第51話 祈る愛


「伊勢……支度はできてるか? 」



 今日の舞踊会は大使家族がサンフランシスコに帰国するために開催される、お別れの会だった。


「伊勢はエミリーと仲良しで、ずっと英語を習っていたんだろう。寂しくなるな」



 信玄と過ごす様になって少し明るさを取り戻した伊勢ではあったが、舞踊会に行くことだけはずっと避けて来た。今回の舞踊会への参加は、エミリーから懇願されての事だった。




「お嬢様、信玄様の選んだドレスがとてもお似合いですよ」



 信玄が伊勢に選んだドレスは、真っ白なロープ・デコルテ。


 襟を大きく開け、胸や肩、後背部をあらわにするデザインで、フルーツパフェのような少女の可愛らしさの中に知的で上品なライン。ラグジュアリーでエレガントなスタイルを兼ね備えていた。少女から大人になる伊勢にぴったりなデザインで、その姿は光り輝いている。



「伊勢、俺の目に狂いはないな。とても綺麗だ。何も心配することはない。俺がそばにいる」


「……信玄様」


 不安げな顔をした伊勢の手を取り馬車に乗せる。


「行ってらっしゃいませ」


 手を振るふくの横で様子を見ているしま。


「これで……よかったのかしらね。どんなに着飾っても心から笑っていない伊勢に本当に心から笑える日は来るのかしら」


「信玄様は優しい方ですから、きっとお嬢様の心も少しずつ晴れると良いのですが……」


 伊勢の気持ちを知っている二人は、その心内を察し、複雑な気持ちで見送った。




ー鹿鳴館ー


 会場はすでに人で溢れていた。


「エミリー。今日が最後なんて……私、泣いちゃいそうだわ」


「イセ。サンフランシスコにぜったいきて。私の国をあんないしてあげるから……」


「そうね。エミリーとこのままおわかれなんていや。ぜったい、再会しましょうね。私サンフランシスコにいきたいわ」


「イセ、やくそくね」


「うん」



「エミリー、久しぶりだね」


 信玄がエミリーに話しかける。信玄はエミリーの父である大使と仕事で付き合いがありエミリーとも顔見知りだった。


「シンゲン、ひさしぶりね。シンゲンが伊勢と付き合ってるって聞いた時はびっくりしたけど、あんなことがあったんですものね。まっ、しんげんならイセをサンフランシスコに連れて来てくれそうだから、許すわよ」


「おやおや……」


「でもね、しんげんは、プレイボーイでしょ。ちょっと心配ネ」

 エミリーが信玄に問いかける。


「エミリー、困ったな。もう、そういうことは卒業したんだよ。だから、心配いらない。いづれ伊勢を連れてサンフランシスコにいくつもりだから、安心してほしいな」


「ほんと? シンゲン。やった!! たのしみにしてるよ」


 エミリーと楽しそうに話している伊勢と信玄。





 政宗は、少し離れた場所からその様子を見ていた。

 大使主催の舞踊会では、貴族は必ず出席の事と政府からお達しが出ているが、これは、ちょっときついな。




 丁度その頃……謙信が、車椅子を押しながら会場に入って来る。


 絶がどうしても一緒に行きたいと言ってついて来たのだ。絶は、エミリーのお別れ会であるこの舞踊会に必ず伊勢が現れると知っていた。


 謙信様を絶対に渡さない。


 会場に入ると、ふえが駆け寄って来た。

「絶さん、大変だったわね」


「ふえさん、久しぶりね。……そうね、とても大変だったわ。私、歩くことができなくなってしまったの。でも、謙信様がこれからずっと私のそばにいてくれると約束してくれたので、平気よ」


「そうなの。謙信様を取られてちょっと悔しいけど、仕方ないわね」


「そういえば……絶さん。見て。あそこを」



 ふえが指差した先に真っ白いドレスをまとった美しい姿の伊勢がいた。



「信玄様とお付き合いしてるんですって。女学校で講演があったでしょ。それをきっかけに、信玄様が伊勢を口説いたらしいわよ。ほら、伊勢は謙信様に振られたでしょ。その後、食事も出来なくなってかなり弱っていたんですって。その時、信玄様が優しくしたらしいわ。それでね、学校で信玄様に手紙を渡そうとした子がいたんだけど、信玄様ったら、みんなの前で心に決めた人がいるって断ったのよ。で……その心に決めた人っいうのが伊勢だったの。伊勢は憎たらしいけど、そんな風に愛を告白されたら、女はときめいちゃうわよね」


 絶は、伊勢を睨みながら、ふえの話を聞いている。

 謙信様に振られたら、すぐに信玄様からの愛の告白ですって!!

