第十二話


   


 夕方、日が完全に落ちきる前に男は帰ってきた。


 女は結局、自分の部屋に引きこもったきり昼食にも出てこなかった。

 ご機嫌うかがいに行ってやるのも馬鹿らしいので放っておいたけれど。


 小さな包みを提げて帰ってきた男を、私は玄関で出迎えた。


「おかえりなさいませ」

「ただいま、ユメ。

留守の間、何かありましたか?」


 首を横に振って答えると、男はうなずいて、


「それならよかった。アンはどうしていますか?」

「ずっとお部屋にいらっしゃいます。

すぐにお夕飯になさいますか?」

「そうですね。

その前にお茶を淹れてもらえますか。あちこち歩いてきたので少し疲れました。

それからこれを」


 言って、男は提げていた包みを私に差し出した。


「おみやげです。食後のデザートにしてください。

これでアンの機嫌が直るといいのですが」

「これは?」

「ヨウカンです。

ユメはヨウカンは好きですか?」


 私がうなずくと、男はかすかに笑ったようだった。


「よかった、僕も好きなんです」


 そう言って、食堂に向かって歩き出した男の後について行きながら思う。

 チヨコレイトといいこの羊羹ようかんといい、男は甘いものが好きらしい。


 食堂に着いて、私は手早く湯を沸かして男のためにお茶を淹れた。

 男がお茶と言ったとき、それはたいがい日本茶のことだ。

 男はお茶も食事も、日本式のもので文句を言わない。

 女は絶対に、英吉利イギリスから持参してきた紅茶しか口にしないけれど。


 あたたかい湯飲みを大きな手のひらで包み込むようにして、ゆっくりとお茶をすすっている男に私は尋ねた。


「今日はどちらまでお出かけになっていたんですか?」

「横浜に住んでいる、以前お世話になった友人たちを訪ねてきました。

突然行ったので、会えなかった人もいましたが。

住まいが変わってしまっている人もいましたね。

それでも、何人かの友人にはあいさつができたのでよかったです」


 湯飲みを置いて、男は何気ない調子で言った。


「オサナミ氏も随分前に引っ越されたそうですね」

「…………」

「友人のひとりが教えてくれました。

その人も、引っ越し先までは知らないそうなのですが」


 凍ったように沈黙している私を見つめて、男は決して強くはない口調で言った。


「オサナミ氏と連絡を取ることはできませんか?」


 その質問に、私は黙ったまま首を横に振ることで答えた。

 私の様子に男はそれ以上食い下がることなく、湯飲みを取り上げるとまた一口お茶をすすって、考え込むように黙った。


 長南おさなみさまについて、今日までにも何度か男に聞かれた。

 その度に私は、ただ首を振って、答えられないという態度を貫いていた。

 私がそういう態度をとると、男はその場ではそれ以上の追求はしてこない。

 無理矢理に私の口を開かせることはできないと察しているかのように。

 

 男はわかっているようだった。

 無理矢理に私を話させようとすれば、私はここから逃げ出してしまうだろうことを。

 実際、私は男から過剰な詮索をされれば、そのときはためらうことなくここから逃げ出すつもりだったのだ。


 他のことにはきちんと受け答えする私が、ある事柄に関して、石のようにかたくなに沈黙することを男はどう受け取っているのだろう。


 長南さまのこと。

 そして、私自身のこと。


 答えないとわかっていながら、男がくり返し質問してくるそのこと。

 私が男のことを探っているように、男も私のことを探っている。

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