第53話 優しい人
ときだけが、悲しみを飲み込むように季節は流れ……
寒い冬の雪解けと共に……桜の季節がやって来た。
卒業の季節。
伊勢の通う女学校では、卒業する生徒たちが次々と嫁ぎ先を決めていく。この時代、女学校は良家の娘たちが花嫁修行として通う意味合いが強く、卒業と同時に親が決めた相手か、お見合い相手と結婚することが普通のことであった。
伊勢と幸は、いつものように校庭の木陰で休んでいた。
「伊勢、聞いた? あのふえさんが、結婚するんですって。それも相手はかなり年上の帝国陸軍大尉らしいわよ」
「……ふえさんが、結婚? 」
「そりゃ、謙信様をいつまで思っていても、絶さんがいるんだもの。ふえさんだって、諦めるしかないわよ」
「……そうね」
伊勢は、久しぶりに謙信の名を聞き、心がざわめく。
ずっと意識的に、謙信を避けて来た。
「伊勢は、いいわよね。信玄様という素敵な方がいて」
「私は、信玄様とお付き合いしてるけど……まだ、その先は決めてないの」
「あーあ、伊勢。いい? 信玄様は伊勢のこと真剣に思ってるからこそ、それ以上無理に進めずに待っていてくれてるんだよ。もの凄〜く、素敵で大人で、モテまくりのあの信玄様が、多くの誘いを断って、あんたとフルーツパフェデートだよ。まわりからみても可哀想なくらいだよ。まったく、伊勢のような、ねんねのどこに惹かれるんだか。何にもわかってないんだから伊勢は……」
幸の言う通りだ。私は、まだ信玄様と真剣に向き合えていない。
今だって……謙信様の名前を聞いただけで……心が震えてしまう。
幸が、ため息をつきながら話し出す。
「あのさ、伊勢。私ね、結婚しないで職業婦人になろうと思うの」
「えっ? 幸が? あんなにお嫁さんになりたがってたのに? 」
「まぁね。でも、みんな、親が進める縁談で結婚して行くのを見て、なんか冷めちゃったのよ。うちの親は、私が末っ子だから、結婚しろとかうるさくないしね。やっぱりさ、好きな人が出来たら、その人と結婚したいな〜って思ったの」
「そうか……幸。そうだよね。やっぱり好きな人と結婚したいよね。でも、幸が職業婦人になるのか……」
「兄の親友が新聞社にいてね。見習いで働かせてくれるって」
「そうなの、幸。すごいわ」
「伊勢も、ちゃんと信玄様の事、見てあげなきゃ信玄様があまりにも可哀想だよ」
「……そうよね。わかってる。……わかってはいるのよ」
「まっ、そのままでよいと言ったのは信玄様だから、仕方ないか。伊勢は、伊勢らしくでいいよ」
笑顔で伊勢を慰める。幸は、伊勢の気持ちがまだ謙信にあることを感じている。
「さっ、次は、英語の時間よ。伊勢の大好きな授業でしょ。行くわよ」
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