第43話 揺れる心

「影持、今日の待ち合わせは、可否茶館コーヒーちゃかんでだったな」


「そうです。三時半からですので、その少し前に行かれるのがよろしいかと」


「わかった。今日は公爵夫人から折り入って話があると言われたが、どのような用件か聞いているか」


「はぁ〜。それが……公爵が亡くなってまだ日も浅いこともあり、謙信様に色々と相談にのってもらいたい事があるそうです。夫人はまだ二十五の若さですから相談にのってくれる方が必要なのでしょう」


「なぜ、家族のものを頼らないのだ」


「年老いた公爵が、芸者だった志乃様を後妻にした時、家族からは大反対されたようです。それを押し切り後妻に入ったものの、折り合いが悪く、今も争っているとか」


「俺に頼ったところで何も出来ない」


「謙信様、正直に申し上げます。志乃夫人は謙信様のことを好いておられるのかと」


「なんだと。それをわかっていながら、なぜ会う約束を受けた」


「謙信様、何度もお断りしました。しかし、何度も何度も会いたいと連絡が来るのです。会って謙信様の口からはっきりとお断りした方がよろしいかと。そのために鹿鳴館へのお誘いではなく、可否茶館コーヒーちゃかんで早い時間での待ち合わせとしたのです」


「そうか……まったく迷惑で困った夫人だ」


 馬車を走らせながら謙信は気だるさを感じていた。

 謙信が可否茶館に着いたのは、三時を少し回った頃だった。


 少し早くついたな。


 不意に、店の出窓に目がいく。


 信玄じゃないか。


 あいつのいやらしい笑いはいつも見ているが、今日は、幼子おさなごを見るような優しい微笑みを見せている。


 あいつでも、そんな顔をするのか。

悔しいが、謙信にはない、大人の色気と余裕を感じる。

まったく、嫌な奴に出くわした・・・眉間にしわを寄せる謙信。


 気分も下がる中、店へと入る。


「いらっしゃいませ」


 店の中に入ると、ますます気分が悪くなる状況を目の当たりにする。

信玄と一緒にいる二人の姿が目に飛び込んでくる。

 

 外からは見えなかったが、ここからだとはっきり見える。



 何故、伊勢が信玄と一緒にいるのだ。


 足が勝手に出窓のテーブルへと進んでいた。


「伊勢」


「あっ。謙信様」


「何故、信玄と一緒にいる? 」


「おう。謙信。何をピリピリしている。実はな、この二人の通う女学校に講演を頼まれて講師として通うことになったんだ。今日は1回目の講演をして来た。講演後の昼食時、偶然一緒になって二人にフルーツパフェをご馳走すると約束したんだ。まっ。偶然も実は必然ってこともありえるけどな……ハハハハ」


「伊勢。出るぞ」


 今入って来たばかりの謙信が伊勢を連れて帰ろうとする。


「えっー伊勢。謙信様の事を好きだって聞いてはいたけど、謙信様も伊勢のことが好きだったの」


「もう……幸ったら……」

 頬を染める伊勢。


「謙信、今入って来た色っぽい女はお前の連れではないのか? お前を探してるようだぞ。あれは……志乃公爵夫人じゃないか。未亡人とデートとはお前もなかなかだな」


「何だと……お前には関係ない」


「えっ……謙信様。そうなのですか? 」

 急に不安そうな顔になる伊勢。


 入り口でキョロキョロとしている女性に目がいく。


 芸者上がりの志乃は、容姿端麗とは言い難いが、溢れ出る色気はさすが売れっ子芸者だっただけはある。

 男達は、誰もが志乃の色気に振り向くほどで、鹿鳴館でもその名を轟かせていた。


「あ〜ら。謙信様。ここにいらっしゃったのね。早く着いたので、先に入って待つ時間を楽しもうと思っていたのですが、早く会いたい気持ちがあなたにも伝わったようですわね」


「志乃公爵夫人。お久しぶりですね」

 信玄が挨拶する。


「あら、信玄様。ご機嫌いかが? 信玄様もこちらにいらっしゃってたのね。それにしても、今日は可愛らしいお子様達をお連れだこと。どなたかにお守りでも頼まれましたの?ホホホ」


