第50話 愛してくれる人

「伊勢……早く、早く! 今日は信玄様の講演の日だよ。早く席を取らないとなくなっちゃうんだから」


「……もう。幸ったら」

 幸に手を引かれ、走り出す伊勢。


「今日は、前の席を……なんとか無事に確保したね」


「私は、席なんてどこでもいいんだけど……」


「馬鹿ね、伊勢。うるわしの我らが信玄様のお顔を見れるのよ。前の席じゃないと信玄様の目に入らないでしょう」



 信玄の2回目の講演日、講堂は大勢の女学生で溢れかえっていた。


「皆さん、今回はアメリカ・サンフランシスコについてお話しします」


「キャー。信玄様はやっぱり素敵ね」

 うっとりとした女学生を前に信玄の講義が始まった。


「日本のシルクは世界一です。この度、アメリカに輸出することも決まり、今後はアメリカとの貿易も活発化するでしよう。女性のアメリカ留学も可能になってきた今、女性が海外進出しビジネスをすることも夢ではなくなっています。皆さんの中から海外へと飛び立つ優秀な女性が現れ、活躍することを切に願っています」


 信玄の講演は、聞くものの心を鷲掴みにした。





◇ ◆ ◇



「やっぱり、信玄様は大人よね。あの優しい笑顔で『おいで……幸』なーんて言われたら、死んじゃうわね」


「もう、幸ったら……でも、確かに信玄様の講演は素敵だったわ 」


いつもの様に中庭の木陰で昼食をとる伊勢と幸。



「お褒めに預かり……光栄です」

 二人の前にひょこっと顔を出す信玄。


「……信玄様。もしかして……聞こえちゃいました?」


「今回は……しっかり聞こえましたよ。幸さん」


 真っ赤な顔で幸が信玄に話しかける。

「あの、信玄様。私たち……フルーツパフェが食べたいなーなんて話していたのですが……」


「そうでしたか。それは丁度良かった。二人を誘いにここへ来たのですから……」


「えっ? 本当ですか。行きま〜す! 」


「伊勢さんも来てくれますね」


「はい……伊勢も行きます! 」

 元気よく答える幸。


「ちょっと……幸ったら」


「いいじゃない、いつまでも謙信様の事でくよくよしてないで……。ねっ、一緒にフルーツパフェを食べに行こうよ」


「何かあったのですか? 」


「えっと……絶さんが事故にあって、謙信様が看病をしてるんですけど、どうも、二人はくっついちゃったみたいで……」

 幸が、信玄に説明する。


「幸ったら……」


 あの、謙信に限って裏切る様なことはないはずだ。何か事情があるのだろうが、伊勢が悲しんでいるのは事実だ。謙信、お前が俺にチャンスをくれるとはな。


「授業が終わるのは何時ですか? 今日は私の馬車で一緒に行きましょう」


「次は、英語の授業で……一時間後には終わります」

 嬉しそうに答える幸。


「わかりました。私は、校長室で次回の講演について打ち合わせしているので、終わったら校長室に来てもらえますか? 」


「はい。信玄様」

 元気よく答える幸は、ニコニコしている。





◇ ◆ ◇


ー校長室ー

「信玄殿、今日の講演も大盛況でしたね」


「講演を頼まれた時、最初は断ろうと思ったのですが、今はお受けして良かったと思っています。この講演が縁で……未来の花嫁を見つけたかもしれません」


「ホホーッ。それは私も密かに願っていたことなので嬉しいかぎりですな。我が校は良妻賢母を育てることでは日本一だと言われておりますゆえ、優秀な女学生が大勢いるのが自慢でして。……して……信玄様のお目に止まったのはどなたかな? 」


