第二十九話
男の目が、軽く見開かれた。
そして、すぐにふっと和らいで私を見つめる。
「そうではないかと、思っていました。
いえ、そうだったらいいのにと……あなたはあまりにもチヨに似ていますから」
差し招かれて、私は素直に寝台に寄って膝をついた。
男の指が頬に触れて、そっと涙をぬぐってくれた。
少しひやりとする指の背で私の額に触れて、男は溜息をつくように言った。
「本当に、よく似ている。
はじめてあなたと会ったとき、チヨが現れたのかと思いました。
僕のことを待っていてくれるあまり、時を止めて十五年前の姿のままでいた彼女が現れたのかと」
男の眼差し、はじめて会ったときには冷たくも感じたその眼差しに、今はただ慈しみの暖かさが感じられた。
ようやく、だろうか。
ついに、だろうか。
今、本当に私の目的にたどり着いた気がしていた。
物心ついたときから、母と父の思い出話を聞かされて、母にならって英語を学び、ひたすら父の帰りを待って育った。
口さがない人たちが、母のことを外国人相手の妾商売をしていたとか、私のことをその洋妾の子供だとか言うのを聞く度、私の胸には黒いものが渦巻いた。
父は本当に帰ってくるのかと疑い、もう私に父親なんていないものと思った方がいいのじゃないかとも思った。
それは、何だったのか――。
私はふと視線を動かして、寝台のそばを見やった。
寝台の横につけた、小さな卓の上に、ホットチヨコレイトの茶碗が置かれている。
ここに来てから、毎朝、毎朝、父のために作ってきたチヨコレイト。
黒と白が渦を巻いて、私はそれを私の感情渦巻く心になぞらえていたけれど。
チヨコレイトの中に落とし込んでいたのは、恨み、哀しみ、怒り。
本当にそれだけだったろうか?
私は父へのいろいろな感情を図巻くままに押し込めていたけれど、それは毒になるものだけだったろうか。
この人の本性を見極めるだなんて。
母の夫としてふさわしいか、私の父として信頼できるか。
そんな偉そうなことばかりでなくて。
私はただひとつのことを思ってここまで来たんじゃなかったか。
十五年間、ただひとつ思い続けてきたのだ。
母と同じように。
私は、ただ、父に会いたかっただけなのだ。
会ったことのない、異国の父親に。
私は父の顔をもう一度真っ直ぐに見つめた。
父も私の顔を見つめて、そして穏やかな声音で言った。
「あなただけにでも、会えてよかった。
せめてそれだけでも、日本に来たかいがあった。
満足しています」
それは違う。
私は首を横に振って、父に向かって言った。
「……母に会ってください。
母は今でも、あなたの帰りを待っています」
父の双眸が、今度は驚きにはっきりと見開かれた。
私の顔をまじまじと見つめて、父が言う。
「千代は、どこに」
「長南さまの故郷の田舎に。
横浜を離れて、そこでずっと私と長南さまの三人で暮らしていました」
「チヨは元気でいるのですか?」
「はい、元気でいます。
ずっとあなたに会いたがっています。
あなたのことを待っています。
これからは家族で一緒に暮らしてください、お父さま」
まくし立てるような早口で、私はそう言った。
早口で言ってしまわないと、涙のせいで言葉が詰まってしまいそうだったから。
「Dream come true……夢は叶っていたのですね。
チヨの夢、僕の夢、二人の夢……」
父のつむぐ言葉が、美しい詩の一節のように私の胸に響いて、両目に涙があふれてきた。
父が長い腕を広げる。
その腕の中に、私はためらうことなく身を飛び込ませた。
「僕たちの娘……ユメ」
私は父の腕に抱きしめられて、その胸で十五年分の思いを涙に流した。
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