 なんて忌々しいのかしら


 でもいいわ。これで謙信様は完全に私のものね。


「謙信様、伊勢はもう謙信様のことなんて忘れた様ですわね」

 絶の言葉に答えることなく、無言でまっすぐに伊勢を見つめる謙信。


「飲み物を取りに行くので、ここでふえさんと待っていてください」

 謙信は、その場を離れ、飲み物があるカウンターへと歩いて行く。



 飲み物を取りに来た謙信に政宗が近寄ってきて話しかける。

「おぅ、謙信。元気か? 」


「政宗。お前に伊勢を頼んだのに、どうしてお前じゃなくて、信玄と一緒なんだ」


「お前な……久しぶりに会って、いきなり伊勢の話か」


「信玄は信用できない」


「謙信。俺は伊勢が好きだ。でもな、お前の事を一部始終知ってるんだぞ。いくらお前に頼まれても、出し抜いて伊勢を口説けるわけがないだろう。俺にも良心ってもんがあるんだぞ」


「政宗……」


「謙信、あれは事故だ。お前が責任を感じることはないんじゃないか」


「わかっている。だが……」


「そういえば、アメリカの医療は進んでいるそうだぞ。折角だから大使からアメリカの医療について聞いておいたらどうだ?」


 二人が話していると、絶が向こうから手を振っているのが見える。


「謙信、何かあればいつでも相談にのるぞ」


「ああ……」

 飲み物を手に無表情のまま頷き、謙信は絶のもとに去って行く。


 まったく、なんて貧乏くじ引いてんだよ謙信。


 それに付き合う俺もだけどな。

 やりきれない思いで苦笑いする。




 会場では、軽快なワルツの音楽が流れだし、人々が踊りに夢中になっている。




「伊勢、ワルツを踊ろう。さぁ、お手をどうぞ」

 紳士的にお辞儀をして伊勢の手を取る信玄。


 踊り始めると、誰もが伊勢の美しさに目を奪われる。


「まっ、見て。信玄様があの小娘とお付き合いしてるっていうのは本当なのね」

 女たちが噂話をしている。






◇ ◆ ◇


「あら。謙信様じゃない。お久しぶりね」


「志乃公爵夫人……」


 志乃が謙信と絶の姿を見つけて話しかけてくる。


「あらまぁ、謙信様もお気の毒なこと。だからあの時ご忠告したのに」


「謙信様、志乃夫人とはお知り合いなのですか? 」

 絶が謙信に尋ねる。


「ご挨拶が遅れましたわね。絶さん、あなたのことは聞いていますわ。事故で歩けなくなったんですってね。お可哀想に。謙信様も命を助けたのに、逆恨みされてあなたの面倒を見てるなんて、とんだ災難ですこと。ホホホ」


「志乃夫人、絶さんに罪はありません」

 謙信が切なげに答える。


「そうね、誰の罪でもないわね。謙信様の罪でもないのに、この娘の言いなりになるなんて、同情するわ。あなたが未来永劫、変わらぬ愛を誓った伊勢さんが、今じゃ信玄様と仲良く踊ってるなんて……皮肉よね」


「志乃夫人、謙信様はもう伊勢のことなんてなんとも思っていません。私のことを愛してくれています」

 ちょっとヒステリー気味に絶が志乃に声を張り上げる。


「あら、あら、絶さん。あなたは何もわかってらっしゃらないのね。私はあなたも知っての通り芸者上がりの女です。あなたのような貴族の女は私のことを馬鹿にした様な目で見下すけど、私は小さな頃から置屋に預けられ、自分の気持ちを押し殺して、ずっと色恋だけを見て育ってきたの。そんな世界に長いこといるとね、人の心が読めるようになるのよ。あなたには絶対にわかるはずもない心の中をね」


「志乃夫人の言ってる意味がわからないわ」

 怒りで震える絶。


「ホホホ……じゃ、はっきり言いましょうかお嬢さん。あなたは怪我したことを理由に自分の気持ちだけを押し付けてそれを愛だと言っているのよ。色恋もよくわからない子供のあなたに理解しろというのも無理かもしれないけど、私から見ると、あなたと謙信様の愛は偽善の愛。そんなのは本当の愛ではなくてよ。ご存知ないかもしれませんが、しのぶ恋……そうね、仮面に隠された愛とでもいうのかしら、心の奥底に眠っている愛の方が何倍も深いってことよ。あなた自身のためにも早く気づくことね」


「まっ、なんて失礼な。あなたはやっぱり下品な芸者上がりの方ですわね」


「なんとでもおっしゃってくださいな。今の私は自由を楽しんでいますのよ。お嬢さん、せいぜいお気張りなさいね。……謙信様、あなたも自分の気持ちを押し殺しながら生活をしていたら、人の心が読めるようになっても、自分の心が壊れて死んでしまうわよ。せいぜい、お気をつけあそばせ。ホホホ……」



