第52話 心に吹く風
『風の音を まつさきたてゝ さゝの葉の みやまもそよに ゆふたちの空』
= 謙信 =
無情にも月日だけは流れていく。
夏も終わろうとしていたある日、謙信は
過去からの呪縛とは言え、伊勢への思いを引き裂かれてしまった。
「和尚……うまい酒を持って来た。一緒にどうだ」
「謙信殿、お久しぶりですな。さぁ……どうぞ、どうぞ……中にお入りなさい。もうすぐ雨が降りそうですぞ」
空は今にも夕立が降り出しそうな気配を見せている。ヒューと庭の木々に吹く風は、どこか哀れで、もの寂しさを感じさせながら吹き抜けていく。まるで謙信の心が伝わっているような空模様だ。
酒を
「和尚……俺はどうすればよいのだ」
「謙信殿、人は誰もが
「そうか。和尚にはわかるのだな。和尚……頼みがある。ここに二通の手紙がある。一つは和尚に、そしてもう一通は伊勢にだ。俺は和尚も知っての通り事故とは言え、絶に怪我をさせてしまった。俺の気持ちは何も変わっていないのだが、絶との約束で伊勢には何も話せない。俺の思いは
「謙信殿、この手紙を伊勢殿が訪ねて来た時に渡せばよいのですな」
「頼む」
謙信は、和尚に二通の手紙を手渡す。
「和尚への手紙は、伊勢が来た時に読んでくれ」
「確かに、受け取りましたぞ。……して、謙信殿はこれからどうなさるおつもりですか?」
手紙を受け取った和尚が心配顔で謙信に尋ねる。
「和尚。絶との約束を果たすことしか、今の俺には
なみなみと注がれた盃を一気に飲み干しながら謙信が答える。
「謙信殿、二つの
「あぁ、はっきりと覚えている。春日山城に別棟を建て、毎日祈りを捧げていたものだ。観音菩薩に悲しみも愛しい思いもすべて祈ったのだ」
「その二つの観音菩薩がこの
「和尚。そうなのか!! 和尚は
「自暴自棄になってはなりませんぞ。祈りは、必ず叶いますぞ。謙信殿」
二人は、静かに盃を飲み交わした。
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