第二十話


   


「あれは女学生ですね」


 不意に男が言うのにつられて、私は男の視線の先を見た。


 華族女学校の生徒たちだろう。

 海老茶袴に矢絣の着物、結った髪もおそろいの少女たちが、密やかな笑い声を立てながら歩いて行くのとすれ違う。


 人力車に揺られながら、華やかな少女たちの後ろ姿を何となく目で追っていると、隣に座っていた男が言う。


「ユメは学校に通ってみたいと思いますか?」


 何気なく尋ねられたことに、私がとっさに何とも答えられずにいると、男は構わず言葉を続ける。


「イギリスでは大衆教育の拡充、初等教育確立のための改革が進んでいます。

児童の就学が義務化され、子供たちに労働ではなく教育を与えることが強化されています。

いずれは、公立での教育が無償化されるでしょう。

中流階級、労働者階級も参加しての社会改革の結果です」

「…………」

「日本では、今はまだ教育の場が開かれているとは言えません。

特に女性にとっては、一部の階級に属した人だけのものになってしまっています。

ですが、近い将来、女性も望めば誰もが同じ教育を受けることができるようになるでしょう。

そして、いずれは全ての国民が平等に教育を受けられることが当たり前の社会になるでしょう。

日本の成長はめざましい、国も国民も。

日本という国の文化的基盤は、教育の発展によってより一層――」


 言いかけて、男は不意に言葉を切った。


「すみません、難しい話をしてしまいましたか。

つい熱が入ってしまいました」

「いえ……」

「僕はただ、あなたが望んでいるのに学校に通えないとしたら、それはとても残念なことだと、ふとそう思ったのです。

あなたはとても賢い子だから」

「…………」

「What is your future dream?」


 私は一瞬どきりとして男の顔を見やった。

 だが、男は穏やかな目つきをして、質問を日本語に直して言った。


「あなたの将来の夢は何ですか?」


 夢。

 将来の夢。


 そんなもの。


 私は男から視線を外し、人力車が走る前方を見据えて独り言のように言った。


「私は男に生まれたかった」


 男に生まれればよかった。

 私が男の子であればよかった。

 そうすれば、お母さまを守ってあげられたのに。


 ラシャメン。

 洋妾。


 そんな風に言う他人から、お母さまを守ってあげたのに。

 父親なんかいなくても、生きていくことができるのに。


「ユメ?」


 つぶやいたきり黙り込んでしまった私の顔を、男が怪訝そうにのぞき込んでくる。


「ユメ、今の時代は女性には生きづらいかもしれません。

しかし、将来、遠くない将来には、女性も自由に、望むように生き方を選択していける時代となります。

だから、今のあなたを悲観しないで、否定しないでください」


 私の言葉の意味を勘違いして、男が的外れなことを言いつのるのを私は聞き流した。


「あなたが女の子で、僕はよかったと思っています」


 男の言葉に、私は唇をかんでこらえた。


 胸にまた、黒いものがじわりとにじむ。

 顔を背けてしまった私のことを、男が気遣わしそうに見ているのがわかったが、私は気づいていないふりをしていた。


「ここで停めてください。

……ユメ、ここから少し歩いてみませんか?」


 人通りが多くなってきたところで男がそう言って人力車を停めた。

 まず男が車から降り、車夫に代金を払うと私に向かって手を差し出す。


「どうぞ」


 言われたが、私はその意味がわからなかったふりをして、男の手を取らずに自分で車を降りた。


 私の態度に男が戸惑った様子をしているのも無視する。


 胸に広がろうとする黒いものを押さえ込むので、私は必死になっていたのだ。


 これは恨みだろうか。

 それとも、哀しみ、怒り……何と名前をつければいいのかわからない。

 ただこれがにじみ出して止まらなくなるのが、私にはひたすら辛いのだ。

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