「あのっ。お言葉ですが……私と伊勢は子供ではありません」


「……幸。こういう時は黙っていた方がいいよ」

 子声でつぶやく伊勢。


「あらまぁ〜。威勢のいいお子様ですこと。こんな所で道草みちくさしててもよろしいのかしらね」


「志乃夫人。私の誘いで連れて来たお嬢さん達に失礼を言わないでいただきたいですね」

 信玄は大人の余裕で志乃にやり返す。


「ごめんあそばせ」


「そうですよねぇ〜、信玄様。私たち信玄様と一緒に来て楽しくおしゃべりしてたんですから……」


「……幸ったら」

 困り顔の伊勢。



「志乃夫人は、謙信と待ち合わせですか? 」

 そうと知りつつ、志乃に確認する信玄。


「そうですのよ。謙信様に折り入ってお話がありますの」


「それは、何か秘め事のようで怪しいですね」

 信玄がわざとらしく志乃に問いかける。


「あらっ。さすがに信玄様ね。大人の事情ってことで内緒にしておいてくださいね」


「謙信。お前と志乃夫人が逢引あいびきしているとは驚きだが、心配するな。内緒にしておいてやるぞ! 」


「何を言っている。逢引あいびきなどしていない」


「謙信様。そんな恥ずかしがらずとも良いではないですか……私は慕っているのですから……」

 志乃が謙信の腕に絡んでくる。


「志乃夫人。お話があるというので来ましたが、そのようなことでしたら帰ります」

 絡んで来た志乃の腕を振り払う。


「あらっ。嫌ですわ。話ぐらい聞いてくださいよ。あちらの席に参りましょう」


 仕方なく志乃夫人に連れ立って少し離れた席につく謙信。



 伊勢はその様子を見ていて、今にも泣きそうな顔をしている。


 謙信は、毎日書いている手紙にその日の出来事や明日の予定を書き綴っていた。志乃夫人の事も手紙に書いておいたので伊勢には伝わっていると信じていた。まさか……伊勢に手紙が届いていないとはつゆほどにも思っていない。


「伊勢……大丈夫? 謙信様、伊勢のことをほっぽって、あの超〜色っぽい女の人と行っちゃったね」


「幸……そうだよね。わたし……謙信様に嫌われたのかもしれない」


「伊勢さん。ここにいては辛いでしょうから、お二人の自宅まで私の馬車で送っていきますよ。さぁ、行きましょう」


 今にも溢れ出しそうな涙をこらえて、伊勢は信玄に言われるまま店を出ていく。




 志乃と向かい合わせの席に着くなり、謙信が口火を切る……。


「志乃公爵夫人。あなたは私に色々と相談したいと言いますが、私にできることは何もありません。こうして二人で会うこともはばかれます。あなたは寂しさのあまり誰かに頼りたいのでしようが、その相手は私ではありません。私には心に決めた人がいます。あなたが先ほど子供だと笑った娘です。彼女への想いは生涯……いや、未来永劫みらいえいごう変わりはしません」


「謙信様。あの小娘のことを思ってらっしゃると言うのですか? 」


「そうです。伊勢はたった一人の想い人です」


「でも、あの子。信玄様と一緒でしたわね。謙信様、心配なさった方がよろしくてよ。信玄様はあなたとは違って大人で女性の扱いがお上手ですのよ。今日の信玄様のあの子への眼差し……今まで見たこともないほど、切なさを感じましたわ。あれは、信玄様があの子のことを本気で好きになったのではないかしら。私は、長い間、芸者をしていたでしょ。わかるのよ。あんな目をして女を見るときは恋してるって。信玄様は私とも会ってくださったこともあるのよ。大人同士ですもの。そこは……もちろん色付きでね。どんな女と一緒の時でもあんな目をしたのを見たことがないわ」


「伊勢には、毎日手紙を送っています。今日あなたと会うことも知っています。信玄が伊勢のことをどう思おうが勝手ですが、二人の気持ちは変わりません」


「あらっ。そうでしたの。その割にあの子の顔は泣きそうでしたわよ。今頃、信玄様が慰めているのではないかしら。信玄様は女の扱いがそれは・それはお上手ですのよ。あの子のようなうぶな生娘きむすめを落とす事など、信玄様にとって簡単なことですわ」


「志乃夫人。あなたという人は・・・」


「謙信様。あの小娘のことなど忘れて、私と大人のお付き合いをしませんこと」


「申し訳ないが、帰らせてもらいます」


「まっ。謙信様……あなた……男らしくないわね! 」


「志乃夫人。あなたが思う男らしい男とは女を簡単に抱く男ですか。それなら男らしいなどとは言われたくないです。男らしいとは、一人の女を守り通す事だと思っているので……! 」


走り去っていく謙信を呆然と見ている志乃。


「なによ。芸者ナンバーワンだったこの志乃様をふる男なんて……こっちから願い下げよ」



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