第六話


   


 広い廊下を進んで通された客間も広かった。

 板張りの床の上に、西洋風の足の長い茶卓テエブルとそれに合わせた椅子が四脚。

 壁際に本棚と並んで桐の箪笥たんすが置いてある。

 そして、飾られている日本画や陶芸の壺、茶器の数々が目につく。

 かつてこの家に蒐集された美術品のなのだろう。

 それが英国に持ち帰られることなく、当時のままにここに残っているのだった。


「どうぞ」


 男が引いてくれた椅子に私はぎくしゃくと腰かける。

 そして、私の向かいに腰を下ろして、男は茶卓の上に手を組み言った。


「それでは、あなたの事情を聞かせていただけますか」

「……私は、幼い頃から長南さまにお世話になってきました。

長南さまが父親代わりとなって私のことを育ててくださったんです」

「あなたの実の父親は?」

「父はいません」


 男の問いに私はきっぱりとした口調で答えた。


「では……母親は?」


 これには、私は口をしっかりとつぐんでただ首を横に振った。

 私のこの仕草を何と受け取ったのか、男は息をつめて、茶卓に乗り出しかけていた体をゆっくりと椅子の背もたれに預けた。


「僕のことを、オサナミ氏から聞いてきたと言われましたか」

「はい、以前にお雇いとして大学にいらっしゃったと。

語学と文学について教鞭をとられていた、非常に優秀な学者さまだとうかがいました」


 私の言葉に男は苦笑したようだった。


 幕末の開国以降、日本には外国からいろいろなものが押し寄せてきた。

 その外国の未知の文化、知識、技術を吸収するために、明治政府によって招かれたのが「お雇い外国人」と呼ばれる人たちだった。

 彼らの職業は、学者であったり、政治家、商人、職人、宣教師とさまざまだった。

 語学、政治、建築や造船の工業技術、科学、哲学、思想――お雇い外国人たちはありとあらゆる分野で、日本近代化のための教師となっていた。


「教鞭をとっていたの僕ではなく、僕の師です。

僕は師の助手として手伝えることをしただけです」

「それでも長南さまはほめていらっしゃいました」

「ありがとう。

ですが、今は僕のことではなくあなたのことを話さなければ」

「……長南さまはよくしてくださります。

ですが、いつまでもお世話になりっぱなしではいけないと思ったんです。

私もいつまでも子供じゃありません。

自分で働いて、独り立ちできるようにならないと。だから」

「だから、僕のところへ来た、というわけですか」


 そう言って、男は私の目をじっと見つめた。しばらくそうしてからうなずいて、


「うそをついているようには、見えませんね」


 と言った。

 当然だ。

 うそは言っていない。

 そう思ったが口には出さずに、私は黙ったままで男の目を見返した。


「あなたの事情はわかりました。

しかし、先程も言ったように、日本での滞在はわずかな期間です。

ここはあなたの希望に添う雇い口とはいえないと思いますが」

「短い間で構いません。

ここで働かせていただいてる間に、きちんと次の仕事を見つけます。

お世話になった方のところを、大見得を切って飛び出してしまったので、今更のこのこ戻るなんてできないんです。

ですから、どうかお願いします!」


 言って、私は天板に頭を打ちつける勢いで頭を下げた。


 そうして、しばらく客間に沈黙が降りた。

 私は、頭の上で男が考え込んでいる気配を感じながら、身じろぎもせずに待った。


「どうぞ頭を上げてください」


 男の言葉に私はゆるゆると頭を持ち上げた。

 身を固くして縮こまっている私に、男は静かな面持ちで言った。


「わかりました。

ほんの短い間ですが、あなたにここで働いてもらいましょう」

「あ……ありがとう、ございます」


 一瞬、ほっと気が抜けそうになった私は、慌ててまた気を引きしめ直した。

 男はひとつうなずくと、表情を変えないまま言う。


「その前にひとつだけ。

あなたの名前を教えてください。

僕はまだあなたの名前を聞いていません」

「……夢、といいます」

「ユメ? Dream ……いい名前です。

それでは、さっそく今日からよろしくお願いします、ユメ」

「はい、よろしくお願いいたします」


 言って、私はもう一度頭を下げる。


 そうしながら、私の胸は震えていた。

 ここまできた。

 目的に大きく近づいた、と。

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