第49話 前世の約束

 何時間もの沈黙の後……


 手術室から緑の電灯が消え、絶の手術は終了した。絶は、呼吸器で口を塞がれ、意識ない状態で病室に運ばれて来た。


「先生……」


「命の心配はありません。足の骨折もいずれは治るでしょう。しかし、背中を強打した為に、骨髄を損傷しています。歩くことは困難かと……」


「先生……絶は……歩けなくなるというのですか? 」

言葉に詰まりながら問いかける。


「残念ながら……」


「うぅぅ。なんということだ」

泣き叫ぶ、近衛公爵。……立ち尽くす謙信。





 手術から数時間経った頃……。絶が、麻酔から目を覚ます。


「絶……」

 

 近衛公爵が心配そうに声をかける。医者が呼ばれ、絶の診察をする。絶は、目覚めた当初、状況を把握することが出来ずにいたが、麻酔の目覚めと共に、なぜ病室にいるのかを理解する。


「先生……私は……? 」


「絶さん。あなたの足は骨折しています」


「……先生。私……足の痛さを感じません」


「絶さん。残念ながら……あなたはこの事故で骨髄を損傷しました。痛みを感じないだけでなく、歩く事も困難になると思われます」


「えっ……先生、今なんとおっしゃったのですか? ……歩けないとおっしゃったのですか……嘘ですよね? そんな……うそです! いや〜〜っ! 」


 悲しい現実を突きつけられ泣き叫ぶ絶。近衛公爵と謙信は、言葉なく頭をひれ伏した。





◇ ◆ ◇



 謙信は、毎日伊勢のお見舞いに来ている。そんな謙信を絶は、冷たくあしらう。


「私が歩けなくなったのは、あなたのせいです。あなたが私を突き飛ばさなければ……」


 絶の言葉にうなだれる謙信。絶の苦しみは、怒りとなり、謙信に激しく投げつけられる。





◇ ◆ ◇


 あの夏祭りの日から影家が、伊勢の家に来ることはなくなった。

伊勢は、不安な心から食事が喉を通らなくなっていた。


「伊勢……このままじゃ、私の方がおかしくなりそうだよ。こんなに痩せちゃって……。私と一緒に今日、学校が終わったら……絶さんのお見舞いに行くわよ」


 幸は、伊勢を心配して一緒にお見舞いに行く事を提案する。


「幸……私には、何も出来ないの」


「ばかだね。何も出来なくてもいいの。今のままじゃ、あんたが死んじゃうよ。いい……どんな状況で謙信様が伊勢に手紙をくれなくなっちゃったのか、ちゃんと確かめないと……。食いしん坊のあんたがご飯も喉を通らないんだよ。これじゃ、生きてても殺されてるのと同じだよ」



「幸……。私、怖いの。謙信様が……もう私から離れてしまったようで……」


「伊勢。このままじゃ、ダメだよ。ちゃんと現実を見て前に進まなくちゃ。どういう理由にしろ、ちゃんと何が起こってるのか自分の目で確かめなくちゃ。私たちは……強い、明治の女なんだから……ね」


「……幸」





◇ ◆ ◇


 幸と伊勢は、絶が入院している病院にお見舞いに行く。




 謙信は、今日も絶の病室に来ていた。


「謙信様……私をこのような体にした責任を取ってくれますよね。これから先……一生、私の足となってくださいね。絶対に、私を捨てたりしないで。私は、もう……歩くことができないのだから。……もし離れたら、私は死にます」


「絶さん……責任は取ります。どの様な理由にせよ、あなたを傷つけたのですから……」


「謙信様……。私はずっとあなたを待っていました。こんな体にしたのは、あなたです。私と結婚してください」


「絶さん……私の一生をかけて償います。でも……結婚だけはできない」


「なぜ? 伊勢なの? ……伊勢が好きだから結婚してくれないの? 」


「絶さん。あなたのそばで、いつでもあなたの望みを叶えると約束します。でも……心だけは……自分に嘘はつけない」





 絶が窓際のベットから、外の景色に目を向けると伊勢と幸が歩いて来ているのが目に入る。


 

 伊勢になんか……絶対に謙信様を渡さない。



「謙信様、今は夫婦にならなくてもいいわ。でも条件があります。あなたは私のもの。私が望んだらいつでも、口づけをして私を慰めて。そして、あなたと私の関係を、絶対に誰にも話さないと約束して」


「それが……君の望みなのか? 」


「そう。私の側にずっといて。私はあなたの口づけだけで……満足できる」


「……」


 断ることなど出来ないと……頭では理解していたが、頷くこともできない。絶はそんな状況を弄んでいる。


「謙信様……断ることなどできないはずよ。責任を取るって言ったのは謙信様よ。お願い! 今すぐ……私に、誓いのくちづけをして」


 目を閉じる絶。謙信は、感情を押し殺し……絶に軽く触れるだけのくちづけをする。






 ドアは、開かれていた。


「伊勢……行くわよ」


「……うん」



「……失礼します。お見舞いに来ました」


 幸と伊勢が病室に入る。


 病室の窓から入る日差しは眩しく……謙信と絶を一つのシルエットにしている。二人の重なり合う唇は、時間が止まったかの様に燦々(さんさん)と光を放って浮かび上がっていた。



「……」


 持って来た花束が手からドサッと落とされた。花束をその場に置き去りにして、走り去って行く伊勢。謙信は伊勢の横顔をハッキリと見た。


「……伊勢、待て!! 違う……」

 追いかけようとする謙信の手を絶が捉える。


「行かないで」

 絶の手を振り切る事などできない。


 激しい憤りの中……。

「絶……伊勢を追っては行かない。だが……今は一人になりたい」


「ダメ。どこにも行かないで。私にはあなたが必要なの」






「伊勢。まって……伊勢! 」

 幸が、伊勢のあとを追いかけてくる。


「……伊勢」

 伊勢を強く抱きしめる幸。


「こんな時は……我慢しないで、思いっきり泣いていいんだよ」


「……さち」


 幸に抱きしめられながら……伊勢は思い切り泣いた。子供の様に……声を出して泣いた。涙は枯れることなく溢れて来る。


「……伊勢。いっぱい泣いていいんだよ。いっぱい泣いて……涙が枯れたら、きっと謙信様を忘れられるよ」


「……うん。好きな女にしか口づけしないって言ってた謙信様が……絶さんに口づけしてた。……私、……私、やっぱり振られちゃったんだよね」


 溢れる涙で嗚咽する伊勢を強く抱きしめる幸。


「……頑張ったね、伊勢。今日は、うちに泊まっていきなよ。思いっきり泣いていいからさ」


「幸……ありがとう」


 嗚咽しながら幸の腕に抱かれる伊勢。





◇ ◆ ◇


「おい、謙信。どういうことなんだ? 」


「政宗。伊勢を……頼む」


「お前、本気なのか? 」


 絶の状況を聞き、驚く政宗を前に、謙信は静かに決意をつぶやく。


「お前のせいではないだろう。それなのに……」


「今、絶を見捨てたら絶は命を落とすだろう。絶を見捨てることは出来ない」


「……お前は、伊勢を諦めきれるんだな? 」


「俺は、伊勢を幸せに出来ない。今の俺に許されているのは、伊勢の幸せを願うことだけだ。伊勢の幸せを祈ることだけが……今の俺に出来ることだ」


「謙信、お前……」


「頼む。俺はもう、伊勢に会うことはないだろう」




 夏の終わり……


 それぞれの切ない思いが時を刻み……季節は秋になろうとしていた。

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