第5話 初恋。
「殿。どちらへお出かけになられていたのですか? 何もおっしゃらずに城を出られ、そのまま行方知れずになるとは……皆が心配しておりましたぞ」
「そうか……悪かったな……
いつもなら不機嫌に返事すらしたがらない謙信が、笑いながら
謙信がふっと、どこかに雲隠れするのは今に始まった事ではない。
戦国の世の無情とはいえ、身内のいざこざに傷心していた謙信にとって、馬での遠乗りは気持ちを紛らわす唯一の手段であることは皆が知っていた。
それにしても……お一人でとは……困ったお方だ。
「何か良いことでもあったのですか? 」
主君・謙信の性格をよく知る
「馬に乗って北条の所領となった平井城下の偵察に行って来た。」
「なんと……敵方に足を運んでいたとは……」言葉を失う。
「影持……天女を見たぞ」
「天女とは……これまた殿の口から聞いたことのないお言葉で……」
今まで、どんな美しい
あくる日……
謙信は、城の重臣たちを集めた。
「よいか……皆の者……我が軍は平井城を攻める。だが、決して平井金山城に手を出してはならぬ。平井城を攻め始めれば、金山城主の
今までの謙信では考えられない命令である。
謙信の軍によって平井城の攻撃が始まると、平井金山城主・
「よろしい。
「かしこまりました」
謙信の口から出た言葉に……皆が驚き……ざわめいた。
--- 平井金山城 ---
「こんなことになるなんて……! 」
母・乳母のふくをはじめ年若い妹たちがすすり泣いている。
「今しがた届いた手紙に謙信公が伊勢姫を所望していると書かれている。謙信公は女嫌いで有名な方と聞いていたのに、なぜこのような仕打ちをなさるのかわかりません。」
父・
「伊勢姫が他の有力武将達から所望されていると……どこからか耳にしたのだろう。伊勢姫を人質として利用しようとしているのかもしれない。」
「おいたわしい姫様……! 」ふくがさらに嘆く。
「姉上……
目にいっぱい涙を溜めた弟・直胤が叫んだ。
父の話を聞いていた私は、覚悟を決める。
「わたくし……春日山城へ行きます。いざとなったら、この短剣で謙信公を道連れに、わたくしの命を千葉の一族のために捧げましょう」
「姫様……ふくもお伴します。姫様をこのふくがお守りいたします」
一刻を争う事態に、伊勢は乳母ふくと共に慌ただしく春日山城に向かうことになる。
=== 春日山城 ===
「そうか……伊勢姫が向かっているのだな。」
そわそわしている謙信を、皆が見守る。
こんな殿をみたことがない。
柿崎
「殿、伊勢姫をどのように利用されるおつもりですか? 人質に情けは無用。武田信玄が伊勢姫をひときわ熱心に所望していたと聞き伝わっています。伊勢姫を武田との交渉に使ってはいかがでしょう?」
「
◇ ◆ ◇
伊勢姫と乳母・ふくが春日山城に到着したのは、平井金山城を経ってちょうど1週間目の事だった。
「伊勢姫様……お待ちしておりました」
直江
伊勢は、この状況が飲み込めずにいた。
「ふく、……人質のわたくしを謙信公はなぜこのように盛大に出迎えるのですか?」
「お美しい姫様の心を掴みたいのでしょう。女嫌いとは世間の声。本当は女好きな野蛮者かもしれません。姫様……決して油断なさらぬように」
ふくは、私の心を知っている。
もしものことがあったなら、この命など……惜しくないことを!
伊勢姫の噂は聞いたことがあるが、なんと美しい姫……!!
「伊勢姫……殿がお待ちです」
伊勢は、まだ見たこともない……軍神と呼ばれる恐ろしい武将のもとへ来た事実を思い知り身震いする。
広間に通され、頭を下げて謙信公を待つ。
「足はよくなったか? 久しぶりだな。お転婆姫」
どこかで聞いたことのある声……
顔をあげると……そこには……龍と呼んだあの時の武将が座っていた。
「何という間抜けな顔をしている。今日も馬に乗ってやって来たのか?」
笑いながら問いかける。
「あなたが謙信様なのですか?」
「あの時は、敵のお前に素性を明かす訳にはいかなかった。もし俺が謙信だと知っていたらお前は俺の助けを拒んだだろう」
確かに……その通りだ。敵将に助けを借りるくらいなら死を選んでいただろう。
「でも……なぜ? 」
「あの時、言ったはずだ。また会おうと。守れないことは口にしない主義だ。ここ春日山城では何も心配いらない。長旅で疲れただろう。今日のところは、ゆっくり休むと良い。」
謙信は、伊勢姫の顔を一目見てそう言い放つとさっさと席を後にした。
「謙信様……?!」
頭の中がぐちゃぐちゃすぎて……整理がつかない。
謙信の言う通り、まずは長旅で疲れた体を休ませよう。
明日からどうなるのだろうかという一抹の不安もあるが、なぜか謙信の素性を知りホッとしている。
春日山城内では、美しき伊勢姫に誰もが目を奪われ、噂した。
女嫌いの我らが軍神・謙信殿が……伊勢姫に心奪われている……と!!
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