第十一話
「ユメ、朝食が済んだら僕は出かけてきます。
留守の間、アンの世話をお願いできますか」
男に言われて、私は従順にうなずいた。
本当は、男がどこへ出かけていくのか気になったけれど、だからといって、ついて行くわけにはいかないだろう。
日本のことに不慣れな女の方を、一人でほったらかしておくことはできないのだし。
けれど、正直なところは、この女と二人きりになって留守番をさせられるのは嫌だった。
私はこの、バース夫人とうそぶいてみせる女のことが嫌いだ。
そう思いながら視線を向けると、その女と目が合った。
女は明るい色の瞳でじっと私の顔を見ていたが、不意に無表情のまま短くつぶやく。
「おかしな子」
「アン」
その一言を聞きとがめて、男が女をとっさにねめつける。
しかし、女はまるで意に介した風もなく、男に向かってあごを上げてみせると、おもしろくもなさそうな口調で言った。
「変わっているわ。日本人はみんなこうなの?
何を考えているのかわからない顔をして、ひどく無口だし。
まあ、英語がわからないから仕方ないのでしょうけど」
「アン、失礼なことを言うんじゃない」
「言っても、どうせ理解できていないのでしょう」
女の言葉が聞き取れなかったふりをして、私は人形のように大人しくしていた。
女の高慢と侮り。
私が自分からそう仕向けたことではあったけれど。
女の言葉が起こす黒い火が、私の腹の底を焦がすのを我慢するのは、決して楽しいものではなかった。
女の態度、言葉。
日本人を見下げるその高慢。
妻を気取って男に張りついている厚かましさ。
にもかかわらず、男への接し方がどこか反抗的で、愛情を面に示そうとしない。
なぜそんな態度をとるのか、わからなくていらだつ。
こんな女がそばにいて、どうして平気でいられるのか。
女への反感が、ひるがえって男への不審になる。
私はわき上がるいらだちを押し隠して、男の様子を盗み見た。
男は憮然とした表情で女を見やる。
そして、チヨコレイトを飲み干すと、口元をナプキンでぬぐって席から立った。
「ユメ、おいしかったですよ。ありがとう。
それでは、僕は出かける支度をしてきますから」
言って、男は早々に食堂から出て行ってしまった。
後に残されて、女が小さく溜息をつく。
「メイ・アイ・ヘルプ・ユー?」
うやうやしく、私は女に向かって言ってみた。
女が横目で私を見る。
そして、口の端をゆがめて言った。
「No
Although
P
不意に、腹の底から火がせり上がってきた。
「……言葉がわからないのはあんたも同じでしょうに」
「What?」
思わず口をついて出た日本語のつぶやきに、女は耳ざとく聞き返してきた。
しかし、私が表情を消して答えずにいると、女は非友好的な一瞥を投げてよこして、そのまま何も言わずに席を立った。
女が出て行った後、私は卓の上に並んだ食器を見つめた。
卓の上には、丁寧に食べられた朝食と、ほとんど手つかずのままの朝食が向かい合っていた。
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