分離、できるか?」

右手の独鈷杵が、きらりと光る。

「マイ、合図したら、九字を切れ!」

「はいっ」

 如月は獣の爪を避け、くるりと回転するなり、獣の首筋に独鈷杵を打ち込んだ。


 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


 私は、刀印を結び、指で格子を描く。

 描かれた燐光は、光となり、獣の身体を焼いた。


 ぐわわあ

 獣の絶叫が響く。

その次の瞬間、パチン、と、如月が指を鳴らした。

どさりっ。

獣から、全裸の男が大地へと吐き出された。暗闇でもわかるほど、赤い血が大地に噴き出し、ひろがる。

 目と口の部分に大きな洞が空き、獣は暴れ狂った。


臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


如月のテノールの声が闇に響き、あたりは光に包まれた。

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