「なんて失礼で下品な人なんでしょうね。謙信様」

 笑いながら去って行く志乃を睨みつけながら絶が謙信に話しかける。



 志乃夫人の言い放った言葉は乱暴ではあったが、的を得ている。

 


「謙信様、ねぇ、謙信様ったら。志乃夫人の言ったことなんて気にしないでくださいね」

 絶は志乃が投げかけた言葉の意味を理解することもなく謙信を慰める。



「あっ、そうだわ、謙信様。私は踊ることが出来ないのでふえさんを踊りに誘って踊って来てくださいません」


「ふえさんと? 」


「先ほど約束しましたの。ふえさんも謙信様をお慕いしてたでしょ。今は私のものですけど、ふえさんに謙信様と踊る許可をあげましたの。まっ、私からふえさんへのプレゼントってところかしら。よろしいですわよね。謙信様」


 絶は、何も変わりはしない。俺を試しているのだ。


「ふえさん。謙信様と踊って来てくださらない? 私はここで見ていますから」


「えっ、いいの? 絶さん、わかったわ。さっ、謙信様行きましょう」


 謙信の腕をとり、ワルツを踊り出す





 ワルツは爽快なリズムを奏で悲しみの心をかき消すように流れている。



 伊勢と踊る信玄の目に、謙信がふえと踊る姿が飛び込んで来た。

 ふぅーん。絶に命令されてふえと踊ってるとは、謙信はまるで絶の奴隷だな。信玄は伊勢の手を引き、踊りながら謙信の踊る横にやってくる。


「謙信、久しぶりだな」


「あっ、謙信様」

 伊勢は突然、踊っていた足を止めて謙信の顔を見つめている。

 謙信の足も止まってしまう。


 ふえは、状況を察知して、伊勢に言い放つ

「あら、伊勢さん。あなた、信玄様とお付き合いされてるんですってね。聞きましたわ」


 信玄は伊勢の肩を抱き寄せ

「噂になるのは早いですね。ふえさん、あなたのいう通りですよ。伊勢と付き合っています。噂といえば、謙信は絶さんと婚約したと皆が話しているのを聞きましたよ」


 伊勢は硬直しながら悲しい目をしている。そんな伊勢の表情など知らずに信玄は話し続ける。


「謙信。そんなに睨むなよ。おまえにも事情があるのはわかるが、伊勢は食事も喉を通らなかったんだぞ。死にそうなくらいやつれてしまって、やっと少し元気になったんだ。伊勢に悲しい思いをさせておいて、俺を恨むのはやめてくれよ」


「……伊勢。そうだったのか?」

 謙信が伊勢に問いかける


「あっ、私は大丈夫です。ぜんぜん元気でしたよ。謙信様こそ、事故の事を政宗様から聞きました。大変でしたね。でも、今は絶さんとご婚約されたのですか。えっと、おめでとうございます」


「婚約などしていない……」


 謙信の言葉をかき消すように、信玄が話し出す。

「やっぱりそうなのか、謙信。お前、絶さんと結婚するのか」


「……伊勢」

 謙信が伊勢の名を呼ぶ。

 

「……謙信様。あの、私……謙信様の幸せをずっとお祈りしています。迷惑だったらごめんなさい。でも、祈る事だけは、せめて……祈ることだけは許してくださいね」

 涙で言葉に詰まってくる。


 全てを投げ出し、伊勢を抱き締めたい。

 握りしめたこぶしから、うっすらと滲み出る血は謙信の悲しみの涙のようだ。


「伊勢、謙信への挨拶はもう良いだろう。エミリーと話があるんだろう。さぁ、行こう。エミリーが待ってるぞ」


「……はい」

 力なく答える伊勢の瞳には涙が溢れていた。

 信玄は伊勢の肩を優しく抱き寄せ、伊勢をその場から連れ去る。



 謙信は伊勢の後ろ姿を目で追いかけながら、前世の記憶を思い出していた。


 伊勢、お前はあの時も同じことを言ったな。

 俺が知らなかった事とはいえ、影家がお前を傷つけ、お前は悲しみで食事も喉を通らずにいた。そして、悲しみのうちに亡くなった。それなのに、手紙には俺の幸せを祈っていると書いてあった。


 伊勢……


 今日またお前の口から俺の幸せを祈ると聞いた。

 前世の俺は、お前が去った後、自暴自棄になってしまった。今だって胸が張り裂けそうで苦しい。だか、同じ過ちは犯さない。お前が生きてさえいれば、いつか、この因果カルマの鎖から逃れられるのか?



 伊勢、俺は……


 俺は……お前しか愛せない!!

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