第二十一話


   


 横浜の家に帰る頃には、外はすっかり夕暮れ時となっていた。


 一日中、雑多ににぎわう東京の街をいろいろと見て回ったけれど、私にとっては何も楽しめるものはなかった。


 男が、私を楽しませようとして始終気を配っていたのはわかっていたけれど、それに自分も気を遣って応えてやる気にはとてもなれなかった。


 どんな珍しい見世物にも興味が持てなかった。


 浅草公園にそびえ立った十二層にもなる凌雲閣。

 電気式で動くというエレベートル。

 戦争の様子を描いたパノラマ館。

 煉瓦通りに、いろいろな商店が軒を並べている勧工場。

 川で学生たちのボートレースが行われているのも、その熱狂ぶりを尻目に通り過ぎてしまった。


 私がかたくなな態度で男の厚意をことごとくはねつけるので、終いには男もあきらめたらしく、私たちはただ言葉少なに東京を散策して帰宅の列車に乗った。


 灯りのもれる家はしんと静まりかえっていた。


 玄関をくぐるなり、手土産の干菓子の包みをたずさえた私たちを待ち構えていたかのように、女が昂然とした態度で出迎えた。


「ようやくお帰り?」

「すまない、久しぶりの東京だったものだから、いろいろ見て回っていたらすっかり遅くなってしまった。

お詫びに東京の土産を買ってきたよ。

すぐに夕食の支度をしてもらうから――」

「明日、イギリスに帰りましょう」


 弁解がましい男の台詞を、女がぴしゃりとさえぎって言った。


「帰る? どうして」

「横浜の居留地の、商会の方と話をつけてきたわ。

明日、イギリスに出発する商船があるから、それに乗せていただけることになったの。

途中で上海に寄るそうだけど、この際構わないわよね。

極東まで連れてこられたついでに、上海も見物して帰りましょう。

出発は早朝になるわ。大した荷物もないけれど、すぐに荷造りをしないと」

「待ってくれ、どういうことだ? 

アン、何を勝手なことを」

「勝手? 

あなたがそれを言うの、ウィリアム」


 女の瞳が冷たく男を見据えた。


「あなたの勝手に、今までさんざん私をつき合わせてきたくせに。

私だけじゃないわ。

私の父や、あなたのお父さまだって、あなたの身勝手につき合って、振り回されてきたんじゃない」

「何を言っているんだ……」

「もういいでしょう? 

イギリスに帰りましょう。

イギリスにはあなたを待っている人たちがいるんだから」

「帰れない。

まだ、日本に来た目的は果たせていない」

「会いたい人がいるという話? 

それで、その人にはいつになったら再会できるのかしら。

あなたのかわいい日本の恋人に」


 冷えた女の視線が真っ直ぐに、男の上着に注がれていることに私は気づいた。

 上着の隠しの中にしまわれている、あの写真に。


 立ちすくんだ男を打ち据えるかのように、氷のつぶてのような女の言葉が吐き出されていく。


「私が何も知らないでいると思って? 

知っているわよ、あなたが大事に恋人の写真を持ち歩いていることも、その恋人を今でも想っていることも。

十五年経っても、たった三年過ごしただけの日本のことが忘れられないということも。

この旅行で、あなたが日本の恋人を探すつもりだということも。

あなたが、私のことを愛していないということも」

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