「今、ここに来ますので、わかりますよ。今日は一緒に帰る約束をしています」


「それは、それは……楽しみですな」


トン・トン・・・。


「信玄様はいらっしゃいますか? 」


「噂をすれば、来た様ですね」


「どうぞ、お入りなさい」


「失礼します」


 幸が入室する。その後ろに伊勢がついて来る。


「うーむ。信玄殿、幸さんでしたか」


「ハハハ……その後ろの伊勢さんですよ」


「……伊勢さん?!」


「……あの、私たちの名前を呼びましたか?」

 幸が校長に恐る恐る尋ねる。


「い、いいえ。なんでもありません」


「校長……それでは私はデートがありますので、これで失礼しますね」


「あっ、信玄殿。……よくお考えになったほうが?」


「ハハハ……考えに考えて、たどり着いた結論ですよ」


 校長は、信玄の言葉を聞き、信じられない様な顔で見送っている。




「さぁ……伊勢さん、幸さん。私の馬車が校門で待っていますので行きましょう」



 校長室を信玄と共に出て行く幸と伊勢。


 校門までの道のり……


「えーっ。なんで信玄様が幸と伊勢を連れてるの?」

「信玄様の好みって、あんな落ちこぼれなの〜。嫌だわ〜」


「ねえ、伊勢。今の聞こえた? ……なんかすごく失礼よね。私は伊勢と違って落ちこぼれじゃないのに! 」


「……ちょっと幸ったら」


「ハハハ……みんなの悔しそうな顔見てたら笑っちゃうわ」


「……うん。確かにそうね」


「伊勢、やっと笑ったね」


「……うん」


 信玄は後ろからついて来る二人のやりとりを小耳に挟み、微笑みながら歩いている。


「信玄様、お慕いしております。この手紙を受け取ってください」

 突然、信玄の前に可愛らしい女学生が現れる。


「気持ちは嬉しいのですが、心に決めた人がいます。手紙を受け取ることは出来ません」


 はっきりと皆に聞こえる声で信玄が答える。女学生は、ワーっと泣き叫びながら走り去る。


「かわいそうですが、真実なので仕方ありません。……さぁ、伊勢さん、幸さん、行きましょう」



◇ ◆ ◇


ー馬車の中ー


「あの……信玄様には、心に決めた方がいるのですか? 」


「ハハハ。幸さんはいつもストレートな質問をするのですね。仕方ありませんね。……そう。初めてその人を見たのは鹿鳴館でした。その時は、可憐さに目を奪われました。二度目にあった時は、謙信が彼女を連れ去り、三度目にあった時は、政宗と一緒に踊っていました。なかなかチャンスは巡って来ませんでしたが、4度目に会ったとき、一緒にフルーツパフェを食べました、彼女は子供の様な顔と大人の女性の顔を持っており、私の心を完全に奪いました」


「……えっと、あの……それって、伊勢?」


「そうです。伊勢さんは信じてくれないでしようが……」


 ぽかんとしている伊勢。


「伊勢。伊勢が信玄様の思い人なんだよ。信玄様なら伊勢を大切にしてくれるよ」


「……幸。幸は信玄様の事を思っていたのじゃないの? 」


「馬鹿だね、伊勢。そりゃー、信玄様の事は素敵だなって思ってたよ。でもね、それは憧れだし、伊勢との友情の方が私には大事に決まってるでしょ。あんた、謙信様のことがあってから、食事もろくに出来ないでいるじゃない。元気もないし、笑うこともなくなっちゃって……。このままだったら、死んじゃうんじゃないかって、ずっと心配してたんだよ。私は伊勢に早く立ち直って欲しいから、信玄様は伊勢に譲るよ」


「あっ、信玄様。伊勢は落ちこぼれで先生から叱られてばかりいます。もちろん……そんなことも承知の上で伊勢のことを思ってくださっているのでしようね」


 信玄の顔をギッと睨みつけながら幸が問いかける。


「ハハハ……。伊勢さんは良い友達を持っているね。幸さん。大丈夫ですよ。落ちこぼれでお転婆な伊勢さんを私は愛しています」


「それならいいです。信玄様……伊勢は、謙信様に傷つけられました。信玄様が伊勢を立ち直らせてください。伊勢を大切にしてくださいよ。じゃないと、私が許しませんからね」


「約束するよ。絶対に悲しませたりしない。伊勢に涙は似合わないからね」


「……あの。私はまだ謙信様の事を忘れられません。だから、信玄様とは……」


「伊勢、忘れなくてもいいんだよ。そのままの君でいい。これから楽しい時間を作って一緒に過ごそう。その過ごした時間が新しい思い出になり謙信のことを忘れる日が来る。だから、君は私の側にいてくれるだけでいい」


「伊勢。あんた、こんなに信玄様に慕われて、今のままでいいんだよ。信玄様なら私も安心だし、フルーツパフェもご馳走してくれるし……。ハハハ……伊勢、ちゃんと"はい"って返事しなさい! 」


「……幸。ありがとう」


「じゃ。伊勢は、今日から彼女ということでいいかな? 」

 信玄が伊勢の目を見つめ尋ねる。


「……はい」

 うつむきながら小さな声で答える。


「ヤッター、伊勢。さぁ、今日は特大フルーツパフェでお祝いだね」


 頬を染める伊勢を見て、信玄は優しく微笑んでいる。

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