第十三話
不意に、男が私に視線を向けて言った。
「部屋の使い心地はいかがですか?」
「はい、とてもいいです。
きちんとしたお部屋をあてがっていただいて、ありがとうございます」
私のために、男は一部屋をあてがってくれていた。
文机と寝具があるだけだが、短いこの家での生活、寝起きをするには何の不自由もない部屋だ。
「何か必要なものがあったら、どうぞ遠慮なく言ってください」
「いえ、今のままで充分です。
お気遣い、ありがとうございます」
「あの部屋は昔、チヨが使っていた部屋なのです」
唐突な男の言葉に、私の心臓は大きく跳ねた。
「チヨは、私がモートン教授と共に日本にやって来たとき、ここで住み込みの世話役として働いてくれていた女性です。
この家で三年、一緒に暮らしていました」
話しながら、男の青い目が私の目を見つめてくる。
私は、男が何を話そうとしているのか、じっと息をつめて聞いていた。
「彼女はとても大人しい女性でした。
献身的で、どんなささやかな仕事も丁寧につとめてくれました」
「…………」
「それに、彼女はとても料理が上手で、彼女のおかげで僕は日本の食事が好きになったのです。
あなたが朝作ってくれるホットチョコレート、あれも頼むとチヨは作ってくれました」
「…………」
「ユメ、あなたの年はいくつですか?
十三歳? 十四歳?」
「……今年、数えで十五になります」
「そうですか。
チヨはここに来たとき十六歳でした」
そう言って、男は着ていた上着の内側に手を入れた。
そして、隠しから取り出したものを私に差し出して見せる。
それは男の手の中に収まる大きさの写真立てだった。
二つに折りたためるようになっていて、男が開いて見せた中に収まっている写真を見て、私の呼吸は一瞬止まった。
色のない写真に写っているのは二人の人物だった。
男がひとりと女がひとり。
男は今目の前にいるウィリアム・バースに間違いなかった。
今よりも若い、凛々しい青年のバースだ。
そのバースが、椅子に座った女性のかたわらに背筋を伸ばして立っている。
そして、その女性。
椅子に座っている、若い日本人の女性は。
「ここに写っているのがチヨです」
写真を見つめながらそう言う男の声は、その当時を懐かしんでいるかのように柔らかかった。
「この写真は横浜にある写真館で撮りました。
チヨに僕のわがままを聞いてもらって一枚だけ。
どうしても彼女の写真がほしかったのです」
写真の中のその女性は、緊張しているらしく硬い表情をしていた。
平凡な小袖姿で、緊張しながらも精一杯しゃんとした姿勢で映っているその女性を、私は縫いつけられたかのように見つめた。
おもむろに、男が言う。
「ユメ、この写真の女性とあなたはとてもよく似ていますね」
つめていた息が溜息となってこぼれた。
そうなのだ。
写真の女性のふっくらとした頬、黒目がちな瞳、引きしめた唇。
それは私のものとよく似ている。
もしも、私がこの写真のように、きちんと髪をまとめて櫛をさし、身ぎれいな装いをして座ってみたら、他人にはまったく同じ人物に見えるだろう。
男がはじめて会ったとき、私に向かって思わず「チヨ」と呼びかけてしまったように。
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